わたしの仲間たちは、しょっちゅう外国に出かける。それも、ヨーロッパやアメリカ合衆国ではなく、いわゆる未開地に行く人がおおい。わたしのともだちの多くは、京都大学の探検部、山岳部、学士山岳会、生物誌研究会、人類学研究会のいずれかに関係している。探検、登山、野外科学の分野で活躍している人びとである。探検はもちろんのこと、登山も初登頂をねらうなら、ヒマラヤやアンデスでも、かなり奥地へ入りこまなくてはならないし、野外科学でも未知の領域の豊富なのはいわゆる未開地である。また、京都以外のともだちでも、わたしの専攻する人類学を通じてのつきあいのある人びとの多くは、未開社会での現地調査をこころがけている。
このごろでは、海外に出かけているひとのほうがおおくて、仲間たちが日本で顔をあわすことがむずかしい。しばらく見かけない友人に、アフリカの田舎でばったり会ったというような話もずいぶんある。
みんなじつに気軽に旅立ってゆく。アフリカへ一年行くのに、週末に山へ行くのとたいした変わりがないような気分で飛行機にのる。悲壮感みたいなものなぞかけらもない。そして、元気で帰ってくる。ちかごろ、やせて帰国したともだちをみたことがない。二十代の人だと、反対にふとって帰ってくる者がおおい。
みな、例外なしに、フィールドへ出かけたら、身体の調子がよいという。それはそうだろう。日本の都市にいるよりも、未開地で生活しているほうが、ずっと健康的だ。空気はきれいだし、電話もかかってこない。満員電車にゆられることもない。夜ふかしすることもなく、ランプを消して寝て、朝は早起き。身体を使った仕事をするので、食欲もおうせいになる。
未開地へ行っていたら健康体になって帰ってくるのは、あたりまえだ。しかし、若い人がふとって帰ってくるのは、これはいったいどういうわけだ。
わたしの体験からいえば、下宿、外食生活をしている若い独身男性の日本での食事が、わるすぎるのである。料理の材料も思うにまかせない未開地でつくる食事のほうが、まだ日本での学生食堂での食事よりもましなのである。未開地へ行くときには、出かけるまえから現地での食事に相当の配慮をすることがおおい。登山パーティーのようにチームを組んで一緒に行動する場合だったら、チームのなかにかならず一人食糧係がいて、いつも、うまいものがたべられるように出発まえから、現地での献立を考えて、そのため必要な食品を手配しておいてくれる。また、一人で自炊しながら現地調査をするときだったら、それだけに健康に気をつかい、食物も自分なりに工夫をこらす。そして、未開地でほかに楽しみがないだけに、食事をうまいものにしようとすることになる。自分のすきな材料を自分ですきなように料理するのだから、うまいのは当然だ。未開地でも町に出かけたときコンビーフを沢山買いこんだりして、蛋白質の摂取量も、日本にいるときよりも多くなる。たいていの場合、外国に出かけたときは、日本で下宿生活をしているときよりも、一食あたりにかけることのできる食費の金額が多く使える。
現在(一九六八年)、わたしの友人の学生や大学院学生で下宿、外食生活をしている人びとに聞くと、ふだん食事に使う金額は一食百五十円から二百円程度である。三百円以上かけた食事は、ごちそうの部類に入る。ふだんの日だったら一日の食費が五百円をこすことは、まずないのだ。一カ月に一万五千円も食費にまわせるほど余裕のある学生はまずいない。日本育英会の大学院博士課程の奨学金が、月額一万八千円だ。
百五十円程度で、いったいなにがたべられるだろう。このごろは、ドンブリ物一杯でもそのくらいの値段がする。大学の学生食堂でだったら、百五十円で、栄養学的には一応満足した献立の定食をたべることができる。しかし、大学の学生食堂は、例外なしにまずい。安い金額でビタミンやカロリーだけは充分とらせようというので、材料は安物ばかりだし、味付けなどは二の次である。だいいち、メシそのものが外米のポロポロだ。何百人分を一度にたいておき、冷えかけたメシを、プラスチックの皿に、ポンとあけて、あとはセルフサービスで持っていかせる。味や食事の情緒などにかまってはくれないのである。大学の学生食堂は、栄養中心主義でこりかたまっている。
