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ユーモアの鎖国24

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:まじめな魚それは子供のとき見た絵本の、マンガのひとこまです。海に落ちた目ざまし時計をまんなかに、魚がウサン臭そうに、あち
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まじめな魚

それは子供のとき見た絵本の、マンガのひとこまです。海に落ちた目ざまし時計をまんなかに、魚がウサン臭そうに、あちこちから寄ってくる。
絵をみて笑ったのは、人間の子供でしたが、子供が大人になって思い出すのは、笑った自分ではなくて、驚いている魚の目のほうです。きれいな花なら根を移し植えることができます。あの絵の魚は——やはり飼うことができるでしょうか。
まさか、飼っておこうと思ったわけではありません。であるのに、あのマンガの中の魚たちが、かわいい目で最近、私の電話の受話器をとりかこみ、目ざまし時計を見たときと同じように近よっては、かわるがわるつつきます。ことに遠い土地へのダイヤルを、私がまわす時など。
先夜も伊豆の親類へかけると、ただちにいとこの声が私の耳にとどくのでした。あたりまえのことです。それを、魚たちはやはり、オカシイ、といいます。もしかしたら電話が便利に出来ているのではなくて、人間の構造のほうが、たいへん不便に出来ていて、非常に近くにあるものが遠くへだてられているのではないか、と、重大なことを申します。
発明とか、発見というものは、無限に遠くへひろがってゆくことなのか。無限に何かに近づくことか。
この辺はどうも、脳髄を古い絵の中の魚が泳いでいる私のマンガ的発想にゆきあたるのですが。
その伊豆・子浦へ行ってきました。電話が一瞬で飛ばしてしまう風景をたどり返しに。
久しぶりでゆく親類はごたぶんにもれず、広い家を半分改造、民宿開業となっておりました。そこで私は、はじめてほんとうの客となりました。
大好きな、夏の子浦料理、直径五十センチもあるような皿に、とりたての鰺《あじ》を開いて並べたサシミ。それは出なくて、あまり見かけない鯛《たい》に似た形のよい焼魚を出され、これ何? と聞くと「さあ、何ずら? 冷凍で来つらヨ」と言われました。食卓から鰺は遠ざかり、冷凍魚の近接です。
この辺の経済も非常に成長していました。
暑いさかりは住人の三倍近い海水浴客でにぎわう、といいますから、同慶の意を表しました。土地の人は、その持っている美しい風光をおすそわけし、都会の人はサイフのお金を、互いに分けあうのでしょう。私はその交換が、ほんとうに均衡を得ているだろうか? と、磯の先で足を海にひたしながら案じました。
すこし沖を、ゴムボートがひとつ。大の字に寝た青年を乗せ、ただよってきました。波が、もてあますようにゆすってやっているので、私は、ご苦労さまです、とつぶやきました。
青く澄んだ水のおもてを、ちいさい魚が、ごく自然に群れをなして泳いでいましたが、とても真面目《まじめ》な顔をしていました。
マンガの中の魚もまじめだったなあ、と思いました。
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