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なつかしい芸人たち17

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:超一流にはなれないが    原《はら》 健策《けんさく》のこと当今の映画演劇界にあまり精通していないので(たまにテレビを
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超一流にはなれないが
    —原《はら》 健策《けんさく》のこと—

当今の映画演劇界にあまり精通していないので(たまにテレビをのぞいても、ほとんどのタレントが、私には名前がわからない)、その消息をつまびらかにしないのだが、原健策(昔は原健作だった)という人物は、まだ健在だろうか。もう七十はとうに越していると思うが、亡《な》くなったという確かな記憶がない。
私の子供のころは、映画といえばまずチャンバラ、それから喜劇で、現代物はどうも苦手だった。特に新派悲劇のようなものがいけない。二、三本立の安い映画館でいつも観《み》ていたから、そういう映画も我慢してたくさん観ているけれど、学校に行くよりはいいと思って我慢してつきあっていた。
時代劇でもチャンバラのないやつがある。芸道物とか、御殿物とか。これがまた子供には退屈。だいたい、白塗りの役者なんてものは、ことごとく虫が好かない。そういう役者は松竹の時代劇に多かった。林長二郎(長谷川一夫)をはじめ、坂東好太郎とか高田浩吉《たかだこうきち》とか。
松竹はだいたい女性向きの現代メロドラマを売り物にしていたから、併映する時代劇も、女性客を対象にしている。だから男の子にはつまらない。林長二郎が東宝に走って以後、松竹時代劇がどうも振るわなかったのは、このへんの中途|半端《はんぱ》さがあったからだろう。
そこへいくと日活をはじめ、他社の時代劇は男っぽい。女が惚《ほ》れてはくるけれど、主人公はけっして女のためになんぞ生きていない。こういうチャンバラを見て育ったので、私は今でもイロっぽくないらしい。
捕手《とりて》を二、三十人も叩《たた》き斬《き》って、たった一人、女を救って、いかにも自分は救世主、という顔をしているのが、実に変だけれども、そういうものだと子供のころは思っていた。だから今でも、女にベとベとするだけでもいやだが、救世主にもなりたくない。
西部劇だってそうだが、チャンバラ映画も、主人公以外に、ひと癖もふた癖もある強そうな存在がたくさん居たほうがおもしろいものになる。
大河内、阪妻、千恵蔵、嵐寛、これらは主人公《ヒーロー》である。これ以外に主人公の親友や、悪人や、正体不明の怪人物などが出てくる。昭和十年代の日活は、こういう脇《わき》人物をこなす役者が豊富だった。
月形龍之介《つきがたりゆうのすけ》、沢村国太郎、尾上《おのえ》菊太郎(これは白塗りだったが)、沢田清、河部《かわべ》五郎、志村喬、香川良介、小川隆、団徳麿、仁礼《にれ》功太郎etc。しかしその中で、子供たちにいちばん人気のあったのは原健作ではなかったろうか。
彼はときおり主演もし、「まぼろし城」や「天兵童子《てんぺいどうじ》」など、子供社会におけるヒット作もあったからだけれど、前記のヒーローたちの映画に脇で出ても、いつもひと癖ある役をやっていた。
大河内伝次郎とともに第二新国劇の看板役者で、映画に誘われた最初が伊丹万作《いたみまんさく》監督の「忠次売出す」、それから衣笠貞之助《きぬがさていのすけ》監督の「雪之丞変化《ゆきのじようへんげ》」、伊丹万作の第二作「赤西蠣太《あかにしかきた》」、溝口健二《みぞぐちけんじ》監督に呼ばれて「浪華《なにわ》悲歌《えれじい》」「祇園《ぎおん》の姉妹」と大監督の名画ばかりに出ている。こういうことは日本の映画界では珍しい例なのではあるまいか。
そのころの所属は千恵プロだけれども、前記の映画は全部に他社の作品で、マゲ物だけでなく現代物もある。千恵プロでも�難役の健さん�といわれていたという。
しかし私は、いくらか早熟なジャリファンだったから、演技力なんてものを基準に見ていない。「赤西蠣太」を子供のころに見たが、私にはたいそう退屈な作品だった。近年、ヴィデオで再見してみたが、今は今で現在の基準で見るから、やっぱりつまらなかった。当時、文芸映画といわれていたが、その文芸的なところがつまらない。
ただし、香住《かすみ》佐代子の情婦の部屋で、原健作が上山草人扮《かみやまそうじんふん》する金貸しを呼んで歓待し、酔って帰る金貸しを襲うくだりはテンポも速く、蘇生《そせい》する思いだった。
「雪之丞変化」も溝口健二の二作も見ているが、子供の私が原健作に執着しはじめたのは、嵐寛寿郎《あらしかんじゆうろう》主演の「髑髏銭《どくろせん》」(昔の映画はなんとむずかしい漢字ばかり使ったことか。小学校しか出ていない知人で、映画の題名でむずかしい字をおぼえました、という人が居た)あたりからではなかろうか。
「髑髏銭」は角田喜久雄《つのだきくお》の娯楽小説の映画化で、派手な着物を着たアラカンの浪人がいかにも女にモテそうに出てくるがこれに対立して銭鬼灯《ぜにほおずき》という通り名の殺人鬼が登場する。これが原健作で、白覆面、白装束。どう考えても、奇怪さといい、殺しの手口といいこの人物のほうが強そうで、颯爽《さつそう》として見える。私ばかりでなく、当時の子供たちが、銭鬼灯が画面に登場すると拍手をした。今でも同年配で、髑髏銭、というとなつかしそうに眼《め》を輝かして、うん、銭鬼灯、という人が居る。
