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なつかしい芸人たち15

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:ロッパ・森繁・タモリ先夜、浅草軽演劇の古老たちと新年の酒の席をともにした折、例のジプシー・ローズを育成した正邦乙彦さんが
(单词翻译:双击或拖选)
ロッパ・森繁・タモリ

先夜、浅草軽演劇の古老たちと新年の酒の席をともにした折、例のジプシー・ローズを育成した正邦乙彦さんが、彼はこうした集まりがあると、苦心して受けそうなギャグを考えてくるらしいが、
「昔、まだ新劇が食えなかったころにさ」
「うん——」
「浪曲はえらい景気だったんだ。二葉百合子《ふたばゆりこ》って女流が関西に居るけどね」
「ああ、居る」
「千田是也《せんだこれや》がアルバイトでエノケンたちと一緒に芝居したことがあったろう。それをきいて二葉百合子が、新劇の人はお気の毒だ、てえんで金を贈ったんだってさ」
「なんだい——」
「千田は二葉よりカンパし」
栴檀《せんだん》は双葉より芳《かんば》し、だけれども、私はすぐにロッパを思い出した。
そういう駄《だ》ジャレはロッパが好きで、菊池寛のクチキカンも最初はロッパが口にしたのだと思う。映画題名もじりという遊びがあって、これの名手だったという。
乞食《こじき》がいきなり十円札を貰《もら》ってビックリ、——垢《あか》つきの手へ札。暁の偵察《ていさつ》。
身もと不詳の女の死体が流れついて、刑事が呟《つぶや》く、——フーン、娼妓《しようぎ》だニイ。風雲将棋谷。
駄ジャレというものは、殿さま的気分の人が好むらしい。近年では紀伊國屋《きのくにや》社長の田辺茂一《たなべもいち》さんがそうで、駄ジャレをいいに酒場に来ているような感じだった。儀礼上笑わなければならない。中には顔がこわばるようなものもあって、かなり辛《つら》い。エレベーターに乗合わせたりすると、みっちりやられて、こちらは逃げ出すことができない。
古川ロッパは、エノケンと並び称された喜劇の御大《おんたい》だが、器用なんで、駄ジャレのほかに、声帯模写、歌、芝居、漫談、それにレビュー脚本、劇評、ユーモア小説まで書く。タレントのときはロッパ、原稿を書くときは緑波と使いわけていたようだが、戦争中はカタカナ名前禁止で緑波に統一していた。
「ロッパという名でよかったよ。リョクハじゃ誰もおぼえてくれない」
しかし、ロッパの全盛期は戦争中の古川緑波時代で、菊田一夫と組んで新派をすこしモダンにしたような創作劇で気を吐いたときであろう。「交換船」「花咲く港」「ロッパと兵隊」「道修町《どしようまち》」など今でも憶《おぼ》えている人が多かろう。
その以前はレビュー調だった。肥満体とロイド眼鏡をトレードマークにして、軽薄に浮かれていた。私はこのほうのロッパを愛するのだけれど、「歌えば天国」「歌の都へ行く」「大久保|彦左衛門《ひこざえもん》」「ロッパの子守|唄《うた》」などこの時期の映画がヴィデオで発売されておらず、したがってエノケン・ロッパと並び称されたわりには、今日、忘れられている。
 そもそも男爵《だんしやく》の息子だから、家柄《いえがら》は良い。文藝《ぶんげい》春秋で映画雑誌を編集しているうちに素人《しろうと》芸で売り出した。そういうところは今日のタモリに似ている。
浅草でエノケンが売り出し、人気にまかせてわがままをいうので、松竹が牽制《けんせい》策として、ロッパを中心にナンセンス劇団�笑の王国�を作った。エノケンをもう一つモダンにしたような持ち味で、うわッと人気が出る。
エノケンもロッパも当初はエディ・キャンターの芸風(ジーグフェルドフォーリーズのスターで、小男だがたくさんの美女にいつもとりかこまれていた)を目標にしていたようだ。
ロッパはそれから徐々にロイド喜劇を目指し、後年は井上正夫的|老《ふ》け役を得意とするようになる。
初期は徳山|※[#「王+連」、unicode7489]《たまき》、藤山一郎、岸井明、三益愛子《みますあいこ》など歌える人をうまく使い、中期は渡辺|篤《あつし》、轟夕起子、高杉妙子《たかすぎたえこ》などで脇《わき》の芝居をがっちり固めていた。また若手陣も充実していた。星十郎、須賀不二男《すがふじお》、山茶花究《さざんかきゆう》、須田村桃太郎、森繁久弥という人材の巣だった。
もっともロッパは下積みの苦労をしていないせいか、妙に威張り散らすので、せっかくの人材も、いずれも座長を慕っていない。
「男爵家ってえますがね、貧乏貴族で、そのせいかケチでしたね。座長部屋で誰も見てないと、札束を勘定してる。銀行には不安で預けられないんです。現金をいつも持って歩いてるんで、それでかえってだましとられたりするんですが——」
