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なつかしい芸人たち09

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:チャンバラ映画の悪役たち私どもの子供の時分は、映画がなんといっても娯楽の主流で、だから子供の遊びにも映画が反映する。チャ
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チャンバラ映画の悪役たち

私どもの子供の時分は、映画がなんといっても娯楽の主流で、だから子供の遊びにも映画が反映する。
チャンバラごっこなんかやっても、めいめいが、アラカンのつもりで刀を横に構えたり、バンツマのつもりで眼《め》をむいたり、中にはヒーローじゃなくて斬《き》られの悪役をやりたがる子も居た。悪役でも簡単には殺されないで、ときにはアラカンやバンツマが束になってかかっていって悪役が一人で奮闘していたりする。
昭和十年代の半ばごろ、いっとき流行したのは�まぼろし城ごっこ�というやつ。山中にたてこもる秘密宗教の一団があり、お面をかぶりマントを羽織った首領が両手を拡《ひろ》げて、
「まーぼーろーしの神よー」
不思議な抑揚をつけて叫ぶ。誰か一人が首領になって、まーぼーろーしーのゥと叫び出すと、私どもはその妖力《ようりよく》に打たれて、ダアッと総倒れになるのである。
映画では、この首領が実は意外な人物で、後半まで筋がわれないようにしているのだが、なにしろ首領に扮《ふん》したのが上田吉二郎《うえだきちじろう》で、独特のセリフ廻《まわ》しだから、いかにお面をかぶっていても、意外な人物というのがすぐわかってしまうのである。
我々にはすぐわかるが、映画の中では誰もわからない。これが実に不思議で、またおかしかった。昔の映画はこういう暢気《のんき》なところがお景物《けいぶつ》だった。
もうひとつ、子供に流行したのは、蠍《さそり》道人。
「風雲将棋谷」という映画に出てくる白髪|白髯《はくぜん》の怪老人で、
「しゅッ——、しゅッ——」
という息声で蠍を使う。その息声がきこえてくると、どこか近くに怪老人が忍び寄ってきているので、あわてて蠍がそのへんに居ないか探さなければならない。チャンバラごっこの途中で、誰かが、
「しゅッ——、しゅッ——」
といいだすと、とたんに我々は逃げ散ったものだ。
主演の阪東妻三郎だの市川春代だのは影がうすくなってしまって、蠍道人がいちばん受けた。扮したのは瀬川路三郎《せがわみちさぶろう》だが、彼の名前を知らなくても、蠍道人といえば子供たちは皆知っていた。おそらく彼の一世一代の当たり役であろう。
もっとも瀬川路三郎は、チャンバラ映画のファンにはおなじみの人で、その昔片岡千恵蔵の映画には必ずといっていいほど重要な脇役《わきやく》で出ていた。映画史上有名な「赤西蠣太《あかにしかきた》」では奸臣伊達兵部《かんしんだてひようぶ》を演じ、阪妻《ばんつま》の「血煙高田馬場」では仇《かたき》の中津川祐範を演じている。森の石松といえば次郎長《じろちよう》をやり、忠臣蔵といえば大野九郎兵衛《おおのくろべえ》をやる。
ご存じない方も大体の感じはおわかりであろう。ギョロリとした眼、エラの張った顎《あご》、なかなかの貫禄《かんろく》があって、古風なところがいい。いかにも旧劇の出身者らしいアクはあるが、セリフのツブが立っていて、今思うと時代劇のセリフ廻しの一典型だったような気がする。当時の映画は録音が悪かったから、はっきりとツブが立っていないと、なにをいってるのかわからないことが多い。彼だとか、香川良介、志村喬《しむらたかし》なんというところのセリフはわかりいい。
しかしなんといっても瀬川路三郎は、「風雲将棋谷」の蠍道人にとどめをさすので、これ以後東宝に移ってからは、やや影がうすい。戦争期に入ったし、東宝は時代劇の本数もすくなく、戦争映画に老参謀の役などでチラッと顔を出したりしていた。
息子さんが現在映画関係の会社をやっていて、
「『風雲将棋谷』のフィルムが残存していたら、一千万円出してもいいから欲しい」
ずいぶん探したがなかったらしい。コレクターの噂《うわさ》だと、辛うじてあった一本が、戦後ブラジルの人に買われていったとか。
「風雲将棋谷」にはもう一人、佝僂《せむし》の竜王《りゆうおう》太郎という怪人物が出てくる。これは団徳麿《だんとくまろ》という役者が演じていた。名前はそれほど売れていないが、彼も子供たちにはおなじみの人だった。
悪役、というより、怪物役者というべきだろうか。フランケンシュタインのボリス・カーロフ、近ごろではドラキュラのクリストファ・リーなどに匹敵するだろうが、日本の時代劇はそういう怪物シリーズを作らなかったから、スターにはなれない。
いちばんおなじみなのは鞍馬天狗《くらまてんぐ》(アラカンのだ)の角兵衛獅子《かくべえじし》の親方黒姫の吉兵衛役であろう。これは普通の扮装だが、どういうわけか大道芸人とか牢番《ろうばん》の役なども多い。「海を渡る祭礼」という映画では猿《さる》を打ち殺されて泣きわめく猿廻しの役。
