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食味歳時記31

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:実  る01栗の実のツヤツヤした皮と、ザラサラしたお尻の部分とは、確かに、誰かの顔に似てる。栗のような感じの顔というのは、
(单词翻译:双击或拖选)
実  る01

栗の実のツヤツヤした皮と、ザラサラしたお尻の部分とは、確かに、誰かの顔に似てる。栗のような感じの顔というのは、日本人に多いのではないか。律儀で、勤勉で、少しガンコな中年男──そんな連想がある。そして、栗の実は、日本のお伽噺にも、人間と変らず、愛すべき役割りで、登場するではないか。
栗の実は、古い、日本の食べ物である。
そういう栗を、出盛りの頃になって、母親が、間食の時に、茹でてくれた。
「栗? うれしいな」
私たちは、ほんとに、うれしかった。
晴れた、穏やかな午後の日光が、庭にあふれ、母親は、縁近いところへ、栗をのせた盆を持ち出し、菜ッ切り包丁で、皮を剥いてくれる。丁寧に、皮を剥くから、時間がかかる。それを、待ち兼ねて、私と弟とは、争って、手を出す。
「お待ちなさい、順だよ」
と、いわれても、辛抱ができず、皮のままのを掴んで、口へ入れて、前歯で二つに割って、実をシゴき出すのだが、渋皮のシブさが邪魔で、やはり、母親が剥いてくれるのを待つ方が、悧巧だった。
そんなにウマい、栗の実だった。手が疲れて、母親が音《ね》をあげるまで、いくらでも、食べた記憶がある。
それなのに、現代の子供は、栗の実なぞ、問題にしなくなった。母親が、皮を剥いてやっても、二つか三つ食べて、座を立ってしまう。
「栗、ウマくないのか」
私は、訊いて見た。
「ケーキについてる栗なら、ウマいけど……」
秋の洋菓子には、よく栗が用いられるが、姿のままのにしても、漉したものにしても、タップリと、砂糖で、味つけがしてある。
それなら、ウマいというのである。茹でた栗の自然の甘さ、仄かな香りは、顧みられないのである。人工の甘さと、香料の匂いの方が勝利を獲るのである。そして、お伽噺に出てくる栗のことなぞ、まるで、考えないらしい。
現代の子供は、可哀そうである。周囲を、天然の味に背いた食べ物に、取り巻かれては、そうなるのは、当然である。
親は、有毒な色素や防腐剤から、子供を護ってやるだけでは、足りない。自然の味のウマさを、子供に教えるために、それを損うものを、遠ざけねばならない。子供の時から、もののほんとの味を知れば、正しい食いしん坊ができあがり、生涯を愉しむ幸福を、獲得するだろう。
それにしても、日本の栗は、美味である。
フランスの焼き栗なぞ、製法はまったく日本と同一であるが、ウマいとは思わない。ただ、秋の早いパリの宵に、町角の焼き栗屋の屋台を見出すことや、新聞紙の袋に入れた熱い焼き栗を、歩きながら食べることは、ちょいと詩情を誘うのである。
しかし、一袋の栗を、全部、平げた記憶はない。マズいのである。日本の栗のような、濃やかな味はない。匂いも、高くない。
パリ郊外のムードンの森なぞへ、秋に散歩に行くと、落ち栗が、いくらでも拾える。しかし、誰も拾ってる者はない。さすがは、富裕な国民は、ちがったものと、最初、私は感心したが、よく考えて見ると、栗がマズいからだろう。あんなものを、重い思いをして、提げて帰る気にならないのだろう。
栗がマズく、大味だから、フランス人は、マロン・グラッセというような、手の込んだ栗菓子を考えたのだろう。あっちで食べるマロン・グラッセは、確かにウマい。味も、匂いも、最高級菓子たるに恥じない。
それなのに、栗のウマい日本でつくるマロン・グラッセに、感心したことがない。私は、戦前に『沙羅乙女』という小説を書き、洋菓子のことを調べたが、その頃、六本木の�クローバー�は、至って小さな店だった。製造が主で、小売りはしてなかったろう。そこへ行って、生洋菓子の工程なぞ、見学させてもらったのだが、棚の上に、栗を漬けたガラスの壺があった。店の人に聞くと、マロン・グラッセの試作をやってるのだといった。その頃は、マロン・グラッセの名を知る人も少く、私は、日本人の研究心に感心した。でも、あれから三十数年経ち、国産品が出廻るようになったけれど、その味の方には、感心しないのである。
あれは、よほど、製法のむつかしいものと、思われる。ことによったら、フランスの栗でないと、うまく行かないのではないか。栗のウマい日本では、徒労であるのか。
フランス料理でも、秋になると、栗を添えたり、スタッフにするようだが、そういう場合、白ブドー酒が合うようである。軽便な一酌には、焼き栗をサカナに、ボルドーの白を、抜く人もある。
さて、フランスの栗が出る頃は、間髪を入れず、牡蠣《かき》ということになる。アケビの籠に詰めた生牡蠣が、レストオランやビストロの店先きに、積まれるようになれば、懐中いかに乏しくとも、軒を潜らずにいられない。好みの産地の初牡蠣を、カラのまま、レモンをかけて食う愉しみは、秋の恵みというより、一年中の口福の随一だろう。
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