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食生活を探検する14

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:ウドンとダニ族 どういうわけか、わたしたちはメリケン粉ばかりたくさん持っていた。十キロくらいはあっただろうか。毎日、雨が
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ウドンとダニ族

 どういうわけか、わたしたちはメリケン粉ばかりたくさん持っていた。十キロくらいはあっただろうか。
毎日、雨がふり湿度百パーセントのニューギニア高地のことである。周囲の森林は、モスフォーレスト(蘚苔林)だ。湿度が高いので、木の葉、幹、露出した木の根、落葉にいたるまで、ぎっしりとコケにおおわれている。コケは、水分をすって、ぬれタオルのようだ。森林のなかを半時間もあるいたら、ズボンはぐしょぬれになる。森林のなかでは、ひと休みして腰をおろす場所もない。一面びしょぬれの世界だ。
ぐずぐずしていると、そのうちにメリケン粉にカビが生えそうだった。一応、一キロくらいずつわけて、ビニール袋に入れて乾燥剤を入れてはあったのだが、油断できない。
どうしてまた、わたしたちはメリケン粉ばかり多量に持つようになったのか。ほかの食糧は、ちょっとしかないのに。
わたしたちの住んでいたのは、太平洋の最高峰、五千三十メートルのスカルノ峰(旧名カールステンツ)から北西へ三十数キロの地点、ニューギニア中央高地を東西に流れるケマブー川をさかのぼった最後の集落であるウギンバ部落であった。ウギンバの標高は二千百メートル。ニューギニア高地でも、一番知られていない場所のひとつ。アンコントロールド・エリア(未統治地域)にある。文明人といえば、数年前に、宣教師が通過したことがあるだけ。原住民同士の交易で、鉄の斧は最近ウギンバでも使われはじめたが、まだ石でつくったナイフは日常の道具として使用している。
朝日新聞の本多勝一さん、藤木高嶺さんとわたしは、ウギンバ部落に粗末な小屋を建てて住んでいた。一九六三年のことである。わたしたちは、日本とインドネシアの合同探検隊の隊員であった。この探検隊の日本側の名称は、京都大学西イリアン学術探検隊であった。この探検隊は、登山班、科学班、人類班の三つの分野から成立していた。わたしたち三人は、人類班に属していた。
途中で、わたしたちは、スカルノ峰へ向う登山班、科学班とわかれて、モニ族とダニ族の混住地ウギンバに住みつくこととなった。わかれるときに、食糧を配分することとなった。わたしたち三人は、人間の住んでいる所に残るのだから、食糧不足で飢える心配はない。なんでも、現地のものをうまく調理したらいい。だが、山登りをしたことのないインドネシア側の隊員をつれてスカルノ峰へ登るほかの隊員は大変だ。氷河のうえで食糧がなくなって、頂上へ立つことができないような破目になったら、この探検隊最大のスポンサーであるスカルノ大統領に申し訳ない。なんでも食いたいものは、持っていって力をつけて登ってくだされ。オレたちは、なんでも残ったものを食ったらいいさ。こんなことで、わたしたちウギンバ隊に残された食糧には、うまそうなものはほとんどなかったが、メリケン粉と粉ミルク、粉末ジュースだけは、膨大な量があった。
粉ミルク、砂糖少々、粉末ジュースにメリケン粉をまぜてねりあげ、バターで焼く。イチゴやオレンジの味のするホットケーキをオヤツに、くる日もくる日もたべた。コンビーフとガーリックパウダーを使ってギョウザをつくったりもした。だがメリケン粉の山はいっこうに減らない。コメが不足しかかっているし、ひとつメリケン粉を主食としてたべてやれ。手打ちウドンをつくることとした。
