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なつかしい芸人たち28

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:忍従のヒロイン    川崎弘子《かわさきひろこ》のこと川崎弘子の映画《ヴイデオ》、お手持ちなら拝借ねがえまいか。と、さる
(单词翻译:双击或拖选)
忍従のヒロイン
    —川崎弘子《かわさきひろこ》のこと—

——川崎弘子の映画《ヴイデオ》、お手持ちなら拝借ねがえまいか。
と、さるお方から声がかかった。
——実は小学生時分から好きで、しかも彼女の映画をまだ一度も観《み》たことがないのでね。
そのお方のご意見では、往年の映画の代表的な立派な顔は阪東妻三郎《バンツマ》だとおっしゃる。
そういわれてみると、バンツマと川崎弘子、この二人の名前をあげただけで、トーキー初期の日本映画というものをいいつくしているようなところがある。
若きバンツマはまだ剣豪ではなくて、単騎で世間に歯向かって斬《き》り殺される悲愴美《ひそうび》のイメージが強かったし、川崎弘子は典型的な薄幸の女だった。両人ともに活動写真のうさん臭さ(この場合いい意味のだ)を備えていてよろしい。
田中絹代でなく、川崎弘子というところが、ひとつ捻《ひね》った趣がある。
松竹女性映画の基本パターンは、菊池寛の大衆小説を踏襲して、ブルジョアの娘と庶民の娘が一人の男を取り合うという図式。結局、男は庶民の娘を選ぶ。それまでは世間やライバルから与えられる受難を耐えていかねばならない。
だから哀愁型美人がいい。地味作りで和服だ。束髪というのがこれらのヒロインに似合った。
栗島《くりしま》すみ子は貫禄《かんろく》型でこの路線からはずれるが、田中絹代→川崎弘子はがっちりとこのラインを固めた。戦争が烈《はげ》しくならなかったら、水戸光子がこの後を継いだかもしれない。一方、ブルジョア型は、逢初夢子《あいぞめゆめこ》、水久保澄子の初期はちょっと弱く、中期に高杉早苗《たかすぎさなえ》が現われて威力が強まり、木暮実千代《こぐれみちよ》が続いた。
男性社会で、女性受難のメロドラマはそれなりのリアリティがあった。観客は、自分たちの代表である庶民の娘に肩入れしながら、一方、ブルジョア娘のモダンな立居振舞に羨望《せんぼう》の眼《め》を向ける。
田中絹代は十代の愛くるしい時分から出ているせいか、忍従のヒロイン以外にも、�花嫁の寝言�とか�絹代の初恋�とか軽喜劇の色にも映った時期があった。川崎弘子のほうは、私のイメージでは、終始一貫、薄幸の女の役どころだった。たしかに美人だが、ひとつ強い表情があって、ということは表情に変化が乏しくて、今でも私の頭に浮かぶ彼女の顔に曖昧《あいまい》なところがない。セリフも、明瞭《めいりよう》ではあるが一本調子で、ポロリ、ポロリ、と硬くきこえる。田中絹代も、これは下関|訛《なま》りだそうだが、ポロリ、ポロリ、という感じのセリフだった。
絹代は長い時間をかけて、忍従の形を昇華させていったようで、特に晩年には極北に迫るような絶品を残したが、川崎弘子はそこまで役者に執着しなかった。絹代がエースだとすると、川崎弘子はリリーフ投手か。但《ただ》し、そのかわり、忍従と裏腹の恨みがましさや、屈折した怒りの表情が、絹代よりもずっと強い。
なんの映画だったか、川崎弘子が親代りの長女で、水商売で働いて妹たちの学資を出す。その果てに殺人を犯し、女検事になった妹の初法廷で裁きを受けるという、滝の白糸をもじったような筋のがあったが、無言で被告席に居る彼女の表情がよくて、そこだけ印象に強く残っている。(�新女性問答�だったか?)