栄養中心主義は、実は人間|蔑視《べつし》の思想とつながるところがある。ビタミン、カロリーなどが満足されたら、味はどうでもいいといった食事思想が幅をきかしているのは、もともと軍隊、刑務所、病院などだ。そこでは食事は人間の機能維持のために配給するエサであるといった考えかたが強いようだ。ある大学病院では、患者へくばる食事は食事とよばずに食餌とよんでいる。エサなのである。だが、大学食堂がまずいといってせめるのは、酷であろう。なんといっても日本の学生が貧乏すぎるのである。
栄養は不足なくとれるにしろ、大学食堂で三度の食事をとるのは、わびしすぎる。それでいて、レストランで食事をとるには財布が軽すぎる。そこで、街の学生食堂でたべるということになる。京都は東京とくらべて、学生にとっては住みやすい場所である。街のあちこちに、学生相手の食堂がある。そこで、安い値段で家庭的な食事をすることができる。それでもドンブリ一杯のメシ、味噌汁、サバの煮つけとホウレン草のおひたしの二皿をたべたら、百五十円になってしまう。街の学生食堂での食事では、どうしても栄養がかたよったり、カロリー不足になってしまう。
日本の中核をになう学生たちの食事は、かくもまずしいのである。大学へ入って親の手もとをはなれてから、結婚して奥さんの手料理にありつくまでの間は、外食をしている独身男性の体位向上はおおむねのぞめないのである。大学時代に頭へつめこむ教養はできても、胃袋へつめこむ教養はまったく身につかないのである。
フランス人は「その人の食物で人物を判断せよ」といって、食物に対する教養を人物評価の基準のひとつとする。しかし、日本では、関西の商業ブルジョワジーのあいだで食物の教養が重んじられているくらいのものだ。とくに東京を中心とする官僚文化のなかでは、食物に関する教養が人格を判断するための問題になどとりあげられはしない。もともと、明治以来東京で日本を動かしてきた官僚、軍人の文化が、下級武士の文化をひきついだものであり、趣味、教養の面では、洗練されていない、ヤボなものであった。そしてまた、官僚機構の中心を引きついでになっていく帝国大学の学生が、また、おおむね貧乏であった。そこで、バンカラや書生っぽさを強調することが称賛されることはあっても、食物に対する教養の深さは、かえって人物評価のときにマイナス点とされるのであった。ラテン世界の尺度からすれば、日本のインテリの多くは、食物に対する教養の面では「育ちの悪さ」を示している。
このごろでは、海外に出かけているひとのほうがおおくて、仲間たちが日本で顔をあわすことがむずかしい。しばらく見かけない友人に、アフリカの田舎でばったり会ったというような話もずいぶんある。
みんなじつに気軽に旅立ってゆく。アフリカへ一年行くのに、週末に山へ行くのとたいした変わりがないような気分で飛行機にのる。悲壮感みたいなものなぞかけらもない。そして、元気で帰ってくる。ちかごろ、やせて帰国したともだちをみたことがない。二十代の人だと、反対にふとって帰ってくる者がおおい。
みな、例外なしに、フィールドへ出かけたら、身体の調子がよいという。それはそうだろう。日本の都市にいるよりも、未開地で生活しているほうが、ずっと健康的だ。空気はきれいだし、電話もかかってこない。満員電車にゆられることもない。夜ふかしすることもなく、ランプを消して寝て、朝は早起き。身体を使った仕事をするので、食欲もおうせいになる。
未開地へ行っていたら健康体になって帰ってくるのは、あたりまえだ。しかし、若い人がふとって帰ってくるのは、これはいったいどういうわけだ。
わたしの体験からいえば、下宿、外食生活をしている若い独身男性の日本での食事が、わるすぎるのである。料理の材料も思うにまかせない未開地でつくる食事のほうが、まだ日本での学生食堂での食事よりもましなのである。未開地へ行くときには、出かけるまえから現地での食事に相当の配慮をすることがおおい。登山パーティーのようにチームを組んで一緒に行動する場合だったら、チームのなかにかならず一人食糧係がいて、いつも、うまいものがたべられるように出発まえから、現地での献立を考えて、そのため必要な食品を手配しておいてくれる。また、一人で自炊しながら現地調査をするときだったら、それだけに健康に気をつかい、食物も自分なりに工夫をこらす。そして、未開地でほかに楽しみがないだけに、食事をうまいものにしようとすることになる。自分のすきな材料を自分ですきなように料理するのだから、うまいのは当然だ。未開地でも町に出かけたときコンビーフを沢山買いこんだりして、蛋白質の摂取量も、日本にいるときよりも多くなる。たいていの場合、外国に出かけたときは、日本で下宿生活をしているときよりも、一食あたりにかけることのできる食費の金額が多く使える。
