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食生活を探検する20

时间: 2020-04-21    进入日语论坛
核心提示:ハツァピ族の食事 ハツァピ族の生活は、おどろくべきほど簡素だ。あるハツァピ族の一家の財産全部をあげてみよう。水くみ、水の
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ハツァピ族の食事

 ハツァピ族の生活は、おどろくべきほど簡素だ。あるハツァピ族の一家の財産全部をあげてみよう。水くみ、水のみ、ハチミツ入れなどに使用するヒョウタン製容器七個、アルミのナベ一個、タバコと滑石製の手づくりのパイプが入った皮袋一個、ナイフ一丁、弓一張、矢十二本、発火棒一本(この棒を脂の多い枯木のうえでキリモミさせて|火熾《ひおこ》しをする。現在ではライターを使う者もいる)、クサムラカモシカの皮をはいでつくった敷皮一枚、これで全部だ。ウガリこね用のシャモジすらない。ときたま、農耕民からトウモロコシを手に入れてウガリをつくる時は、ありあわせの棒を拾ってこねるのだ。
夫は、半ズボンをはき、上半身裸体。夫人は、けものの皮をなめしてつくった腰布。
直径二メートルの小屋に、家族全員が住んでいるんじゃ、居候のもぐりこむ余地はない。わたしは居候をするかわりに、ハツァピ族の雨季のキャンプ地のまんなかに、ハツァピ風の家を一軒建てることとした。労賃兼引越しのアイサツの手土産に、ヤギ一頭を約千円で買って、雨季のキャンプの全員にふるまった。ハツァピ族の友人達は、よろこんで、わたしの小屋をつくってくれた。もっとも、建築作業も簡単だ。女五人が二時間も仕事をしたら、もうわたしの家が出来あがってしまった。屋根のうえに申し訳程度に草をのせて日よけにしただけ。壁はチトセランをならべただけなのですこぶる見通しがいい。その頃、雨季のキャンプ地では、八軒の小屋が円形の広場に建てられていた。わたしの小屋は、そのまんなかにつくってもらった。そこで、壁の隙間からすべての家が何をしているか、居ながらにして観察することができた。
ハツァピ風の小屋のほかに、集落からちょっと離れた場所に、わたしはテントを張っておいた。わたしの炊事小屋であった。
わたしはなやんでいた。本当ならハツァピ族と一緒にくらす以上、かれらと食事もともにすることがのぞましい。だが、狩猟採集民のかれらの食生活は、いちじるしく不安定である。運が悪いと、ときには、二日くらい食物にありつけない場合がある。また、ハツァピ族の食事は、わたしたちにとって、決してうまいものではない。しぶい木の実、筋だらけの根茎。まずいのは我慢したらよい。二、三日くらい絶食することだってできる。だが、わたしは、原住民と同じ生活体験をするのが目的ではない。それは、手段であって、調査が目的なのだ。腹がへっては、わたしも仕事どころではなくなってしまう。それに、とぼしいハツァピ族の食物をわけてもらうのは、気がひけることだ。
ハツァピ族が飢えているのだったら、わたしが食物をわけあたえたらいいじゃないか。それでこそハツァピ族の友人ではないかという考えも成り立つ。わたしにだって、雨季のキャンプ全員三十名を一カ月くらい養うこともできたはずだ。ウガリにするトウモロコシの粉を村の商店で買っても、石油罐一杯が三百円くらいのものだ。だが、そんなことをしたら、ハツァピ族の生活様式を観察するという、わたしの仕事は、めちゃめちゃになってしまう。男は狩にでかけるのをやめ、女は食用植物の採集にいかなくなるだろう。そして毎日、わたしのところへ食物をねだりにくるようになる。友人というのは、対等の立場でつきあえるものでなくてはならない。一方的な恩恵が与えられるようになったら、友達ではなくなってしまう。
