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なつかしい芸人たち26

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:とんぼがんばれ    逗子《ずし》とんぼのことテレビのはじまりのころは、プロレスと相撲と野球、スポーツ中継につきるが、私
(单词翻译:双击或拖选)
とんぼがんばれ
    —逗子《ずし》とんぼのこと—

テレビのはじまりのころは、プロレスと相撲と野球、スポーツ中継につきるが、私もソバ屋などに長居して、あきずに眺《なが》めていた一人だ。
けれども夜中をのぞいて、オールタイムなにかを放映しているのだから、諸事不慣れなスタッフが大変な苦労だったろうと思う。絵が映るだけでありがたかった時期がたちまちすぎて、私どもはすぐにテレビの不手際《ふてぎわ》をみつけては笑い合ったりするようになった。
現今のようにヴィデオテープがないから、番組は生撮りで、エラーをするともろにバレてしまう。
今でも記憶しているのは、時代物のドラマで、登場人物が立って二階の部屋の丸窓にはまっている障子をあけたら、大道具の人が腕を組んでぼんやり立っていた。仕組まないことというものは、なんとなくおかしい。
初期のころ、映画の人たちはまだテレビを馬鹿《ばか》にして出なかった。ギャラも安かったのだろうし、商売|敵《がたき》に対する映画会社の拘束もあったろう。
だから役者は舞台の人が主だった。それも大物は出ない。生撮りだから場面が変わるたびにスタジオの中を役者たちが走り廻《まわ》る。エラーがあったときなどアドリブがきかないとまずいので、軽演劇出身のコメディアンが歓迎された。この国では喜劇俳優というとギャラが安いそうでその点でも重宝だ。
私はあんまり熱心な視聴者ではなかったが、民放テレビがまだスタートせず、NHKだけがやっていたころがあって、この時期、浅草でストリップに追われたアチャラカ喜劇がテレビのほうで復活して、柳家金語楼だとか有島一郎、森川信、それに市村俊幸、ラジオでスターになったトリローグループなどが、持ち前の軽さで活躍していた。このほか、軽演劇のヴェテランたちもたくさん登用されたが、やはりお茶の間に向く人と向かない人があったようだ。
民放テレビが発足して、�日真名《ひまな》氏飛び出す�(久松保夫 臭い芝居だった)とか�ダイヤル一一〇番�とか�事件記者�(坪内美子《つぼうちよしこ》、容色おとろえず)�バス通り裏��おトラさん�とかのテレビドラマ。�私の秘密��なんでもやりましょう��ジェスチャー�などのテレビショー。
�ジェスチャー�では金語楼と水《みず》の江瀧子《えたきこ》が、
「おにィさま——」
「おねえさま——」
と呼び合ってジャンケンなどしていた姿が今も眼《め》に浮かぶ。
トリローグループの三木のり平、河井坊茶、千葉信男なども新型のコメディアンだったが、ここの後輩の中からいかにもお茶の間向きの軽タレント二人にスポットが当たってきた。
藤村有弘《ふじむらありひろ》と逗子とんぼである。藤村は千葉信男のつけ人だったというし、逗子はトリロー文芸部に籍をおいていたらしい。金語楼プロダクションの若手、平凡太郎や谷村昌彦(森川信の弟子だった)は軽演劇の伝統の色が濃いが、藤村や逗子はその臭みがうすい。三木鶏郎という人は芸名をつけるのがうまい。自身の名前も、最初三木トリオ(ミッキイマウスの三木だ)だったというが、トリローというほうがユニークだ。
河井坊茶も逗子とんぼも、鶏郎が名付親。皆で海水浴に行ったとき、逗子とんぼという名前が誕生したという。これもうまい。いかにも軽くて、さわやかで、本人にぴったりだ。
但《ただ》し、万年坊やのような本人の感じとあいまって、軽すぎる印象で半面損をしたかもしれない。当今のお方は、へええと思うかもしれないが、藤村と逗子、この時期、テレビ局がまだ整備されず、ずっしりと重量感のある番組が制作できなかったころは、うってつけのタレントだった。
二人ともすぐに神風タレントになる。NHKの夜十時台、当時としてはおそい時間に(創生期の終わりごろだ)�若い季節�というミュージカルコメディみたいな番組が続いており、売出しの若手タレントが大勢出ていて、その中心がこの二人だった。
愛称�バンサ�の藤村有弘は先代タモリ(というより当時としてはダニー・ケイの線を狙《ねら》ったか)の達者さと、ふわッとした色気があり、水商売の女性に圧倒的にもてた。そのせいか糖尿で早世したが、上昇時は楽しいタレントだった。
逗子とんぼのほうは万年青年の風貌《ふうぼう》で、青春コメディにはうってつけのタイプだったが、そのわりに色気に乏しい。またそこがどの番組に出ても邪魔にならない利点もあり、このころとにかくベタに出ていた。
彼は私の小学校の一級下で、高橋|昌也《まさや》と同級だ。戦後、この小学校を卒業した有名人にいち早くなった。もっとも彼にいわせると神風タレントのわりに稼《かせ》ぎはすくなかった由《よし》。
トリローグループで、あの野坂昭如がとんぼのマネジャーだったことがあるらしい。
