オバケ、あるいはバケとわたしたちが呼んでいたのは、本名デガーメ氏、推定年齢十八歳。かれは、チョコレート色の皮膚をしているニューギニア高地人のうちで、色が特に黒いほうだ。夜の暗闇のなかに溶けこんだら、もうどこにいるのかわからない。闇のなかから足音をしのばせて、どこからともなく現われて、気がついてみると、先ほどからわたしたちのそばにすわっている。朝、目がさめてみると、厳重に戸締りをしたはずの小屋のなかへしのびこんで、わたしたちの寝ぞうを黙って見守っている。デガーメ氏はいつとはなし、どことはなしに、足音をしのばせてやってきて、わたしたちのそばにいる。しかも、こちらが気がつくまでは、自分の存在を主張しない。いつも気がついたら、かれがわたしたちのそばに居たという現われかたをする。化物のようにスーッと姿を現わすヤツだということで、本名のデガーメを知るまえに、わたしたちは、かれにオバケというあだ名をつけていた。
口数は少ないほうで、オデコのはり出した容貌怪異な顔で、声を出さずにいつもニタニタ笑っている。もともとかれは、ウギンバの住人ではなく、四千メートルの高原をこえ、四十キロほど離れたイラガから、ウギンバにいる姉をたずねてきたよそ者である。そこで、しょっちゅう村のなかを用事なしにブラブラしている。
オバケ氏は、わたしたちがウギンバ村で最初になじみになった村人の一人だ。わたしたちが水くみに行くと、ブッシュのなかからスーッと現われてバケツを持ってくれる。いつの間にか、わたしたちの小屋の前に薪を置いてくれたりする。いつとはなしに、オバケ氏は、わたしたちの雑役係になった。かれの主な用事は、水くみ、薪集め、ナベ・食器洗いであった。報酬には、残飯の整理をしてもらう。
見なれないわたしたちの食物に対して、オバケ氏は何の警戒心をおこさずに、何でもたべてしまう。わたしたちの食物は、すべてサツマイモよりは上等なものだと信じこんでいるようだった。わたしたちの食事時間がすむ頃になると、どこからともなくオバケ氏が現われて、小屋のそばで待っている。たべ残しのメシの入ったナベに味噌汁でも、コンビーフでも何でもぶちこんで渡す。オバケ氏は、ナベのなかに泥だらけの手をつっこんで、またたく間にたいらげてしまう。食器に盛って、スプーンを与えてみても、ぽろぽろこぼして、うまくたべられない。大きなナベに入れて、手づかみでたべてもらうのが、一番よい。べつにオバケ氏はわたしたちの残飯で生きていたのではない。「男の家」でサツマイモをたらふく食って、そのうえわたしたちのたべ残しを整理する。残飯がすくないと不服そうな顔をするので、いつの間にか、わたしたちは、オバケ氏にやる分を考慮に入れてメシタキをするようになった。
本多さんも、藤木さんもナベや食器洗いは苦手のほうである。一つ、オバケ氏に洗い役をたのもうということになった。
ニューギニア高地は、食器のない文化である。食器の洗いかたを教えるのも、なかなか大変だ。
小屋の前につくった炊事用具・食器置き用の棚のそばへ連れてゆき、藤木さんが手をとって教える。
「ほら、こないしてバケツの中で洗うんや。いっしょけんめやらにゃあかんやで。きれいになったらな、フキン——これのことやで——でようふいてな、棚にならべるんや」てなことをいいながらお手本を示す。どうせ、わたしたちの一夜づけのダニ語でうまく説明することは不可能だ。バケツやフキンにあたるダニ語があるはずもない。ことばは、大阪弁でもなんでもいいので、行動で示すことが大切だ。藤木さんがやるのを見ているうちに、オバケ氏にも仕事がのみこめたらしい。やおら、バケツのなかに手をつっこんで洗い始めた。それからは、使い終った食器をバケツにつめてオバケ氏にわたすと、かれは鼻歌をうたいながら、のそのそと河へむかうこととなった。
オバケ氏に食器洗いをまかしてから、少々洗いあがりがきたないのは、目をつむることとした。だが数日たつとますます食器はきたなくなる。食器にねっとりと黒ずんだ油がしみついていたりする。
オバケ氏は、ブタがくわえて持っていってしまったといっては、新しいフキンを要求する。だが新しいフキンは、食器をふくためにいるのではない。おしゃれのためだ。オバケ氏は、何でも頭にかむるくせがある。わたしが古いパンツを森のなかへそっと捨てたのをいつのまにか発見してきて、頭のうえにパンツをはいて得意そうにしている。フキンも何度注意しても、すぐ頭にかむってしまう。しかも、かれの頭はシラミだらけ、おまけにブタの脂肪をポマードのようにぬりたくってある。髪を洗うことはなく、そのうえにつぎつぎとブタの脂肪をぬりたくるものだから、脂肪が腐敗して異臭をはなっている。こんな頭に、ボウシがわりにかむっているフキンで食器をふくのだから、せっかく洗ったものを、最後の仕上げでまたよごしてしまうことになる。
この調子では、いまに食器の中からシラミがとびだすかもしれない。そういえば、わたしは、ダニ族が何か物を洗っているのを、一度もみたことがなかった。もともと、身体を洗う習慣をもたない人びとに、ものを洗うことをたのむのが無理なのだ。わたしたちは、オバケ氏に食器洗いをさせることをよすこととした。そうかといって、三人とも食器洗いはやりたくない。
