九月という月は、月初めと終りでは、温度も、風物も、だいぶ差がある。一と月足らずの間に、ずいぶん、世界がちがってくるというのは、面白い月である。
彼岸を迎えると、秋意が明らかになってくるが、それも、その年の陽気によって、いろいろである。秋の訪れが、大変早い年があり、そうでない年がある。私はその遅速を、彼岸の仏さまにあげる五目ズシに、松茸が入るか、入らないかで、感じとる。私の家では、おハギは面倒くさいので、五目ズシが例だが、やっと出た松茸を入れる年がある。無論、秋の早い年である。これは、春のタケノコと、まったく同じであって、五目ズシの具に、タケノコが入ってれば、暖かい年といえる。
彼岸沙魚《ひがんはぜ》という、語がある。春の彼岸にも、秋の彼岸にも、よく釣れ、味もいいのだろうが、私は、秋の方に、親しみを感じる。私の故郷は横浜で、少年時代には、桜木町駅から、ちょっと海に寄った川のあたりで、よく、ハゼが釣れた。私は今もって、釣りは不得手なのだが、そこへ行くと、ずいぶん釣れた。もっとも、ダボ・ハゼというのが、多かった。もう、あの辺は、釣りどころではないだろう。東京でも、ハゼ釣りの舟の出るところはあるらしいが、釣れたハゼが、臭くて、食べられないそうである。
私は、一時、ハゼのテンプラに、凝ったことがあった。どうも、ハゼのテンプラがウマくて、ウマくて、堪らなくて、テンプラ屋へ行くと、そればかり註文した。あの軽さと、身の白さと脆さが、何ともいえなかった。ハゼも、飴煮のようなことをするが、私はウマサを感ぜず、ただ、テンプラ一辺倒だった。
しかし、何かの機会で、ふと、ギンポ党に転じて、ハゼを二の次ぎにしたが、それでも、エビを食うよりは、ハゼの方がいいと、思ってる。
ハゼは、多量に釣れるから、釣った人は、素焼きにして、保存するが、焼きハゼからとったダシは、そう不味なものではない。昔は、川崎大師や、穴守稲荷へ行くと、よく焼きハゼを売ってたが、この頃は、見かけなくなった。
ゴリという魚は、外観は、ダボ・ハゼに似てるが、学問的には、どうなのか。私は戦前に、金沢へ遊びに行って、例のゴリ屋へ寄ったのが、あの魚の味を知った最初だが、ほんとに、ウマいと思った。照り焼きと、カラ揚げと、味噌汁にして、出された。その時は、秋の半ばで、風情のある川沿いの景色に、紅葉が色づいてた。そして、すでにシナ事変が始まって、昼酒は禁止なのに、土瓶へ入れた酒を出してくれたのが、とても、うれしかった。そのせいで、あの店が気に入ったのかも、知れない。
その時に、得体の知れぬ魚のアライを、出された。身に甘味があって、少しグニャグニャしてる欠点はあったが、結構だと思った。そして、給仕の女中さんは、
「何の魚か、当ててご覧なさい」
と、ニヤニヤ、笑ってる。
どうせ、川魚と思ったが、鮒でもなく、草魚でもなく、遂にカブトを脱いだ。
「ナマズですよ」
これには、唖然とした。ナマズのナマを食わされて、気味が悪かったというものの、ウマかったから、文句はいえないと思った。帰りに、この店のイケスを見せてもらったが、山から清冽な水が湧き、その水槽に一週間ぐらい放して置くと、ナマズの泥臭さが、消えるということだった。
彼岸を迎えると、秋意が明らかになってくるが、それも、その年の陽気によって、いろいろである。秋の訪れが、大変早い年があり、そうでない年がある。私はその遅速を、彼岸の仏さまにあげる五目ズシに、松茸が入るか、入らないかで、感じとる。私の家では、おハギは面倒くさいので、五目ズシが例だが、やっと出た松茸を入れる年がある。無論、秋の早い年である。これは、春のタケノコと、まったく同じであって、五目ズシの具に、タケノコが入ってれば、暖かい年といえる。
彼岸沙魚《ひがんはぜ》という、語がある。春の彼岸にも、秋の彼岸にも、よく釣れ、味もいいのだろうが、私は、秋の方に、親しみを感じる。私の故郷は横浜で、少年時代には、桜木町駅から、ちょっと海に寄った川のあたりで、よく、ハゼが釣れた。私は今もって、釣りは不得手なのだが、そこへ行くと、ずいぶん釣れた。もっとも、ダボ・ハゼというのが、多かった。もう、あの辺は、釣りどころではないだろう。東京でも、ハゼ釣りの舟の出るところはあるらしいが、釣れたハゼが、臭くて、食べられないそうである。
私は、一時、ハゼのテンプラに、凝ったことがあった。どうも、ハゼのテンプラがウマくて、ウマくて、堪らなくて、テンプラ屋へ行くと、そればかり註文した。あの軽さと、身の白さと脆さが、何ともいえなかった。ハゼも、飴煮のようなことをするが、私はウマサを感ぜず、ただ、テンプラ一辺倒だった。
しかし、何かの機会で、ふと、ギンポ党に転じて、ハゼを二の次ぎにしたが、それでも、エビを食うよりは、ハゼの方がいいと、思ってる。
ハゼは、多量に釣れるから、釣った人は、素焼きにして、保存するが、焼きハゼからとったダシは、そう不味なものではない。昔は、川崎大師や、穴守稲荷へ行くと、よく焼きハゼを売ってたが、この頃は、見かけなくなった。
ゴリという魚は、外観は、ダボ・ハゼに似てるが、学問的には、どうなのか。私は戦前に、金沢へ遊びに行って、例のゴリ屋へ寄ったのが、あの魚の味を知った最初だが、ほんとに、ウマいと思った。照り焼きと、カラ揚げと、味噌汁にして、出された。その時は、秋の半ばで、風情のある川沿いの景色に、紅葉が色づいてた。そして、すでにシナ事変が始まって、昼酒は禁止なのに、土瓶へ入れた酒を出してくれたのが、とても、うれしかった。そのせいで、あの店が気に入ったのかも、知れない。
その時に、得体の知れぬ魚のアライを、出された。身に甘味があって、少しグニャグニャしてる欠点はあったが、結構だと思った。そして、給仕の女中さんは、
「何の魚か、当ててご覧なさい」
と、ニヤニヤ、笑ってる。
どうせ、川魚と思ったが、鮒でもなく、草魚でもなく、遂にカブトを脱いだ。
「ナマズですよ」
これには、唖然とした。ナマズのナマを食わされて、気味が悪かったというものの、ウマかったから、文句はいえないと思った。帰りに、この店のイケスを見せてもらったが、山から清冽な水が湧き、その水槽に一週間ぐらい放して置くと、ナマズの泥臭さが、消えるということだった。