サバンナの月夜は、頭上をさえぎるほど高い木々がないので、月光が大地のすみずみまであふれる。空気の澄みきった夜空は、さえた青白色のドームとなる。こんな夜には、どんどんあるきつづけて、地平線のかなたを見きわめたいような気持になる。
だが闇夜のサバンナは、少々不気味な世界だ。昼間ながめた広大な土地が闇にすっかりおおいかくされてしまうと、サバンナの自然にまだ慣れていない者にとっては、外界が敵のように思われる。野ネズミがカサッと音をたてただけでも神経をとがらせ、自分の家やテントの外へ出たがらないものだ。
そんなある新月の夜、わたしはハツァピ族の一団といっしょに、重苦しいサバンナの闇を懐中電灯の光で切り開きながらあるいていた。わたしたちは、夜の狩に出かけたのだ。
わたしが、ハツァピ族の間に住みはじめてから、友人のハツァピ族の青年の間に、新しい狩の方法が流行しはじめた。わたしの持っている強力な懐中電灯で、ブッシュの中を照らすと、ときおり光に反射して、野獣の目がキラキラと光ることがある。光線で目がくらんで、たいていの動物はしばらく立ちすくむ。そこをめがけてすばやく矢を射こむのだ。焚火のほかに、灯火のないハツァピ族にとって、これはまったく新しい狩猟法であった。
新月の前後には毎夜、わたしたちは狩に出て、クサムラカモシカや野ウサギを一、二頭殺すことができた。クサムラカモシカは、体長が一メートル以内のかわいらしい目をした動物である。これを射た場合には、毛皮をはいで敷物にする。解体して肉は、狩に参加した者にわけられる。野ウサギのような小動物は、皮はぎや解体をせずに、そのまま焚火のなかへ入れて焼く。ときどき、熱でもって膨張した内臓が破裂する陰にこもったボンという音がする。文字どおりの丸焼きができたら、|矢鏃《やじり》で切りとりながら、塩もつけずにむしゃぶりつく。
さて、懐中電灯を持ったわたしを先頭に、弓矢を手にしたハツァピ族が四人、足音をしのばせて、三時間近く獲物を求めてサバンナをあるきまわっていた。収穫なしに手ぶらで部落のほうへもどろうと、岩かどを曲ったとたんのこと。
先頭のわたしにしたら、夜目に手をのばしたらとどきそうな距離のところで、大きな赤い目玉が一対光った。思わずふりかえると、ハツァピ族達は、とっさに矢をつがえている。矢がはなたれるまえに、心臓のちぢみあがるような吠え声がしたかと思うと、大きな影が目の前をとんで、ブッシュのなかに消えた。そのまま、また物音一つしない静寂が夜を支配した。
「ニヤマ・ガーニ?」(何という動物か?)
とスワヒリ語でたずねると、
「フイシ」(ハイエナ)
と手短かに答えて、ハツァピ族達はわたしをうながして、何事もなかったようにあるきはじめた。
遠くで聞くハイエナの鳴き声は、まるで赤ん坊がむずかっているように聞えるのに、近くで吠えられると、これはまた何と恐ろしい声なんだろう。感心しながら部落の近くへたどりつくと、さっきハイエナだと教えてくれた青年が、
「実は、さっきのけだものは、ハイエナではなくヒョウだったんだ。ヒョウだと言ったら、おまえが恐がるだろうと思って、ごまかしたのさ」
と打明けてくれた。
だが闇夜のサバンナは、少々不気味な世界だ。昼間ながめた広大な土地が闇にすっかりおおいかくされてしまうと、サバンナの自然にまだ慣れていない者にとっては、外界が敵のように思われる。野ネズミがカサッと音をたてただけでも神経をとがらせ、自分の家やテントの外へ出たがらないものだ。
そんなある新月の夜、わたしはハツァピ族の一団といっしょに、重苦しいサバンナの闇を懐中電灯の光で切り開きながらあるいていた。わたしたちは、夜の狩に出かけたのだ。
わたしが、ハツァピ族の間に住みはじめてから、友人のハツァピ族の青年の間に、新しい狩の方法が流行しはじめた。わたしの持っている強力な懐中電灯で、ブッシュの中を照らすと、ときおり光に反射して、野獣の目がキラキラと光ることがある。光線で目がくらんで、たいていの動物はしばらく立ちすくむ。そこをめがけてすばやく矢を射こむのだ。焚火のほかに、灯火のないハツァピ族にとって、これはまったく新しい狩猟法であった。
新月の前後には毎夜、わたしたちは狩に出て、クサムラカモシカや野ウサギを一、二頭殺すことができた。クサムラカモシカは、体長が一メートル以内のかわいらしい目をした動物である。これを射た場合には、毛皮をはいで敷物にする。解体して肉は、狩に参加した者にわけられる。野ウサギのような小動物は、皮はぎや解体をせずに、そのまま焚火のなかへ入れて焼く。ときどき、熱でもって膨張した内臓が破裂する陰にこもったボンという音がする。文字どおりの丸焼きができたら、|矢鏃《やじり》で切りとりながら、塩もつけずにむしゃぶりつく。
さて、懐中電灯を持ったわたしを先頭に、弓矢を手にしたハツァピ族が四人、足音をしのばせて、三時間近く獲物を求めてサバンナをあるきまわっていた。収穫なしに手ぶらで部落のほうへもどろうと、岩かどを曲ったとたんのこと。
先頭のわたしにしたら、夜目に手をのばしたらとどきそうな距離のところで、大きな赤い目玉が一対光った。思わずふりかえると、ハツァピ族達は、とっさに矢をつがえている。矢がはなたれるまえに、心臓のちぢみあがるような吠え声がしたかと思うと、大きな影が目の前をとんで、ブッシュのなかに消えた。そのまま、また物音一つしない静寂が夜を支配した。
「ニヤマ・ガーニ?」(何という動物か?)
