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なつかしい芸人たち32

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:本物の奇人    左卜全《ひだりぼくぜん》のこと昭和初期の新宿という盛り場の中心部は、今の三越にコンパスの基点をおき、新
(单词翻译:双击或拖选)
本物の奇人
    —左卜全《ひだりぼくぜん》のこと—

昭和初期の新宿という盛り場の中心部は、今の三越にコンパスの基点をおき、新宿駅までを半径にして、ぐるっと円を描いた部分だ。靖国《やすくに》通りも歌舞伎町《かぶきちよう》も当時はまだなかった。
シュウマイの早川亭の角を曲がって武蔵野館の前をとおり甲州街道の下をくぐる通りを、馬糞《ばふん》横丁といって、馬方《うまかた》食堂なんて店もあり、私の子供時分には貨物駅に行く荷馬車をよく見かけた。ムーランルージュは今のコメディシアターのあたりだったと思う。パリに同名の劇場がある由《よし》で、それを模して屋根に大きな赤い風車があった。その名は知られていたけれど、実にどうも、ぼろっちい小さい小屋で、ウインドウの中の絵看板もくすんでおり、浅草あたりのとくらべて無愛想で華やぎがすこしもない。
私はマイナー好きだから、こんな貧相な小屋で、不幸な役者がどんな寒々しいことを演《や》っているのかと思って、入ると案外|混《こ》んでいる。もっとも私のような子供は一人も居なくて、学生や若い勤め人ばかりだった。そうしてときおり静かな笑声をたてる。
浅草とちがって、ギャグはおとなしく芝居も地味で子供にはどうも退屈だが、小ぢんまりとしているところがなんだか親類意識を駆りたてて、もう一度行って退屈してみようかという気にさせる。その時分、私はムーランの生活スケッチのような芝居が、学生層にあんなに人気があるとは知らなかった。
私が行きだしたのは戦前ムーランの後期で、藤尾|純《じゆん》、森野|鍛冶哉《かじや》、沢村い紀雄、大友|壮之介《そうのすけ》、水町庸子、姫宮接子、望月美恵子(優子)などはすでに卒業し、有馬|是馬《これま》、佐藤久雄、山口正太郎、外崎恵美子、池上喜代子、明日待子《あしたまつこ》、小柳ナナ子などで、太平洋戦争が始まりカタカナ名詞がいかんというので、ムーラン改め作文館と改称したころは、さらに顔ぶれが減っていた。
浅草で有名無名の珍優をたくさん観《み》ていた私が、やっぱり眼《め》をみはったのが左卜全。当時ムーランは芝居三本、ヴァラエティ一本の四本立てだったが、この四本のどこにも卜全の役がないらしく、通行人みたいな役で出てきたり、ヴァラエティの中のムー哲(ムーラン哲学)という一景にしか出ていなかったりする。かと思えば主演したり。
私は観ていないが、先輩の話だと小崎政房作�吸殻《すいがら》往生�という登場人物二人で対話するだけの、どこか�ゴドーを待ちながら�にも似た劇で、浮浪者の左卜全が秀抜で、以来、小崎政房にうまく使われて根強い卜全ファンというのが居るようだった。
ツボにはまったら秀抜だろうという感じはわかる。が、名優とか名演技とかいうのともちがう。後年有名になってからと同じだが、もっとブロークンで、セリフは忘れる、きっかけははずす、それでいてほかの役者のセリフ中に、突然眼を剥《む》いて、ゲゲゲ、と笑ったりする。ではドタバタかというとそうではなくて、本人の気のままに、自然体で劇中に居《お》り、それがなんだか奇妙だという感じ。
平凡に使えば老《ふ》け役なのだろうけど、けっしてそういうアンサンブルはとれないので、脇《わき》ではおさまりがわるい。使えば主役ということになる。
当時の座付作者の横倉辰次さんの文章では「端役《はやく》だと手抜きしてセリフもろくに覚えない。そのくせこれは受ける役だと思うと急に熱心になる。文句をいうとトボけて、私は頭が悪くてねえ、下手な役者ですね——でケロリとしている。変人だというが、いけ太い人間だ」ということになる。
卜全の奇行ぶりは楽屋だけでなく客席のほうでも有名で、箇条書きにすると、
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㈰薬草をつんできて楽屋で干す。
㈪服装は着たきり雀《すずめ》で乞食《こじき》に近い。
㈫いつも松葉杖《まつばづえ》をついているが、バスに乗りおくれそうになって、杖をかついで駈《か》けだした。
㈬楽屋で定時になると体操をはじめ、奇声をあげてお祈りをとなえる。
㈭女性の生神《いきがみ》さまを信奉していて収入は全部|捧《ささ》げてしまう。不便に耐えかねて彼女と結婚し、生神さまから毎日五十銭渡されて劇場に来る。
[#ここで字下げ終わり]
楽屋での奇行はともかく、女性の生神さまは実は男で、皇道なんとか教の教祖だったと未亡人の著書�奇人でけっこう�に記してある。著書を読んでももうひとつわかりにくいが、給料をすべて納めていたのは事実で、だから卜全は十年間も無収入同然だったという。結婚すると死ぬ、といわれて五十二歳まで独身。その老師が亡《な》くなってはじめて現未亡人と世帯を持つ。それまでは老師の許《もと》に小僧のように仮寓《かぐう》していた。
未亡人が老師の悪口をいったとき、
「教えと人格は別だ。わきまえろッ」