そのときに思ったのか、もう少し後年の中学生になってから思ったのか忘れたが、とにかく私は、アラカンより颯爽としていて強そうな原健作が、アラカンをしのぐ一般的人気を得られないのは、いろっぽくないせいだ、と思った。つまり華《はな》に乏しい役者ということだろうか。
ところが、そこがいい。銭鬼灯は陰気で、酷薄で、甘いところがない。こういう役は大スターはやらないだろう。けれども大スターより生き生きとして見える。
�難役の健さん�はその仇名《あだな》を誇りにも思い、良くも思ったのではなかろうか。「まぼろし城」や「天兵童子」は子供向けの映画で、お色気は乏しくていい。原健作の主演映画はそう多くないが、「忠僕直助」とか「赤垣源蔵《あかがきげんぞう》」とか、いずれもどこか生真面目《きまじめ》で、添え物にしかならない。
千恵蔵の「宮本武蔵」では本位田又八《ほんいでんまたはち》が持役だった。又八というのは武蔵の幼友達で、許婚者《いいなずけ》のお通は武蔵を慕っている。武蔵をお通が追い、そのお通を又八が追うという恰好《かつこう》で、やっぱり辛抱役だった。
「原健作って名前がわるいよ。スターの名前じゃない」
昔、友人がそういったことがある。
「月形龍之介なんて、月形半平太と机龍之助を合わせたんだろう。名前のスケールがちがう」
たしかにそうかもしれない。バンツマ、アラカン、チエゾウ、ウタエモン、子供たちはそう呼んだ。ハラケンというふうにはいわない。
しかし大スターではなかったけれど、原健作は時代劇の映画俳優として、終始着実に一定の位置を確保していた。戦時中に統合で、日活、新興、大都の三社が合併し、時代劇の役者が一社に集まってふくれあがったときがある。製作本数が減って、三社分の役者が居るのだからダブつくわけだ。前記の四大スターに、月形龍之介、羅門光三郎《らもんみつさぶろう》、原健作、女優で市川春代、高山広子、相馬千恵子あたりが今までの位置を確保したぐらいで、あとは脇役として小さい名前になるか、小一座を組んで実演に走るかだった。
豪放で明るい沢村国太郎、白塗りの尾上菊太郎、沢田清、河部五郎、市川|男女之助《おめのすけ》、大谷日出夫、浅香新八郎、杉山|昌三九《しようさく》、近衛十四郎《このえじゆうしろう》、大乗寺《だいじようじ》八郎、鈴木澄子、大倉千代子、深水藤子《ふかみずふじこ》、宮城千賀子《みやぎちかこ》、などが実演組。
大友柳太朗《おおともりゆうたろう》、南条新太郎、滝口新太郎などが応召。
大都ではトップスターだった阿部|九州男《くすお》は悪家老のような役に廻《まわ》り、新興では主演級だった小柴幹治なども色仇《いろがたき》ふうの脇役になった。新興や大都の人たちは会社がマイナーだったせいもあって、ほとんど淘汰《とうた》されたようだ。この時期私は学業などそっちのけで、スクリーンから姿を消していった人たちが、実演のほうでどんなふうにしのいでいるか、苦労して情報を集めた覚えがある。ずいぶんお節介だったわけだ。
原健作は準主演格を維持し、戦後、東映に移ってからも、ずっとヴェテランとして重宝がられた。省三の次男でプロデューサーだったマキノ満男の『時代映画の三十年』を読むと、戦後の新スターに時代劇のセオリーをコーチする必要があると、まっ先に原健作が指名されたらしい。なるほど、この人なら適役だと私も思う。
しかし、今になってみると、戦時中の統合の時期、原健作が実演に走らなかったのはどうしてなのか、ご本人にきいてみたい気がする。彼は新国劇の出身で、舞台でも成功していた時期があるし、戦時中は好条件の誘いがたくさんあったはずだ。なにしろ舞台経験のない映画俳優まで実演に走っていたのだから。それほどに新会社大映が、彼を重視していたのだろうか。それとも彼自身が映画一筋という意気に燃えていたのだろうか。
まだまだ、時代劇映画のことで彼には質問し、勉強したいことがたくさんあるのだが、ずっとその折がない。
先日、旅先の四国高松で、無声映画のころからの映画狂だという古老にお目にかかった。いろいろおもしろい話をきいたが、その終わりごろに、原健作の話も出てきた。「原健作、あの人は歌舞伎《かぶき》の出身じゃないからね。剣劇の人だろう」
「第二新国劇の出身ですよ」
「うん。白粉《おしろい》ののりのわるい役者だったなァ。精悍《せいかん》な、いい顔してるがね。白粉がひったたないんだ。それでセリフもね、スターのセリフじゃない。節《ふし》がついてないんだ。スターならもっと泥臭《どろくさ》く抑揚をつけて、眼ン玉ひんむいて見得を切らなくちゃね、誰も憶《おぼ》えない。活弁だって、原健作は説明しにくかったと思うなァ」
原健作はトーキー以後の人である。むしろトーキーになって、セリフのツブがたつところから迎えられた人だ。この時期、声柄《こえがら》のわるい、セリフのまずいスターは脱落した。
けれどもチャンバラ劇は、現代ふうのリアルな演技になったわけではない。スターはたいがい独特のエロキューションだった。いい例が大河内伝次郎だ。バンツマのあの大仰なセリフは、旧劇ではなくて、活弁の抑揚をとりいれたものだそうだ。バンツマは歌舞伎出身といってもほんの小者で、中央の舞台など踏んだこともなく、従って劣等感になやみながら、活弁ふうセリフを工夫したという。
原健作は、器用でありすぎて、泥臭くなかったところが、超一流になれない理由だったのか。どうも世の中というものは、諸事むずかしいものだと思う。
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