とスワヒリ語でたずねると、
「フイシ」(ハイエナ)
と手短かに答えて、ハツァピ族達はわたしをうながして、何事もなかったようにあるきはじめた。
遠くで聞くハイエナの鳴き声は、まるで赤ん坊がむずかっているように聞えるのに、近くで吠えられると、これはまた何と恐ろしい声なんだろう。感心しながら部落の近くへたどりつくと、さっきハイエナだと教えてくれた青年が、
「実は、さっきのけだものは、ハイエナではなくヒョウだったんだ。ヒョウだと言ったら、おまえが恐がるだろうと思って、ごまかしたのさ」
と打明けてくれた。
ハツァピ族は低身で、成人男子の身長でも百六十センチをこえることはまれである。ハツァピ語は、南アフリカのブッシュマンと同じく、コイサン語族に属する。このことばは、舌を上あごや歯ぐきにたたきつけて、つづみを打つような「ポン」とか「チュッ」とかいった音を出すことが特徴だ。
ハツァピ族は、農業も、家畜を飼うこともしない。男の仕事は、シマウマをも殺すことのできる毒矢で狩をすること、女・子どもは木の実や野生の根茎を採集することである。人類史でいうと、かれらの生活は農耕、牧畜の開始以前、旧石器時代とたいして変化していない。かれらは人類最古の生活様式をいとなんでいる。ひとくちに狩猟採集民といっても、エスキモーのように高度の狩猟採集文化にくらべると、ハツァピ族の生活は、これはまた、なんとお粗末なんだろう。採集といっても、食物を集めて貯蔵することは、ほとんどしない。木の実や根茎など、食用植物をたべるときには、植物のあるところへいって、その場でたべてしまう。家へ植物性の食物を持ち帰るよりは、食物のある所へ胃袋が出張するのである。
ハツァピ族を、定着させようという試みは、英国植民地時代から何回かなされた。いずれも失敗に終っている。ハツァピ族に牧畜をやらせようとして、役人が牛を与えた。しばらくがまんをしたのち、肉の誘惑にかてずに、牛を全部殺してたべてしまい、ハツァピ族は、ブッシュのなかへ逃げこんでしまった。定着農民に仕立てあげようとして、役人がトウモロコシの種子を与えた。種子を全部たべて、ハツァピ族達は逃げ出した。
かれらは、自然の児である。サバンナを駆けめぐっているときには、実にいきいきとしている。なぜ労慟なんかする必要があるのだとかれらはおもうのかもしれない。かれらは、常に空腹である。牛が子どもをふやすまで、まいた種子が実るまで、そんなに気の長い話にはついていけないのかもしれない。腹がへっているのは、いまなのだ。
現在、タンザニア政府が、ハツァピ族を収容して、定着農民にしようと努力している。ハツァピ族の農耕民化はニエレレ大統領の直命であり、政府も本腰を入れている。どうやら、今回は成功しそうだ。それに、ハツァピ族も追いつめられている。以前は、ハツァピ族の土地であったマンゴーラに、牧畜民や農耕民がどんどんおしかけてきて、住むようになった。野獣の数は、いちじるしく減少した。食用植物の木は切り倒されて、畑となる。ハツァピ族のくらしも、自然のめぐみにたよっているわけにはいかなくなっている。ふだんは、家族単位にばらばらにわかれて、サバンナのここかしこに小屋をたてたり、岩かげに住み、獲物がとれなくなると、別の場所へ移るといった放浪の生活をしている。雨季になって、木の実がたくさん実り始めると、数家族が木の実を採集するのにつごうがよい場所に集まって、小屋をたて、集落らしいものをつくる。
住居は、雨季につくる小屋が一番りっぱである。それにしても、かれらの住居は原始的である。直径二メートルくらいの円形にそって、木の枝を地面につきさし、枝の上端を円形の内側に曲げてからみあわせる。こうしてできた半球状のわく組のうえに、まばらに草をかぶせただけのもの。文字通り、吹けば飛ぶような家だ。
例年では、マンゴーラは、十一月から五月までが雨季だ。一九六六年は、雨季の到来がおくれていた。雨季のキャンプ地に数戸の小屋がたてられたものの、水がないので、木の実のできはよくなかった。