といった。こういう所は左卜全の面目が溢《あふ》れている。
松葉杖は突発性|脱疽《だつそ》のためで、舞台でも片脚を曳《ひ》きずるような歩き方をしていた。一説によると、片脚切断を拒否して医者に行かず、老師のお祈りで小康を得てからの関係だというが、老師なるもの実に見事な搾取《さくしゆ》ぶりで、卜全の弟が見かねて下着をくれたとき、
「品位のない真似《まね》をするな、返して来い」
と叱《しか》られたという。老師も卜全も似たような奇人でウマが合ったのかもしれない。
未亡人の記述によると、彼は若いころ、脳を病んだことがあるそうで(重症のノイローゼというところか)そのせいかどうか、なにか非常に高邁《こうまい》な精神生活に浸りこむ面と、意志薄弱でだらしがない部分とが同居していたらしい。埼玉県の神官の家系の出で、父親は教育者だから異端児は理解されない。作男たちまで彼を狂人視していたらしいが、私も似たようなものでこういう話はすこしも驚かない。古い家系の衰えた血のせいで、非生産的なタイプがよく生まれてくる。
もっともケロッとしてチョロイ面もあって、ムーラン時代は比較的仲のよかった山口正太郎が細工して、昇給分を別封筒にして貰《もら》って、卜全の小遣用に渡していたらしいし、松竹に引き抜かれたときは、横尾泥海男《よこおでかお》が、老師用に二百円、別に百円と二つの給料袋をこしらえて、二人で玉の井などに遊びに行ったらしい。
松竹|傘下《さんか》の�笑の王国��青春座�と戦争中をすごす。卜全と浅草は水と油かと思ったが、そうでもなくて、宮本武蔵で沢庵和尚《たくあんおしよう》をやり、姿三四郎では志村喬の演った村井半助という落魄《らくはく》の柔道家をやる。神官、易者、学校の用務員、八十歳くらいの曾祖父《そうそふ》なんていうのがお似合いで、マイペースだった。禿鬘《はげづら》などかぶると後年と同じ顔で、だから未亡人の著作で十代の彼の写真など見ると、どうしても噴きだしてしまう。
空襲期に入るすこし前から私は中学を無期停学になり、建前は家で謹慎だが、天下晴れたような恰好《かつこう》で浅草に入り浸っていた。当時、山茶花究が牛込柳町に、左卜全が牛込北町に、私の生家と眼と鼻の所に仮寓しており、都電を乗りついでよく一緒に帰ってきた。山茶花究はあの苛烈《かれつ》な時期にパピナール中毒で注射器を手離さないという偉い男で、誰かついてないと電車の中で眠ってしまう。卜全は松葉杖。坊や、一緒に帰ってやんな、と劇場の誰かにいわれて一緒に帰るが、両人ともに中学生などに関心はない。無言でただ一緒に帰るだけだ。卜全の如《ごと》きは私など視野に入ってなかったろう。私はそういうことはたいして気にならない。
噂《うわさ》を信じて女教祖が居ると思っていたから、仮寓先には寄りつかなかったが、後年きくとそこは私の小学校の同級生の家で、卜全は離家で自炊していたという。
浅草が焼けて、松竹の移動演劇隊に参加したときいたが、同じころ、有楽町の邦楽座に端役でひょっこり出ていた。明治物の芝居で、卜全の刑事が犯人と格闘するところがあって、足がわるいのに気の毒だなァと思って観ていた。
なんといっても忘れられないのは、敗戦から一カ月目くらいのころ、進駐軍の放出物資の配給が近くの小学校であり、昼さがり、リュックを持って受け取りに行くと、背中のほうで朗々たる唄声《うたごえ》がきこえる。卜全だな、とすぐにわかったが、話すこともないから、そのままゆっくり歩いた。卜全は足がわるいから歩行がおそい(松葉杖はこのときついてなかった)。都電も復活してないし人通りもない。切れた電線を避けながら、彼は声量のある声で(帝劇ローシーオペラ出身だ)ベアトリ姐《ねえ》ちゃんをくりかえし歌う。そのうち歌詞が同じなのにあきたらしく、アドリブで思いつきの歌詞になる。それが目茶苦茶で、おかしい。
小学校の校庭で缶詰《かんづめ》類を受けとり、帰りもやっぱり私が十メートルほど先で、卜全の唄はブン大将になったり、快賊ディアボロになったりする。世相とは無関係の屈託のない声で、病苦、無一文、天涯《てんがい》孤独と三つ重なった卜全が陶然となっていた場面が忘れられない。
細君を得てから舞台の合間に、脱疽の治療にかかり、十年かけて断食と食餌《しよくじ》療法でなおした。
——足はやっと治った。これからは脳の病いを治すのだ。
とそのときの日記に記してある由。
電車の中で新聞や週刊誌をひろってきて、自分の関心のある部分だけ切り取って貯《た》めておく。しかし、読まない。そうして、ああ、僕はものが読めない、といってなやむ。そういうなやみ方をする人で、だから何気ない人の一言に傷ついてそれを生涯恨む。多感多恨病というか、そこに意志薄弱が同居していて統率がとれないが、わかりにくいようでわかる気もする。
私は左卜全の、演技でなく自然体にも見える輻輳《ふくそう》した持味が、終始好きだった。黒沢明の�生きる�における通夜《つや》の場面の、珍しくアンサンブルのいい演技が世評で高かったけれど、私の個人的な好みでいうと、役者っぽい卜全は、卜全の贋者《にせもの》のように思えてしまう。卜全はムーラン時代のブロークンな味がいちばんよかったのかもしれない。映画でも一場面《ワンシーン》だけの端役というようなものにかえって存在感を感じる。
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