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食生活を探検する06

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:サツマイモ・ジェネレーション 奥地といわれるような場所で数カ月くらしていると、ときどき日本の食物に対する|妄想《もうそう
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サツマイモ・ジェネレーション

 奥地といわれるような場所で数カ月くらしていると、ときどき日本の食物に対する|妄想《もうそう》をいだく。電灯もなければ、映画館もなく、デートをする相手もいなかったりするので、妄想にふける時間はたっぷりある。あれこれとうまいものをたべたときのことを思いかえしたり、日本へ帰ったら、あれをたべてやろうと考えるのである。
妄想をいだくのは、きまって食料事情の悪いときである。原住民と同じ食物だけでくらしているときとか、自炊をしていても町へ出る便がなく一カ月近く現地で手に入る数種類の材料だけで料理をつくるほかないような事情のときである。日本料理の材料はなにもなくても、バラエティーに富んだ食事を毎度つくることができたら、ヒヤヤッコもヒヤムギもたべたいとは思わない。また、ヨーロッパや香港に居て、日本料理への妄想をいだくこともない。食物の妄想は、まことに生理的なものであって、耐乏生活をしているときにだけおこるものだ。
わたしの妄想にきまってうかびあがる食物のひとつに、クジラのベーコンがある。上がふくれあがった食パン、あるいはコックのボウシのような形をして、すきとおるほど薄く切って売っているクジラのベーコン。三分の一ほどの部分が赤黒い肉で、あとは細かなセンイ質の組織のあいだに黄色い脂肪がすけてみえる。まわりは赤く人工着色してある。口に入れると、脂肪がねちゃねちゃし、二、三枚たべるとくちびるが油だらけになってしまう。ブタのベーコンにくらべたら値段も半分くらい。外国ではけっしてお目にかかれないきわめて日本的なたべものである。ただし、現在では場末の食料品店へ行かないと売っていない。
どちらかといえば粗野な味で、けっして大変おいしいものとはいえないが、わたしはクジラのベーコンに郷愁を感じるのである。ときどき、発作的にクジラのベーコンがたべたくなり、遠い店まで買いに行って、たちどころに二百グラムくらいたべてしまう。クジラのベーコンが好きな理由は、わたしの育った年代に関係している。
わたしの生れたのは、一九三七年、日華事変のはじまった年である。五歳のとき太平洋戦争がはじまる。小学校に入りたてで、家は空襲で焼かれ、その後疎開をして以来、何年もサツマイモとのおつきあいがはじまった。
わたしたちよりも、すこしばかり早く生れて、太平洋戦争のころすでにものごころついていた人びとは、戦中派だの戦後派だのといって肩をそびやかしている。だが、なにも|訳《わけ》がわからずに、カンコロイモばかりたべて、空き腹をかかえていた子供たちのほうが、かえって戦争体験の傷がふかいのではなかろうか。この世代を名づけて、サツマイモ・ジェネレーションとよぶ。
わたしが、いまだもって、クジラのベーコンが好きなのは、それが食糧事情の悪いころ、一番上等の配給品であって、子供ごころにごちそうに思えたからに相違ない。
長じても、幼年期の飢餓に対する潜在的な恐怖感が後遺症として尾をひき、大食癖が高校生のころまで続いた。わたしの中学生のころのアダ名はスカッパである。スカッパとは船の排水孔のことである。この底なし孔はまた、船員が残飯を投げこむのにも使われる。わたしの胃袋も底を知らないようであった。中学生のころ、たべおわったモリソバのセイロを自分の背の半分まで積み重ねたことがある。もっとも、そのころは背も低かったことだが。
わたしの大食癖がおさまったのは、酒の味がわかりかけてからである。わたしの酒歴は十八歳のころからはじまる。微妙なものの味の識別ができるようになるには、人間の成熟をまたなければならない。中学生が、うまいという食物と大人の食物に対する評価はちがうはずである。女性は一般的にキントンや卵焼きが好きだそうだが、これは女は味については幼児型であることをしめすのかもしれない。生理的には、ものの味を識別する能力は、二十歳くらいで最高に達し、あとはおとろえる一方であるという説がある。
しかし、味の識別能力と食品、料理に対する見識はおのずから別である。味の識別能力が生理的な次元のものであるのに対して、食物に関する知識や趣味は、教養であり、文化の次元に属することである。
わたしの場合、酒を飲みだすことによって大人の文化へ足をふみこみはじめ、それにともなって食物に次第に目がひらけてきたといえよう。子供のころは、臭いをかぐのもきらいであった川魚やシオカラのたぐいへの偏見が消え、うまいものであることを素直にみとめたのも、酒を飲むようになってからのことである。二十歳になるまでに、幼年時代のウラミがのこっているサツマイモをのぞいて、ふつうの食物できらいなものはいったんなくなった。
ところが、大学で探検部というクラブに入っているうちに、ポリネシアのトンガ王国に遠征することとなった。足のおそい貨物船で赤道をこえて、三十日間の船旅だった。この船の朝食のオカズは目玉焼きだった。防腐剤が注射してあって、臭いのする卵でつくった目玉焼きを二個皿にのせたオカズが三十日間つづいた。しまいには、皿のうえから二つの目玉ににらまれているような気持がするようになった。目玉焼きは一生食うまいと決心したことであった。
大学院に入りたてで、西イリアンの中央高地の探検に出かけた。ここでの主食は、なんとサツマイモだった。
その後、東アフリカ、北アフリカ、太平洋地域と人類学の現地調査に出かけるうちに、三十歳になるまでにアメリカ大陸をのぞく世界をひととおり、ざっと見、聞き、食いまわることができた。
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