十二月の末のある朝、突然大雨が降り始めた。ハツァピ族のキャンプは大恐慌をきたした。どこでも家中水びたしだった。雨もりなどというなまやさしいものではない。家のなかに、ザーザー雨が降り込むのだ。寝てはいられない。皆、家のなかでかがみこんで、子供をだきあげ、動物の敷皮を頭のうえにいただいて、せめてもの雨よけとしている。家のなかで合羽をきているようなものだ。寝られないので、誰かがヤケクソみたいな調子で歌をうたいだす。向うの家で、声を合わせる。雨の音と、合唱の入りまじった一晩だった。浸水がはなはだしい家では、女達が棒でもって家の床を掘って、排水溝をつくるしまつだった。
ハツァピ族は、農業も、家畜を飼うこともしない。男の仕事は、シマウマをも殺すことのできる毒矢で狩をすること、女・子どもは木の実や野生の根茎を採集することである。人類史でいうと、かれらの生活は農耕、牧畜の開始以前、旧石器時代とたいして変化していない。かれらは人類最古の生活様式をいとなんでいる。ひとくちに狩猟採集民といっても、エスキモーのように高度の狩猟採集文化にくらべると、ハツァピ族の生活は、これはまた、なんとお粗末なんだろう。採集といっても、食物を集めて貯蔵することは、ほとんどしない。木の実や根茎など、食用植物をたべるときには、植物のあるところへいって、その場でたべてしまう。家へ植物性の食物を持ち帰るよりは、食物のある所へ胃袋が出張するのである。
ハツァピ族を、定着させようという試みは、英国植民地時代から何回かなされた。いずれも失敗に終っている。ハツァピ族に牧畜をやらせようとして、役人が牛を与えた。しばらくがまんをしたのち、肉の誘惑にかてずに、牛を全部殺してたべてしまい、ハツァピ族は、ブッシュのなかへ逃げこんでしまった。定着農民に仕立てあげようとして、役人がトウモロコシの種子を与えた。種子を全部たべて、ハツァピ族達は逃げ出した。
かれらは、自然の児である。サバンナを駆けめぐっているときには、実にいきいきとしている。なぜ労慟なんかする必要があるのだとかれらはおもうのかもしれない。かれらは、常に空腹である。牛が子どもをふやすまで、まいた種子が実るまで、そんなに気の長い話にはついていけないのかもしれない。腹がへっているのは、いまなのだ。
現在、タンザニア政府が、ハツァピ族を収容して、定着農民にしようと努力している。ハツァピ族の農耕民化はニエレレ大統領の直命であり、政府も本腰を入れている。どうやら、今回は成功しそうだ。それに、ハツァピ族も追いつめられている。以前は、ハツァピ族の土地であったマンゴーラに、牧畜民や農耕民がどんどんおしかけてきて、住むようになった。野獣の数は、いちじるしく減少した。食用植物の木は切り倒されて、畑となる。ハツァピ族のくらしも、自然のめぐみにたよっているわけにはいかなくなっている。ふだんは、家族単位にばらばらにわかれて、サバンナのここかしこに小屋をたてたり、岩かげに住み、獲物がとれなくなると、別の場所へ移るといった放浪の生活をしている。雨季になって、木の実がたくさん実り始めると、数家族が木の実を採集するのにつごうがよい場所に集まって、小屋をたて、集落らしいものをつくる。
住居は、雨季につくる小屋が一番りっぱである。それにしても、かれらの住居は原始的である。直径二メートルくらいの円形にそって、木の枝を地面につきさし、枝の上端を円形の内側に曲げてからみあわせる。こうしてできた半球状のわく組のうえに、まばらに草をかぶせただけのもの。文字通り、吹けば飛ぶような家だ。
例年では、マンゴーラは、十一月から五月までが雨季だ。一九六六年は、雨季の到来がおくれていた。雨季のキャンプ地に数戸の小屋がたてられたものの、水がないので、木の実のできはよくなかった。
十二月の末のある朝、突然大雨が降り始めた。ハツァピ族のキャンプは大恐慌をきたした。どこでも家中水びたしだった。雨もりなどというなまやさしいものではない。家のなかに、ザーザー雨が降り込むのだ。寝てはいられない。皆、家のなかでかがみこんで、子供をだきあげ、動物の敷皮を頭のうえにいただいて、せめてもの雨よけとしている。家のなかで合羽をきているようなものだ。寝られないので、誰かがヤケクソみたいな調子で歌をうたいだす。向うの家で、声を合わせる。雨の音と、合唱の入りまじった一晩だった。浸水がはなはだしい家では、女達が棒でもって家の床を掘って、排水溝をつくるしまつだった。