初期に座員だった鈴木桂介がいっている。
不良少年だったわりに、暴力が苦手で浅草時代、喧嘩《けんか》好きの林葉三なんかとは絶対に一緒に稽古《けいこ》しようとしなかった。ロッパ一座になってからも、ときどき座員たちがスクラムを組んで、
「座長を殴っちゃえ——」
なんて不穏な空気になると、気配をかぎつけて楽屋入りしてこない。開幕寸前にどこかで化粧して、楽屋口からまっすぐ舞台に飛び出していく。横暴なわりに、そういう臆病《おくびよう》なところがあったらしい。
しかしプロデューサー的才腕を持っていて、特徴のあるタレントをたくさん集めて、いつもにぎやかな座組みを作っていた。
森繁久弥が、ロッパの人心|攪乱《かくらん》術としのぎをそっくり真似《まね》しているという。
今また、タモリがそういう森繁久弥の生き方を注目しているらしい。
「森繁さんはすごいですよ。あの人はほかの役者とちがう。実にしのぎがうまいです」
いつだったか、夜を徹してそういうことを語り合ったことがある。
若いタレントに、稽古のときなど、森繁がひょいと近づいて、
「やるねえー! 君」
一言、こういうそうである。
それでもうそのタレントは、トロトロの森繁一家になってしまう。
「森繁さんのすごいところはね、自分にとっていちばん危険な奴《やつ》を手なずけてしまうことですよ。役者ってたいがい、自分の座を揺るがすようなライバルが出てくると、遠ざけるか蹴落《けお》とそうとするでしょう。座長芝居ってそれでつまらなくなるんだ」
「それはそうだね。藤山寛美がそうだ。自分の手足を切ってワンマンショーをやってるものね。人材が脇にそろっていた昔の新喜劇のほうが、寛美も映えていたのに」
エノケンがそうだった。古い仲間を大事にするが、結局はお山の大将で、広い外界と入り交じろうとしない。
ビートたけしも、才能は切れるが、それだけにいいところを一人占めしようとしすぎる。
萩本欽一《はぎもときんいち》は頭のいい男だと思う。彼は自分の極《き》め技を出しつくして飽きられるのを恐れて、自分は捕手となり、相手に極め球を投げさせる。投手は次々に交代するが、自分は相変わらず捕手の座を守り得ている。
けれども欽ちゃんも、結局は、自分の手足を切っていくほうである。その手が見えすくと、それもマンネリズムになる。
「森繁さんはその上を行きますね。山茶花究と三木のり平、自分のまわりでもっとも怖い才能の持主を、逆に引き寄せちゃう。山茶花究なんて、手なずけたら最高の役者ですよ。三木のり平に対してはロッパさんの渡辺篤を利用したやり方を見習ってますね」
手なずけるといっても、単純に頭をなでるだけでは駄目だろう。一緒に芝居に出て、絶えず山茶花やのり平の演じ所を作ってやる。つまり手柄を立てさせるのだ。そうして、森繁自身が彼等の手柄を利用して、さりげなく自分の受け場にする。最終的には森繁がいちばん映えるようになっているのである。
 エノケンほど動けないロッパは、渡辺篤以下、自分が起用したタレントたちに笑いをとらせ、自分は彼等の扇のかなめのような位置に居た。しかし、楽屋裏で人望がなかったので、タレントたちがロッパを中心に人脈をつくらなかった。
戦時中にあれほど精彩があったロッパが、なんでも好きなことができるようになった戦後に、あんなに駄目な役者になってしまったのか、不思議でならない。
飽食がたたって糖尿病になり、体調のわるさをこらえて出演していたというけれど、あんなにつまらなくなってしまうものか。
戦後のロッパしか知らない人は、かつての喜劇王なんて信じないだろう。
ロッパのもう一面の業績に、数多い著作がある。�劇書ノート�など演劇関係の本もおもしろいが、戦時中の毎日に食べたものを克明に記録に残している。
それが実に豪華な食べ物で、水っぽい雑炊や代用食で飢えをしのいでいた私どもとちがって、至るところでご馳走《ちそう》になっている。
なんと役者はトクな商売だろう、と文句をいいたくなるくらいだ。戦争中にあれだけ食った罰で、糖尿病に苦しんだのではあるまいか。
横須賀での映画ロケのとき、横浜の中華料理屋がこっそり作ってくれた中華弁当を持ってきて、徳川夢声などにもわけてくれたらしいが、夢声はひとくち食って、腐敗していると気がつき、箸《はし》を出すのをやめてしまう。
あの食いしんぼうで食通のロッパが、腐りかけている弁当をムシャムシャたいらげて、なんでもないというのがおかしい。
彼は一九六一年の正月、わりにあっけなく亡《な》くなったが、厖大《ぼうだい》な日記が残されているそうで、どこかで出版のメドでもつけばいいと思う。(編集部注・古川ロッパ氏の日記は『古川ロッパ昭和日記』として晶文社から刊行された)。
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