探検とか、未開社会を相手としたわたしの人類学の調査をおこなう場所には、食堂なぞありはしない。食事は、現地の人間とまったく同じものをとるか、あるいは自分でつくるかである。できれば、現地人の家に居候して、かれらと食事をともにしながら調査をすることがのぞましい。場所によっては完全な現地食主義を徹底させることが可能だし、わたしも試みたことがある。だが、サツマイモばかりで何カ月かすごせといわれたら、わたしはお手あげである。生理的にサツマイモだけでは、わたしは生きられない。イモ類のカロリーは穀物の四、五分の一程度である。ということは、メシの五倍たべなくてはならないことを意味する。事実、ヤムイモを常食とするトンガ人、サツマイモで生きているニューギニアの高地人など一度にイモを一キロくらい平気でたべてしまう。いくらわたしが子どものころ大食いであったとしても、これだけイモを一度にたべることはできない。また、無理をしてたべたところで、日本へ帰ったら胃拡張になやまされることになる。
現地で自炊をするといっても、テントや仮小屋での生活である。調理台や流しはない。現地で手に入れた材料を、梱包用の木箱のうえできざんで、焚火や携帯用のストーブで調理することになる。設備、材料ともに制約をうけている条件におかれて、いかに創意工夫をこらすかということが男の腕のみせどころである。食いしん坊のわたしは野外料理で大いに腕をみがいたのである。男が料理上手になるには、食いしん坊であることのほかに、いやしん坊であることも上達への早道である。食いしん坊であるだけだったら、食通になっても、自分で料理をつくる必要を感じないかもしれない。いやしん坊となると、ないものねだりをするのである。外国でしかたべられないものを日本でどうしてもたべたくなったり、とうてい外へ食事をしに行く金がないのに、まえにあの店でたべた料理がたべたくてしかたがなくなったり、条件が許さないにもかかわらず欲望をおさえられなくなるのだ。あさましいことである。しかし欲望がこうじてしかたがなかったら、自分でつくるほかしかたないということになる。
そこで、まえにうまかったとおもった味をおもいうかべながら、なんとかその料理を復元しようと努力することになる。こんなにして、試行錯誤の連続をくりかえすうちに、もうすこし賢くなって、うまいものをたべたときには、ついでに店の主人にそのつくりかたを聞いておく習慣ができるようになる。清代の袁枚という人は、誰かの家でうまいものをごちそうになると、あとでかならず自宅の料理人をその家の台所へつかわして、料理法をならわせ、自家の料理のレパートリーをひろげて、「随園食単」という中国料理の名著を書いた。わたしは、料理人はおろか、自分一人をやしなうのがやっとなので、主人兼コックで、聞きおぼえ、見おぼえの料理を下宿の台所でつくるわけだ。
やってみると料理をつくることも、なかなか楽しいものだ。創造のよろこびというほど大げさではないにしろ、ともかくもなにかをつくりだす楽しみがある。主婦の料理のように義務感でつくるものではない、自分の楽しみのためにするのだというところに素人の男性料理の本質がある。そして、自ら腕をみがこうという向上心が生れる。そこでわたしも思い立って、二カ月間メシと味噌汁以外は同じ献立をつくらないという原則で三食自炊することを試みたりした。婦人雑誌のフロクを参考にしたりしてである。
そんなにしているうちに、海外では料理の先生とよばれることになってしまった。わたしが、男のくせに料理に興味をもつようになった原因は、食いしん坊で、いやしん坊であることにもとめられるであろう。つまり、わたしがさきにのべたサツマイモ・ジェネレーションに属するからである。
現地で自炊をするといっても、テントや仮小屋での生活である。調理台や流しはない。現地で手に入れた材料を、梱包用の木箱のうえできざんで、焚火や携帯用のストーブで調理することになる。設備、材料ともに制約をうけている条件におかれて、いかに創意工夫をこらすかということが男の腕のみせどころである。食いしん坊のわたしは野外料理で大いに腕をみがいたのである。男が料理上手になるには、食いしん坊であることのほかに、いやしん坊であることも上達への早道である。食いしん坊であるだけだったら、食通になっても、自分で料理をつくる必要を感じないかもしれない。いやしん坊となると、ないものねだりをするのである。外国でしかたべられないものを日本でどうしてもたべたくなったり、とうてい外へ食事をしに行く金がないのに、まえにあの店でたべた料理がたべたくてしかたがなくなったり、条件が許さないにもかかわらず欲望をおさえられなくなるのだ。あさましいことである。しかし欲望がこうじてしかたがなかったら、自分でつくるほかしかたないということになる。
そこで、まえにうまかったとおもった味をおもいうかべながら、なんとかその料理を復元しようと努力することになる。こんなにして、試行錯誤の連続をくりかえすうちに、もうすこし賢くなって、うまいものをたべたときには、ついでに店の主人にそのつくりかたを聞いておく習慣ができるようになる。清代の袁枚という人は、誰かの家でうまいものをごちそうになると、あとでかならず自宅の料理人をその家の台所へつかわして、料理法をならわせ、自家の料理のレパートリーをひろげて、「随園食単」という中国料理の名著を書いた。わたしは、料理人はおろか、自分一人をやしなうのがやっとなので、主人兼コックで、聞きおぼえ、見おぼえの料理を下宿の台所でつくるわけだ。
やってみると料理をつくることも、なかなか楽しいものだ。創造のよろこびというほど大げさではないにしろ、ともかくもなにかをつくりだす楽しみがある。主婦の料理のように義務感でつくるものではない、自分の楽しみのためにするのだというところに素人の男性料理の本質がある。そして、自ら腕をみがこうという向上心が生れる。そこでわたしも思い立って、二カ月間メシと味噌汁以外は同じ献立をつくらないという原則で三食自炊することを試みたりした。婦人雑誌のフロクを参考にしたりしてである。
そんなにしているうちに、海外では料理の先生とよばれることになってしまった。わたしが、男のくせに料理に興味をもつようになった原因は、食いしん坊で、いやしん坊であることにもとめられるであろう。つまり、わたしがさきにのべたサツマイモ・ジェネレーションに属するからである。