忍従といっても、弱々しく泣きむせんでいる彼女は平凡で、無言できっとしているときがよろしい。たくさん見ているわけではないが、女性受難ドラマの集大成のごとき�人妻椿《ひとづまつばき》�はもちろん、�新道��すみだ川�、それに戦後の�大阪の宿�でもそうだ。子供のための前借を拒否されて、一瞬ちらっと見せる憎しみ(恨み)の表情が、ふだんおとなしいだけに印象に刺さる。強いひとつの表情というのはそれである。
 女優王国といわれて百花|繚乱《りようらん》だったのは昭和十年代で、その前、無声からトーキー初期の松竹は、栗島すみ子がトウがたち、田中絹代が孤軍奮闘という時期があった。いいタイミングで川崎市のガラス工場からスカウトされる。芸名は簡単で、川崎大師のそばに住んでいたから、弘法大師の弘で、川崎弘子。
武骨な私の父が、女工さんからスターに、という彼女の経緯を知っていたから相当有名なエピソードだったのだろう。当時も世間は物見高く、桑野通子《くわのみちこ》の前身が森永スィートガール、水戸光子が万平ホテルのウェイトレス、三浦光子が日劇ダンシングチーム、高峰三枝子《たかみねみえこ》が筑前琵琶《ちくぜんびわ》の娘で、高杉早苗が新橋ダンスホールのダンサー、というくらいは子供の私でも知っていた。もともと映画の世界の魅力はシンデレラ物語にあるのだから、前身が窮乏しているほど魅力が生ずる。だから、親と早く死別したとか、家業が倒産したとかいう話が女優さんにつきもので、絹代も弘子も、倒産と父死亡が重なっている。絹代は小学校も出ていないし、弘子も十五歳で働きに出ている。
他人眼《ひとめ》には幸運で有頂天になってもよさそうに思えるが、弘子は案外に、女優|稼業《かぎよう》に執着を見せなかったらしい。口癖のように「平凡な一生を送りたい」といっていたという。
同時期に二枚目スターだった結城《ゆうき》一郎が書いた�実録|蒲田《かまた》行進曲�という本の中に彼女のエピソードが記されている。
それは�人生の風車�という映画の一場面で、彼女に暴力をふるうところがあり、監督の命令で迫力を出すために、本当に殴ったり蹴《け》ったりした。彼女は歯をくいしばって音をあげなかった。ちょっとした彼女のミスでその長いカットが撮り直しになり、夏の暑い最中、再度暴力シーンを撮った。ふと気がつくと着ているはずの上衣《うわぎ》を、うっかり脱いだまま撮ってしまった。これでは前のカットと続かない。私は平謝りに謝り、三度目の暴力シーン。気の毒な川崎くんは、苦笑しただけで、三度目の踏んだり蹴ったりを我慢しとおしてくれた。
その夜、お詫《わ》びに料亭で食事をしているうちに、高揚し、キスしていいかい、というと、私の顔をまじまじと見ているきりで、はっきりした反応がない。軽く抱いて接吻《せつぷん》したが、身動きもせず、人形のように私の接吻に答えている。——
結城氏は、いかに従順でも彼女のようでは嬉《うれ》しくない、精神的不感症なのかもしれない、と記している。
ところが人気絶頂の最中に、画家|青木繁《あおきしげる》の息子で当時プレイボーイの名が高かった福田蘭童《ふくだらんどう》さんとアツアツになり結婚してしまう。いろんな女と結婚の約束を反故《ほご》にして話題をまいた蘭童さんだから、二カ月|保《も》つまいといわれたのが終生の縁になったのだから、結城氏とのときは、無言でじっときつい表情をしていたのだろう。結婚で人気が落ちても意に介さなかったという。
スターになっても驕《おご》らない女優さんは居るだろうけれど、川崎弘子のように終始引っこみ思案だった例は珍しいのではなかろうか。共通項の多い田中絹代のほうは、実生活では意外にフラッパーだったというが。
 ご亭主の福田蘭童さんとも、ご子息の石橋エータローさんとも、マージャンのほうの縁があってたびたびお目にかかっている。お宅に伺ったことはないが、渋谷に�三漁洞《さんぎよどう》�というエータローさんのお店があって、ときおり顔を出したりしていた。魚料理の店だがファミリームードがあって、エータロー夫妻と一緒に川崎弘子さんも甲斐甲斐《かいがい》しく立ち働いていた。たまに蘭童さんが隅《すみ》で呑《の》んでいたり。
年輪は増しても美しさは衰えておらず当たり前だが、映画の中とまったく同じ顔をしていた。といって澄ましているわけでもないし偉ぶったりもしない。一生平凡に暮したい、という彼女の言葉どおり、元スターの気配もない。どこにでも居そうな、ゆかしい人柄《ひとがら》のママという感じだった。
一度、開店の少し前の早いときに立ち寄ってしまって、戸を開けてくれた川崎さんに、いつもの古風で丁寧な挨拶《あいさつ》をされ、セリフのようにはっきりと、折角でございますが——、といわれて、あわててお辞儀をして退いたことがある。
そこを押し返して、では中で待たせてください、といっていえない時間でもなかったが、やっぱり川崎弘子という貫禄のようなものがあって、ただのママとはちがうのだった。
そのとき店の中に居坐《いすわ》って、茶でも呑みながら話を交したとすると、女優時代に関するどのみち失礼な質問になるはずだったと思う。平凡な主婦で安定した彼女の中に、映画の中でときおり見せる怒りや憎しみのきつい表情がどんなふうに存在しているのか、そうストレートには訊《き》けないが、なんとか探ってみたかった。
と、ここまで記して、昔のへんな記憶が蘇《よみがえ》った。戦時中の中学時代、突然職員室に呼びつけられて、補導担当の教頭と担任教師から烈《はげ》しく叱責《しつせき》された。別の学校の補導員が、学校に近い巣鴨《すがも》の映画館で、夜、映画を観ていた私を補導した、という連絡が入っているという。
私は学校を代表する言行のわるい生徒で、そうしたことがあってもなんの不思議もない。生徒の誰かが補導されて私の名前を名乗ったかもしれない。調べて貰《もら》えばアリバイなどいくらもあったが、頭ごなしにきめつけられて殴る蹴るされ、二日間の謹慎を喰《くら》った。もっとも私は小学生時代から日常茶飯にこの禁を犯しており、この罪科は仕方がないとも思った。しかし、そのとき私は彼女流の憎しみの眼つきで、教師を含む世間を見ていたはずだ。その週に巣鴨の映画館で上映していたのは川崎弘子と上原謙の�すみだ川�で、復讐《ふくしゆう》のために謹慎中に観に行った。
今考えれば、そうした表情を彼女の幼少期の環境とか劣等感などに結びつけるのは失礼の上に不正確なことで、誰でも持っている一つの表情が、たまたま生かされたのであろう。私だって、昔の記憶はうすれているが、そのときの表情はいまだにいつも隠し持っている。
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