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食生活を探検する05

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:招待はナベものにかぎる ニューギニア高地のダニ族にごちそうをするとしたら、何をたべさせる? サシミだとか、テンプラは、お
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招待はナベものにかぎる

 ニューギニア高地のダニ族にごちそうをするとしたら、何をたべさせる? サシミだとか、テンプラは、おそらく気味わるがってたべないだろう。また、ハシやナイフ、フォークは使えない。ヤキイモをたべさせたら、まちがいはない。だが、これはかれらの常食であるから、特別ごちそうになったという気もおこすまい。
かれらの味付けに使う調味料は、塩だけ。塩は貴重品である。ときたま、もったいなさそうに野菜のむし焼き料理にふりかける。サトウキビ以上の甘味はない。砂糖をなめさせたら、甘すぎるためか、べつにうまそうな顔はしなかった。かれらは、動物性蛋白質にうえている。ブタをたべることが最上のごちそうである。
わたしたちが、ウギンバ部落のダニ族にふるまいをするときには、コンビーフと塩を使った料理をつくることとしていた。一番うけるのは、サツマイモの葉、あるいはキツネノゴマ科の一種で、かれらが食用に使う野草を入れたマゼメシをつくる。メシをたくときには、口がひん曲るほど塩を入れる。出来あがったメシのうえにコンビーフをのせる。これをナベのまま出す。すると、「ブタと塩、すばらしい」ということでもって、夢中になってたべてくれる。かれらは、ウシを見たことがないから、コンビーフもブタ肉とおもっている。もちろん手づかみだ。ごしょうばんするわたしたちには、塩味がきつすぎるのだが、そこはお客さん第一で、がまんすることとした。
ダニ族のように味にむずかしいお客さんや、イスラム教徒、ユダヤ教徒のように食物の材料にやかましいお客さんを食事に招待するときには、いろいろな配慮が必要である。だが、ふつうの外国人だったら、何も特別の料理をつくらなくてもよいではないか。
短期間日本に来た外国人は、スキヤキ、テンプラ、サシミといったたぐいの日本料理しか知らないのだから、お茶漬とか、菜っ葉のおひたしにメザシを焼いたものとか、インスタントラーメンのたぐいをたべさせたら、かえってめずらしくて、満足するかもしれない。
外国人を食事に招待するとなると、何か大変な災難が身にふりかかったように思いこみ、一週間も前から考えあぐんで、とどのつまりは料理屋へ連れていってお茶をにごすこととなる。
日本では、家庭でごちそうをするのは気のおけないお客さんであり、だいじなお客さんには料理屋でもてなしたほうが敬意を表したことになる。だが、料理屋でのごちそうは、食事料金を払ってくれただけのことであり、家庭での食事招待の心のこもったものには、およびもつかないと考える外国人が多いのである。また、家庭へ招待したあとでの、つきあいの深くなることは、いうまでもない。
商社の在外駐在員などで、こんなことはよくわかっているんだが、それでも、「今晩、ウチへメシを食いにこないか」ということばがだせないとなげくひとに何人か会った。女房がいないのでちゃんとした日本料理がつくれない。あるいは、何をたべさせたらよいのかわからないというのが、大きな理由である。
よろしい。つくるのに手間がかからず、誰にでもよろこばれるごちそうのつくりかたをお教えしましょう。水たきをつくることである。カシワの水たき、魚の水たき、チリナベ、スライスした肉を使ったシャブシャブまがいのもの、ブタナベ、ハムを材料に使った水たき、何でもけっこう。外地にいても何かしら水たきの材料はあるはずである。
醤油がなかったらマギーのソースでじゅうぶん。ダシ昆布がなくても、コンソメスープの素はどこでも売っている。これで代用なさい。野菜も手に入るものでよい。ネギ・白菜がなくては、などとかたいことはいわないこと。レタス、クレソン、キャベツ、マッシュルームなどの西洋野菜でもけっこうあう。材料をえらばぬことが水たきの特徴である。
水たきだったら、材料を洗って切るだけで準備完了。料理は各自がやってくれる。
肉、魚など主な材料と、野菜をテーブルのうえにならべる。このとき忘れてはならないのが、薬味だ。味付け用にあるかぎりの香辛料、調味料、薬味を総動員すること。塩、コショウ、トウガラシ、チリソース、ウスターソース、ケチャップ、マヨネーズ、醤油、マスタード、おろしチーズ、酢、サラダオイル、ネギのミジン切り、ダイコンおろし、ニンニクをおろしたもの、おろしショウガ、レモン……
材料はダシ汁で煮ただけで味はついていない。味付けは各自の好みにさせることがミソだ。
なかには、カシワの水たきに、塩、コショウ、サラダオイルにレモンをしぼりこんだチキンサラダみたいなものをつくって、うまいという者もでてくる。各種用意した薬味、調味料のたぐいから、お客さんが自分の責任において味付けをするのだから、主人が味付けに関してうらまれることはない。
いわば、水たきは材料だけ用意して、お客さん達に勝手に料理させるのだから一番手がかからない。自分でつくったものだから、まずいことはあり得ないという意識もはたらく。それに、手前味噌のたとえどおり、皆、自分の味付けが一番うまいと思いこんで、味自慢くらべになったりする。そして、皆、西洋料理ではめずらしいナベ料理のもつ雰囲気に満足してもらえる。
「同じ釜のメシを食った仲」ということばにあらわされるような共同飲食の連帯感がいつのまにか外国人との間でも生れてくるのである。学生のコンパは、連帯感あるいは仲間意識の再確認といった意味あいを持つものである。この場合、相もかわらずスキヤキ・コンパが多いのは、ナベもののもつ雰囲気が、ぴったりしているからであろう。
ともかく、外国人を食事に招待するとき、ナベもの料理にしたら、かならず満足してもらえる。
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