今年は午《うま》年のせいか、馬肉を食えという議論が出てきた。モーターの普及で、馬が動力として用いられなくなり、競馬以外に人間の役に立たなくなったが、食肉としては、牛肉に劣らない栄養を持ってるから、大いに食えというのである。馬の身になったら、新年|匆々《そうそう》、エンギでもない。
私も学生時代にサクラ鍋を愛用したことがあり、近年では、諏訪へゴルフに行って、町の人にナマの馬肉を、饗応された。決して、まずいものではない。牛肉に比べると、ちょっとたよりないが、牛肉ではないと思って食えば、結構な味である。今でもそうなのだから、食用家畜として、品種や飼料の改良をすれば、馬肉奨励論者のいう如く、ずいぶんうまい獣肉になるだろう。
でも、何だか、可哀そうである。
牛や豚は、顔つきや体が人間に遠く、また、肉づきもタップリで、少し人間に分けてくれろという気にもなるが、馬の方は、万事スマートで、容貌も長い顔の人間に似てるといわれてる。そして、塩原多助の故事を持ち出さなくても、何か人情を解する如く見える。つまり、人に近い動物である。
その上、馬の歴史があって、源平の戦から日露戦争に至るまで、人間の戦いを助けた。大東亜戦争までは騎兵という兵科があった。運搬の方でも、トラックのない時代の引っ越しには、馬力という車に限られた。私なぞも何度かその厄介になった。
その馬を食うとなると、どうも困ってしまう。クジラで間に合わせては、どうだろうという気になる。
しかし、どんな理由があっても、馬は結局食われるだろう。食肉は不足してる上に、牛肉より安いというのが、運の尽きである。そして、日本の軍国主義に一役買ったから、懲らしめのために食ってやれという人も、出て来ないでもあるまい。