「幽霊水芸師」では赤銅《しやくどう》の鍋《なべ》の底みたいにツル禿《はげ》の手裏剣打ち。「風雲将棋谷」の竜王太郎もそうだが、主演スターに刃向かう悪役がコクがないと、チャンバラ映画は面白くないのである。その点では団徳麿は理想的な悪役で、佝僂、片脚、火傷《やけど》のひきつれ、狼男《おおかみおとこ》、眼玉にピンポン玉をつけて出てきたり、私は見ていないが無声時代の「大岡政談」では、山椒豆太郎という小人《こびと》の役で、身体を二つに折りまげて死ぬ苦しみで出てきたというから、こうなると本人もお化け中毒、扮装中毒にかかっていたのだろう。
それにダントクマロという名前も、江戸川乱歩の小説に出てきそうな奇怪な感じで、彼が出ているために観《み》に行ったチャンバラ映画がすくなくない。
戦争が烈《はげ》しくなって、だんだん彼の出場がすくなくなり、日活が合併されて大映になると、まったくその名が消えた。例によって私は感情移入して、どうしたんだろう、死んだのかしら、それとも不祥事でもおこして追放されたのかしら、と心配でたまらず、子供が心配することでもないのだけれど、それがひょっこり松竹系の興亜映画という小さなプロダクションで作った「鳥居強《とりいすね》右衛門《えもん》」という映画にその名をみつけたときは、嬉《うれ》しくてたまらず、その晩夢に見たほどだ。
戦後、松竹下加茂や東映の時代劇で、小さな役でチラチラ出ていたが、いつのまにか引退して(なんでも組合の三役などやっていたらしい、これも意外だ)現在まだ健在で、京都のお寺で静かに暮しているという。
団徳麿は普通の扮装で出てきても、眉《まゆ》が濃く、眼に特有の光があって、不吉で怪しい感じがしたが、高堂国典《こうどうこくてん》という老優も、一度見ると忘れられない怪しさがあった。
キネマ旬報の名鑑で見ると新派の村田正雄の一門だというが、信じられない。新派でなくて旧劇の臭《にお》いが濃い。私がはじめて見たのは、たぶん、林長二郎の「雪之丞変化《ゆきのじようへんげ》」あたりだろう。実に貫禄のある悪旗本で、鼻にかかったよく通る声なので、セリフがわかりやすい。しかしこのころ相当な年齢だったと思う。かなりアクは強いけれども、チャンバラ映画の役者には珍しくセンチメンタルなところがなく、彼が悪役をやると映画がひきしまってくる。
忠臣蔵の持役は堀部弥兵衛《ほりべやへえ》で、昭和十年代はこの線の老人役が多く、悪役でない場合、やはりセンチメンタルでない情味を出したりしていた。
チャンバラファンでない人におなじみになったのは、戦時中の「姿三四郎」の和尚《おしよう》役であろう。三四郎が池にはまっていると大喝《だいかつ》するあの和尚である。これ以後、黒沢明に重用されて、「わが青春に悔なし」では、岡山の老農夫を演じ、非常に注目された。
当時、やはりチャンバラ映画の常連だった志村喬が大きく飛躍したときだったが、もともと達者だった志村よりも、私は高堂国典のほうに関心があった。
こういう不思議な、類型でない人が、たくさん出てこないと映画は面白くならない。残念なるかな、年齢《とし》をとりすぎて、日の目が当たるのがおそかったな、と思っていたが、どうして長命で、現代劇にもたくさん出ている。
「七人の侍」の村の長老なんて役は、どうしても高堂国典でないといけないだろう。そう思わせる役者は案外にすくないもので、軽演劇から戦後映画に転じた左卜全《ひだりぼくぜん》の、一つ前の存在といえようか。
瀬川路三郎も、団徳麿も、高堂国典も三人ともメジャーの会社でなく、マイナーの会社に長く所属していたので、映画史上に残るような作品に、ほとんど出演していない。長く生き残ったのが不思議なくらいだ。
日本映画は常にチャンバラ映画を主軸にして商売をしてきたのに、時代劇の俳優は、一部のスターをのぞいて差別視される嫌《きら》いがあった。時代劇特有の様式的な芝居が、専門職のようにも見られ、また逆に現代を演じる役者ではないように思われていた。
高堂国典や志村喬などはごくわずかな例であろう。山本礼三郎という性格俳優が居たが、病身で、惜しまれつつ早世した。あと、誰が居るだろうか。
阪東妻三郎、大河内伝次郎のような大スターは晩年、老《ふ》け役で現代物にも出ていたが、戦前の時代劇俳優でと限ると、存外に出てこない。
藤井|貢《みつぐ》、これは二枚目半の若旦那《わかだんな》役でかけ持ちしていた。本郷秀雄も同じタイプ。
河津清三郎、田中春男あたりは第一協団というグループを作ったあたりから現代劇に進出したが、チャンバラ役者とはいいがたい。東宝は時代劇がすくないので、鳥羽陽之助、清川荘司あたり、現代物でも実績をあげていた。清川などかなり通用する人だったが、なぜか戦後引退してしまう。
時代劇女優で唯一《ゆいいつ》傑出しているのは市川春代であろう。この人、ずいぶん長くスターを張っていて、万年お嬢だったが、石坂洋次郎の「若い人」などでチャキチャキの現代娘もやっていた。なかなかの女優さんだったが、今、どうしているか。
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