今でもはっきりおぼえているが、昭和三十年代に、スピードクイズという番組があり、出題が出ると同時に、解答者(一般の人たち)がボタンを押す。すると卓上のランプが点灯し、いちばん早かった人が解答する権利を得る。ボタンを押すスピードを競うわけで、だからスピードクイズ。
今なら機械でちゃんと計るのだろうが当時だから司会者が肉眼で、どの卓の点灯がいちばん早いかを見るのである。
それほどむずかしい問題ではないし、皆競争のつもりでいっせいにボタンが押される。
その司会者が逗子とんぼだった。
「いいですか、出題がすんだら、すぐにボタンを押してください。答がわかった人だけですよ」
しかし、ドドッとどの卓も点灯されて、「あ、あ——、ええと、どっちが早かったかな——」
とんぼがあわてるのである。
「今のは、ええと、A卓のほうにしましょうか。え? Bのほうが早い?」
やっとまとめて、
「次の出題、ちゃんと押してくださいよ。今度はよく見てるから、いいですか」
出題がすむと、
「あ、あ——、だからさ、いやンなっちゃうな。どっちだろう。ねえ、どっちが早かった?」
解答者に訊《き》いたりしている。何回やってもこれで、とんぼのあわてぶりが、仕組まれてないだけに実におかしい。あわてふためいているだけで三十分終わって、次の週、期待してまた観《み》ていると、先週のまんま、やっぱりあわてている。いや、とんぼは気の毒なほど懸命にやっているのだが、なにか硬いところがあって、どうしてもスピードについていけない。
毎週、腹を抱えて三十分、笑い転げた。何回やっても少しも改良されないし、慣れもしないというところがいい。
それで三週か四週やって、司会者をおろされた。この話をして、あれ、実におもしろかった、というととんぼは嫌《いや》な顔をする。野坂氏の話では、交代した司会者がなんとライバルの藤村有弘。とんぼはあの番組をおろされたあたりから、仕事が減りだしたらしい。これでは嫌な顔をするはずで、悪いことをいったと思う。
しかし私の観た番組の中で、これはベスト3に入るおもしろさだった。そうして藤村有弘が司会したら器用にまとまってしまって、少しもおもしろくなかった。当時、なぜとんぼをおろしたのか、身びいきでなく私は憤慨したものだ。
スムーズにまとめようとするなら、番組の作り方もわるい。スピードを生かすなら、問題をむずかしくして、皆が一度に点灯させないような工夫があってしかるべきだ。またとんぼも、開き直って、あわてふためき恰好にならず、を逆に売っていくような豪胆さがあってもいい。
私はそのことをとんぼにいいたくて、例をあげたのだ。地のおかしさだから、芸じゃないから嫌だ、というのはテレビの場合、あまり通じない。かえって作為されないおかしさのほうに乗っていくべきだと思う。
強烈な個性で売るタイプでないから、あわてふためきが単なる地でしかない。自分の路線は別だと彼は思っていたかもしれない。とんぼはもともと清水金一の弟子で、今でもシミキンに私淑しているようだ。しかしまた、シミキンがその個性ゆえに周囲とアンサンブルがとれず、凋落《ちようらく》していったところを眺めている。
一言でいえば、シミキンをまァるくしたようなのがとんぼなのだ。まァるいのはいいが、シミキンが持っていた八方破れの迫力やスケールが、とんぼに乏しい。
私は細かい経緯は知らないが、とんぼも、意外なほどテレビの表面から消え去った。楽天的な男だけれど、辛《つら》かったにちがいない。
けれども、これまた意外に、ねばりっこくもあって、売れなくなっても、この道一本である。ひところ、お祭りの屋台の演芸で見たという人があり、無声映画鑑賞会に行ったら弁士まがいで現われたことがある。
母一人子一人、無類の明るさで、会うと古い映画の話ばかりしている。そうして年一回の目標で、そのたびにスタッフキャストを集めて劇団活動をしている。興行師は酷薄だから、今ごろ、軽演劇の小一座にいい条件で小屋は貸さない。彼は一年間、金を貯《た》めては劇団活動でその金を四散させるのである。嬉《うれ》しいことに小学校同級生の高橋昌也が、毎公演、応援に観に来るそうだ。
もうこのまま結婚などしないのかと思っていたが、やっぱり、かなり長くなじんでいた女性が居た。彼女はビルの持ち主だ。
「そうか、パトロンが居たのか」
「パトロンなんかじゃないよ。俺《おれ》、たかってない。彼女のビルの一階にギョーザ屋があってね。仕事のないときはそこで皿運びをしている。時間給でね。その金を全部貯めておいて、芝居をやるんだ」
昨年は浅草公会堂でやった。もう十回以上やっているだろう。古い軽演劇の役者が脇《わき》を固め、それなりに応援する客も集まる。
先日、野坂氏と呑《の》んだ折に、
「とんぼは一年間アルバイトした金を貯めて、年一回、まだ劇団をやってるよ。軽演劇も、同人誌みたいに身銭を切ってでなければ、できなくなったようだね」
「すごいなァ。あいつ、えらいところあるなァ」
野坂氏は昔を思いおこす顔つきになった。
先日、その女性を私のところに伴ってきたから、いずれ正式に女房にするのだろう。特に大向こうを唸《うな》らせるようなことをするわけじゃないが、彼は彼の思う道を一生懸命に歩いている。そういうところが非常にいい。まだ五十代だ。巻き返しだって利《き》く。とんぼがんばれ。
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