住んでいる小屋の外へ出て、手をまっ白にして、ウドン粉をこね始めた。「アイツら、ケッタイなことをしているぞ」というので、部落中のダニ族が総出で見物にくる。わたしのまわりに、人の輪ができて、ワイワイガヤガヤとんでもなくうるさい。ツバが粉にとびちる。ちょっと目をはなすと、こねたメリケン粉に、指のあとがつく。好奇心から、きたない指でつついてみるのだ。メリケン粉をさして、「あれは塩だ」「いや、ちがう」といった議論がはじまっている。めんどうだから、一つかみ進呈してなめさせた。よくばって口の中に粉をつめすぎて、むせかえって黒い身体に白い粉を吹きつけ塗装したりして大さわぎ。
メリケン粉に塩水を加えて、大ナベのなかで念入りにこねる。こねあがったものをとりあげて、ナベ底へたたきつける。ぺッタン、ぺッタン、たたきつけるたびに観客の歓声がおこる。なんのことはない。わたしはダニ族にショウを演じてみせているわけだ。
さて、ねり上ったものをどうやってのばそうか。麺板とか麺棒に使えるものがないだろうか。わたしたちの荷物はリュックサックにつめて運べる品物ばかりだ。平らで大きな板なぞありやしない。カンナ、ノコギリはおろか、二、三年まえまで石斧を使っていたダニ族のことだ。かれらに板を借りるわけにはいかない。
フィルム罐を麺板に使うこととした。
八ツ橋を入れるようなブリキ罐に、撮影済みのフィルムを乾燥剤とともに入れて、ビニールテープで目張りをする。そうでもしないと湿度百パーセントのニューギニア高地では、フィルムがいたんでしまう。
このフィルム罐のフタのうえで、ウドンをのばすことにした。フタといっても、長さ三十センチほどのものである。これが、わたしたちのもつ、表面のなめらかな板の最大のものであった。麺棒は、テントの支柱の余分な部分を切って間にあわせることとした。
ピカピカ光るブリキ罐のフタの上に、白い粉をパッパッとまく。ねりあがったメリケン粉をちぎって、団子状にしたものをこのうえにおく。麺棒をローラーのようにころがすと、団子がうすい板のようになる。これを折重ねて、庖丁で細く切る。粉がいつの間にか、細いヒモになってしまう。ダニ族にとっては手品をみてるようなことであったのかもしれない。作業が全部完了するまで、みな、あきずに見守るのだった。
できあがった手打ちウドンの大部分は、直射日光で乾燥して乾ウドンとして保存することとした。これで、大量のメリケン粉の消費策が一挙に解決した。
一部は、打ちたてを、テンプラウドンにしてたべることとした。テンプラといっても、活きのよいエビを仕入れるには四千七百メートルの氷河を越え、ジャングルをくぐって地図上の直線距離にして百キロ以上はなれた海岸まで出かけなくてはならない。ウギンバ産のサツマイモのテンプラでがまんすることとした。
何カ月ぶりかで、熱いウドンをたらふくたべた。あまりを、熱心だったダニ族の見物衆におすそわけすることにした。ウドンの入ったナベを手近のオバさんに手渡す。
一応「カオナ」(ありがとう)と受けとったのちしげしげとナベのなかをのぞきこんで、たべずに隣りの女に渡す。渡された女は、ナベのなかへ手をつっこんで、ウドンを一本つまみあげて、気味悪そうにながめている。まるで寄生虫をみたように、急に手をひっこめて、また隣りの男に手渡す。ナベは、隣りから隣りへとぐるぐるまわりするが、みな、ウドンをこわごわとつまみあげてはまたナベにもどして、たべようとしない。まるで、ババヌキをしているようだ。
数人の手をたらいまわしになってから、私達が説教師というアダ名をつけていた男の手に、ナベがわたった。説教師は、オシャベリだが、実行力に富んだ人柄の男である。かれがウドンをつまみあげたとき、わたしたちは、「食え!」「うまいぞ!」とダニ語、モニ語、日本語でくちぐちにさけんだ。説教師は決心したようにウドンを口に入れた。一本たべ、つぎに、また手をナベのなかに入れた。説教師が二、三本たべるのをみとどけると、いままでは敬遠してきた男達が、ナベのまわりによってきて、手をのばしはじめた。いったんウドンを口にすると、あとはもうガツガツとたべはじめ、四、五人の男達で、あっという間にナベを空にしてしまった。しかし女達はやはり気味悪いのか、男達のとりかこんだナベに近よろうともしなかった。
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