そこで、ハツァピ族のなかでくらすときだけ、わたしは自分の食糧を用意して、集落から離れたテントのなかでこっそりと炊事をすることにした。空腹の友人達に対して、後めたさを感じながら。
ハツァピ族の友人達は、遠慮して、わたしが炊事小屋にこもったときにはあまり訪ねてこなかった。だがそばを通りかかったら、まねき入れて、かれらには珍奇な料理の味見くらいはしてもらった。またわたしも、ハツァピ族の食物をひととおりは味わわせてもらった。
植物採集は、女の仕事である。男も狩やハチミツ採りに出かける途中、食用になる木の実のある所へ寄ってはたべていく。木の実は、ほとんど生のままたべる。雨季に実る、オンドシビとよばれるグミに似て少々シブ味のある木の実が一番重要な採集食物の一つだ。二十個もたべるとわたしたちには、半日くらいあとまで舌にシブさが残る。だが、ハツァピ族は一度に何百個もたべる。
この年は雨季の到来がおくれたので、オンドシビの実りが悪かった。女達は、木の枝の一端をとがらした五、六十センチの掘り棒をもって、毎日一度山ぎわに出かけて、キヨッコワという根茎を掘った。まだ、狩に参加しない十歳くらいまでの男の子も採集に連れてゆく。
キヨッコワは、三、四十センチの長さをした木の根のようなものだ。掘った場所で焚火をして焼く。焼きあがっても、まだ堅い。灰だらけになった表面の皮をはいで、サトウキビのように、かじりつく。なんと筋ばった食物だろう。少々青くさく、かみしめると甘みがある。たべ残した根茎は、各戸へ持ち帰って、狩から帰った男に与えられる。
ハツァピ族も、このごろはトウモロコシをたべる。畑を持っていないので、スワヒリ農耕民の開墾や家つくりの手伝いなどをして、その代償として、トウモロコシを手に入れるのだ。トウモロコシは貴重品あつかいである。ほかの食物のないとき、老人と子供にたべさせる。トウモロコシは、ナベで煎ってハゼトウモロコシにしてたべるのが一般的だ。
ふつうのハツァピ族には、ウスがないので、近所でひろったひらたい石のうえで、砲丸のような叩き石でもってトウモロコシをたたきつぶしては、根気よくひいて粉にする。トウモロコシの粉は、スワヒリと同じく、ウガリ、ウジにしてたべる。
京大隊の隊員として長いあいだマンゴーラで、ハツァピ族の研究に従っていた富田浩造さん(現在日本青年海外協力隊事務局、タンザニア駐在)によると、通常ハツァピ族が狩でとる獲物には、クサムラカモシカ、ヒロツノカモシカ、シマウマ、ドゲラヒヒ、イボイノシシ、ウシカモシカの六種、鳥ではホロホロ鳥、フラミンゴ鳥の二種が多いとのことだ。このほかに、私が観察した例としては、ノウサギ、ロックハイラックス、野ネズミ、陸カメ、スズメの類をたべていた。
肉の料理法には、焼く、煮るの二種類がある。アルミナベで煮てたべる場合が多い。肉は大きな固まりのまま煮る。ナベのなかで首から切りはなされた野獣の頭が、ギロリと目をむいている。
ときたま、エヤシ湖底から採集してきた塩が使われるほかには、調味料はない。文字通りの水たきだ。野菜などを一緒に煮こむこともない。けだものの腸の内容物、別の言いかたをしたならば、製造過程にあるフンが風味をそえるものとして、一緒に入れられる。腸管をしごいて、黄緑色をした内容物をとりだして、ナベのなかにぶちこむ、独特の臭みと、胆汁の苦味がまじっていて、わたしには、内臓入りの水たきは、あまりいただけなかった。
狩の獲物が小動物の場合は、狩に出た男たちでたべてしまう。男たちの飢えが一応おさまったあとで、残りはキャンプに持ち帰られる。小動物の場合は、射た者の家で消費される。ロックハイラックスのような小動物でも沢山とれた場合や、大動物の獲物がとれた場合は、均等に各戸に分配される。
