冷麦《ひやむぎ》やソーメンを、食ったって、どれだけ涼しくなるわけのものでもないが、衰えた夏の食欲を、そそる力があるのは、確かだろう。
でも、私は、冷麦よりも、ソーメンを好む。夏でなくても、ソーメンの味は、ニューメンにしても、悪くないのだから、元来、好きなのだろう。その癖、産地のことを、やかましくいったことがない。油くさい、柔かいのは、ご免だが、三輪ソーメンでも、松山産のでも、岡山出身の友人が、よく送ってくれるのでも、皆、私には結構だった。
薩摩も、ソーメンをよく食うところで、川内市だったか、清流の巌の中で、ソーメンを冷やして食べる風習があるが、風流ではあっても、巌の底に、ソーメンの食べ残しが、白く残ってたら、汚ならしいだろう。といって、京都あたりで、ソーメンを竹の樋で流して、自分の前へきたのを、箸でつまむという食べ方もあったが、少し細工が過ぎるようだ。
薩摩の人は、ソーメンをさかなにして、焼酎を飲むらしいが、その盃が、豆のように小さく、何か、上等の陶器だったことを、覚えてる。あの地方の人は、焼酎に水を割り、燗をするのだが、ソーメンをサカナにする時は生《き》のままで飲む。ソーメンの水分を、勘定に入れて、そうするのだろう。
麺状をしてるので、思い出したが、京都の菓子屋の鍵善で、葛切りというものを、食べさせるが、あれも、夏の食べ物にちがいない。よい葛を用い、よい糖蜜をかけてあるから、あんな趣向を凝らした容器に入れなくても、ずいぶん美味を、感じさせるだろう。昔の京都人は、冷やした葛のようなものを食べて、充分に、涼気を味わってたのだろう。今では、葛切りも、年中売ってるようだが、恐らく、アイス・クリームは、季節を問わず、食べられるから、和菓子だって、同様の権利を、主張したのだろう。
でも、私は、冷麦よりも、ソーメンを好む。夏でなくても、ソーメンの味は、ニューメンにしても、悪くないのだから、元来、好きなのだろう。その癖、産地のことを、やかましくいったことがない。油くさい、柔かいのは、ご免だが、三輪ソーメンでも、松山産のでも、岡山出身の友人が、よく送ってくれるのでも、皆、私には結構だった。
薩摩も、ソーメンをよく食うところで、川内市だったか、清流の巌の中で、ソーメンを冷やして食べる風習があるが、風流ではあっても、巌の底に、ソーメンの食べ残しが、白く残ってたら、汚ならしいだろう。といって、京都あたりで、ソーメンを竹の樋で流して、自分の前へきたのを、箸でつまむという食べ方もあったが、少し細工が過ぎるようだ。
薩摩の人は、ソーメンをさかなにして、焼酎を飲むらしいが、その盃が、豆のように小さく、何か、上等の陶器だったことを、覚えてる。あの地方の人は、焼酎に水を割り、燗をするのだが、ソーメンをサカナにする時は生《き》のままで飲む。ソーメンの水分を、勘定に入れて、そうするのだろう。
麺状をしてるので、思い出したが、京都の菓子屋の鍵善で、葛切りというものを、食べさせるが、あれも、夏の食べ物にちがいない。よい葛を用い、よい糖蜜をかけてあるから、あんな趣向を凝らした容器に入れなくても、ずいぶん美味を、感じさせるだろう。昔の京都人は、冷やした葛のようなものを食べて、充分に、涼気を味わってたのだろう。今では、葛切りも、年中売ってるようだが、恐らく、アイス・クリームは、季節を問わず、食べられるから、和菓子だって、同様の権利を、主張したのだろう。