現在(一九六八年)、わたしの友人の学生や大学院学生で下宿、外食生活をしている人びとに聞くと、ふだん食事に使う金額は一食百五十円から二百円程度である。三百円以上かけた食事は、ごちそうの部類に入る。ふだんの日だったら一日の食費が五百円をこすことは、まずないのだ。一カ月に一万五千円も食費にまわせるほど余裕のある学生はまずいない。日本育英会の大学院博士課程の奨学金が、月額一万八千円だ。
百五十円程度で、いったいなにがたべられるだろう。このごろは、ドンブリ物一杯でもそのくらいの値段がする。大学の学生食堂でだったら、百五十円で、栄養学的には一応満足した献立の定食をたべることができる。しかし、大学の学生食堂は、例外なしにまずい。安い金額でビタミンやカロリーだけは充分とらせようというので、材料は安物ばかりだし、味付けなどは二の次である。だいいち、メシそのものが外米のポロポロだ。何百人分を一度にたいておき、冷えかけたメシを、プラスチックの皿に、ポンとあけて、あとはセルフサービスで持っていかせる。味や食事の情緒などにかまってはくれないのである。大学の学生食堂は、栄養中心主義でこりかたまっている。
栄養中心主義は、実は人間|蔑視《べつし》の思想とつながるところがある。ビタミン、カロリーなどが満足されたら、味はどうでもいいといった食事思想が幅をきかしているのは、もともと軍隊、刑務所、病院などだ。そこでは食事は人間の機能維持のために配給するエサであるといった考えかたが強いようだ。ある大学病院では、患者へくばる食事は食事とよばずに食餌とよんでいる。エサなのである。だが、大学食堂がまずいといってせめるのは、酷であろう。なんといっても日本の学生が貧乏すぎるのである。
栄養は不足なくとれるにしろ、大学食堂で三度の食事をとるのは、わびしすぎる。それでいて、レストランで食事をとるには財布が軽すぎる。そこで、街の学生食堂でたべるということになる。京都は東京とくらべて、学生にとっては住みやすい場所である。街のあちこちに、学生相手の食堂がある。そこで、安い値段で家庭的な食事をすることができる。それでもドンブリ一杯のメシ、味噌汁、サバの煮つけとホウレン草のおひたしの二皿をたべたら、百五十円になってしまう。街の学生食堂での食事では、どうしても栄養がかたよったり、カロリー不足になってしまう。
日本の中核をになう学生たちの食事は、かくもまずしいのである。大学へ入って親の手もとをはなれてから、結婚して奥さんの手料理にありつくまでの間は、外食をしている独身男性の体位向上はおおむねのぞめないのである。大学時代に頭へつめこむ教養はできても、胃袋へつめこむ教養はまったく身につかないのである。
フランス人は「その人の食物で人物を判断せよ」といって、食物に対する教養を人物評価の基準のひとつとする。しかし、日本では、関西の商業ブルジョワジーのあいだで食物の教養が重んじられているくらいのものだ。とくに東京を中心とする官僚文化のなかでは、食物に関する教養が人格を判断するための問題になどとりあげられはしない。もともと、明治以来東京で日本を動かしてきた官僚、軍人の文化が、下級武士の文化をひきついだものであり、趣味、教養の面では、洗練されていない、ヤボなものであった。そしてまた、官僚機構の中心を引きついでになっていく帝国大学の学生が、また、おおむね貧乏であった。そこで、バンカラや書生っぽさを強調することが称賛されることはあっても、食物に対する教養の深さは、かえって人物評価のときにマイナス点とされるのであった。ラテン世界の尺度からすれば、日本のインテリの多くは、食物に対する教養の面では「育ちの悪さ」を示している。