どういうわけか、わたしたちの荷物のなかには、膨大な量のトイレットペーパーがつめてあった。食器を洗うことはよしてふくこととした。食事がすんだら、お茶のあまりを各自の食器にそそいで、一つの食器についてトイレットペーパーを三枚くらい使いながら、キュッキュッとこすってふきとる。この方法だったら、河へ行くこともないし、食後の一服をしながら出来る。それでいて、すくなくともオバケ氏の洗った食器よりも衛生的であった。ウギンバ部落での生活の後半、わたしたちは食器を一度も洗うことがなくすごした。
口数は少ないほうで、オデコのはり出した容貌怪異な顔で、声を出さずにいつもニタニタ笑っている。もともとかれは、ウギンバの住人ではなく、四千メートルの高原をこえ、四十キロほど離れたイラガから、ウギンバにいる姉をたずねてきたよそ者である。そこで、しょっちゅう村のなかを用事なしにブラブラしている。
オバケ氏は、わたしたちがウギンバ村で最初になじみになった村人の一人だ。わたしたちが水くみに行くと、ブッシュのなかからスーッと現われてバケツを持ってくれる。いつの間にか、わたしたちの小屋の前に薪を置いてくれたりする。いつとはなしに、オバケ氏は、わたしたちの雑役係になった。かれの主な用事は、水くみ、薪集め、ナベ・食器洗いであった。報酬には、残飯の整理をしてもらう。
見なれないわたしたちの食物に対して、オバケ氏は何の警戒心をおこさずに、何でもたべてしまう。わたしたちの食物は、すべてサツマイモよりは上等なものだと信じこんでいるようだった。わたしたちの食事時間がすむ頃になると、どこからともなくオバケ氏が現われて、小屋のそばで待っている。たべ残しのメシの入ったナベに味噌汁でも、コンビーフでも何でもぶちこんで渡す。オバケ氏は、ナベのなかに泥だらけの手をつっこんで、またたく間にたいらげてしまう。食器に盛って、スプーンを与えてみても、ぽろぽろこぼして、うまくたべられない。大きなナベに入れて、手づかみでたべてもらうのが、一番よい。べつにオバケ氏はわたしたちの残飯で生きていたのではない。「男の家」でサツマイモをたらふく食って、そのうえわたしたちのたべ残しを整理する。残飯がすくないと不服そうな顔をするので、いつの間にか、わたしたちは、オバケ氏にやる分を考慮に入れてメシタキをするようになった。
本多さんも、藤木さんもナベや食器洗いは苦手のほうである。一つ、オバケ氏に洗い役をたのもうということになった。
ニューギニア高地は、食器のない文化である。食器の洗いかたを教えるのも、なかなか大変だ。
小屋の前につくった炊事用具・食器置き用の棚のそばへ連れてゆき、藤木さんが手をとって教える。
「ほら、こないしてバケツの中で洗うんや。いっしょけんめやらにゃあかんやで。きれいになったらな、フキン——これのことやで——でようふいてな、棚にならべるんや」てなことをいいながらお手本を示す。どうせ、わたしたちの一夜づけのダニ語でうまく説明することは不可能だ。バケツやフキンにあたるダニ語があるはずもない。ことばは、大阪弁でもなんでもいいので、行動で示すことが大切だ。藤木さんがやるのを見ているうちに、オバケ氏にも仕事がのみこめたらしい。やおら、バケツのなかに手をつっこんで洗い始めた。それからは、使い終った食器をバケツにつめてオバケ氏にわたすと、かれは鼻歌をうたいながら、のそのそと河へむかうこととなった。
オバケ氏に食器洗いをまかしてから、少々洗いあがりがきたないのは、目をつむることとした。だが数日たつとますます食器はきたなくなる。食器にねっとりと黒ずんだ油がしみついていたりする。
オバケ氏は、ブタがくわえて持っていってしまったといっては、新しいフキンを要求する。だが新しいフキンは、食器をふくためにいるのではない。おしゃれのためだ。オバケ氏は、何でも頭にかむるくせがある。わたしが古いパンツを森のなかへそっと捨てたのをいつのまにか発見してきて、頭のうえにパンツをはいて得意そうにしている。フキンも何度注意しても、すぐ頭にかむってしまう。しかも、かれの頭はシラミだらけ、おまけにブタの脂肪をポマードのようにぬりたくってある。髪を洗うことはなく、そのうえにつぎつぎとブタの脂肪をぬりたくるものだから、脂肪が腐敗して異臭をはなっている。こんな頭に、ボウシがわりにかむっているフキンで食器をふくのだから、せっかく洗ったものを、最後の仕上げでまたよごしてしまうことになる。
この調子では、いまに食器の中からシラミがとびだすかもしれない。そういえば、わたしは、ダニ族が何か物を洗っているのを、一度もみたことがなかった。もともと、身体を洗う習慣をもたない人びとに、ものを洗うことをたのむのが無理なのだ。わたしたちは、オバケ氏に食器洗いをさせることをよすこととした。そうかといって、三人とも食器洗いはやりたくない。
どういうわけか、わたしたちの荷物のなかには、膨大な量のトイレットペーパーがつめてあった。食器を洗うことはよしてふくこととした。食事がすんだら、お茶のあまりを各自の食器にそそいで、一つの食器についてトイレットペーパーを三枚くらい使いながら、キュッキュッとこすってふきとる。この方法だったら、河へ行くこともないし、食後の一服をしながら出来る。それでいて、すくなくともオバケ氏の洗った食器よりも衛生的であった。ウギンバ部落での生活の後半、わたしたちは食器を一度も洗うことがなくすごした。