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ユーモアの鎖国28

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:試験管に入れてすぎ去った日の、底のほうに沈んでいたちいさな言葉、なんでもない言葉が、とつぜん目の前に浮き上がってくること
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試験管に入れて

すぎ去った日の、底のほうに沈んでいたちいさな言葉、なんでもない言葉が、とつぜん目の前に浮き上がってくることがあります。
「これが上の娘です。気まま者でして」
まだ若かったころの父が、笑いながら相手に向かっていうとき、ひとりの童女は、どうやら自分は気まま者という、あまりほめたものではないらしい、けれどその子をはじめて紹介する父の仲間、大人という仲間に向かって、ニコニコ押し出してやりたいほどの、わずかな満足をかくしているらしいことを感知して、親の、腰のあたりに身をひそめ、テレながら外をうかがい、甘えと、おそれと、もひとつ、そういう者であるらしいところの自分を新しく意識するのでした。
後年私は、どちらかといえば陽気な、小心で律義《りちぎ》だったこの父に反目《はんもく》し、いきどおりの中で恨み死にさせてしまうことになるのですが。
振り返ってみたとき、ただなつかしい、と言ってしまえばそれで済んでしまいそうな、あの紹介の中に、ズバリと子を見通した父親としての評価があることに気が付きます。
私の本性はたいへん気まま、わがままに出来ているようです。私は私であるがままにずっと生きて行きたかったろう、と思います。それの出来なくなってゆく過程、出来ないことが積み重なってゆく月日の中に、私の人生は展開いたしました。
 どう生きるか、その生き方について語れ、と言われても、私は答えられることは何ひとつ無いのに困りました。私は生きてきた、それだけのことです。具体的には物の食べ方、働き方、人とのつき合い方など、私らしいとても自慢にならない下手なやり方があるわけですが、その実績を紙一重でも超えて、生き方、という旗じるしを掲げることが出来ません。
私が育てられたのは、ちいさいけれど暮らしに困ることもない商家でした。足りないものは四つの時に亡くなった母親。過去があって現在があるように、ないことによってあるものが支えられているとしたら。亡い母親は、私にあるべき運命をさずけた、とでもいうのでしょうか。母と呼ぶ人を四人迎えました。その手前には三人の母の死があるわけです。私はごく自然に、自分をしばるものから解き放し、自由に生きることをいのち全体で希望したに違いありません。十五歳の時点では教育と家庭から。それで最初に選んだのが働くことでした。というと少し立派にきこえますが、勝手につかえるお金が欲しかっただけです。
 お金とはこわいものです。お金が与えてくれる自由が、どんなに自由というものの部分にすぎないか思い知るのは、私にとって容易なことではありませんでした。
いま振り返ってみると、自分が望んではっきりと道を選ぶことが出来たのはその時だけでした。
話がとんでしまいますが、政治には、この部分的自由を極端に一カ所に蓄積してしまい、少数の人がその鍵を握ることで人の心を貧しく、飢えさせ、ただもう自由は金の力を借りるしかないように世間をかりたてることで繁栄する方法もあるのだ、と知りました。
気ままものの私が、少女のころから働くことでわがままを伸ばそうとし、そのためにしたがまんの分量を考えると、奇妙なおかしさがこみ上げてまいります。
年をとるほど、親族と、生活の不安は私を束縛し、定収入、つまりサラリーマンとしての位置から一歩もはずれることなく、保身をはかってきました。職場が銀行だからそれが出来た、ともいえるのですが。その間、戦争は家を焼き、敗戦が家族の病気とともにおとずれたりしました。
人はよく前向きに生きる、と申しますが、私が前を向くと、うしろばかりが立ちふさがってくるのです。あまりに不安定な世の中に生まれ、未来ではなく、既にあるものの、どうしようもないかなしみのようなものに手も足も染めて、何とかしなければ、という思いにばかりかり立てられるために。希望とまでゆかない、こまやかな願いごとをつなぎ合わせることで日々をつないできました。
 戦後、私を大切にしてくれていた祖父が亡くなる前、年をとったひとりの女が生きてゆくことをどのように案じるか、たずねました。「お嫁にも行かないで、この先、私がやってゆけると思う?」「ゆけると思うよ」「私は、私で終わらせようと思っているのだけれど」「ああいいだろうよ、人間、そうしあわせなものでもなかった」
闇の世を立ち出でてみればあとは明月だった、という句を、祖父は口うつしで私に伝え、やがて逝《ゆ》きました。
あの会話は、からだの自由を失った老人が、私の将来に見当をつけての思いやりだったと気が付きます。
これからひとりで老年を迎えることがどれほどさみしいか試《ため》さなければ、といった覚悟のようなものは多少用意したつもりでしたが、実際はどう堪えおおせますことか。時には試験管の中に自分を入れ、振ってみます。
そんな旗じるしのない私の精いっぱいの表白が、詩のような形をとりはじめてずいぶん久しいのです。
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