一九五七年十二月二十日から、三十日までの十日間に、八戸、人口三十人の雨季のキャンプ全体で得られた動物性の食品をあげてみよう。
 十二月二十日
シマウマ一頭、山奥へ毒つくりに行った二夫婦が射る。その場で二十二日まで四人でたべつづける。くわしくは第三部「食事の回数」参照。クサムラカモシカ一頭、狩に出た二人の男の属する各戸で消費。
二十一日
なし。
二十二日
シマウマの肉十キロ。二十日に得たものの残りを持ってくる。各戸に分配。
二十三日
ウシの頭と後脚一本。近所のスワヒリ農耕民のところで、病気で死にそうなウシを一頭屠殺したので、おすそわけにあずかる。各戸に分配。
二十四日
ハチミツ約二リットル。採集者の属する二家族でなめてしまう。
二十五日
なし。
二十六日
ヤギ一頭。サバンナのなかで、行きだおれになっているのをハツァピ族の一人が発見。居あわせたキャンプ中の男が手分けをして、放牧路にあたるダトーガ族やイラク族の家を訪ねたが、該当者見あたらず、ちょうだいしようということになった。各戸に分配。
二十七日
ロックハイラックス三頭。うち二頭は、狩に出た男達だけで、山のなかでたべてしまう。
一頭を持ち帰り、射手の一人の家で消費。ロックハイラックスとは、リスくらいの小動物。柄は小さいが動物学的には、象に一番近いけだものだ。
ハチミツ一リットル。狩に行く道でみつける。二戸に分配。
二十八日
ロックハイラックス五頭。うち四頭を狩に出た若者達でたべてしまう。一頭を持ち帰って、一戸に与える。
ヒツジ一頭。病死しかかったものを、スワヒリ農耕民からもらう。各戸に分配。
二十九日
ロックハイラックス二頭。射手の家へそれぞれ持ち帰る。
ハチミツ一リットル。発見した若者たちでたべてしまう。
三十日
なし。
これらの動物性蛋白質に加えて、老人、子どもにたべさせるトウモロコシと、女達が集める根茎キヨッコワの献立が加わったものが、この十日間の雨季のキャンプの食事であった。
 こうしてみると、病死寸前の家畜のおもらいや、ゆき倒れの家畜のひろいものの占めるウェイトが、案外大きいことがわかる。農耕民、牧畜民がマンゴーラを占領してから野獣の数は減少し、動物、食用植物の少なくなった今日、もう、ハツァピ族の生活は、自然のめぐみだけでは、やっていかれないように追いつめられている。現在、マンゴーラに住むハツァピ族は、人口八十人くらい。かれらの狩猟採集の生活様式が消滅するのも時間の問題であろう。それは、東アフリカにおける最後の狩猟文化の終滅を意味する。
ハツァピ族の生活は、物質的にはたしかにまずしい。しかしかれらの精神は、決してみじめったらしくもなければ、野蛮でもない。わたしは東アフリカのさまざまな部族とつきあったが、そのなかで一番人なつこくて親切だったのがハツァピ族であった。
ある東風の強い晩のこと。草を枠組にしばりつけることすらせず、草をのせただけのハツァピ族の小屋でわたしは寝ていた。烈風に、わたしの小屋の屋根の草は、少しずつとばされて、木の枝の枠組だけ残った屋根から悽惨な月が、雲が流れる夜空をゆっくりとめぐるのがみえた。わたしは何度も浅い眠りからさめては、月をながめた。わたしは目をさますたびに、小さな影がわたしの小屋から遠のいていくのを知っていた。ハツァピ族たちは、夜目がさめるたびに、誰かが自分の小屋の屋根から草をひきぬいて、わたしが目をさまさないようにしのびよってきては、わたしの小屋の屋根をなおしてくれていたのだ。
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