ざくろの木が立っていました。パンやさんの裏庭に一本だけ。
私の家の裏手にあるトタン板張りの囲いを飛び越えてその庭にもぐりこむと、と言ってもふとんにもぐりこむわけではありませんので。どこからも道らしい道の通じていない場所に、はいりこんだ、というわけです。初夏の空の下に、ざくろの花があかく咲いていたりしました。
私はパン焼きのかまどをのぞき、そこの職人さんにねだって、粘土細工でもするように、てのひらにのせてもらったパン種を、パンらしい形にまるめて遊ぶのでした。
職人さんが、ほんとうのパンといっしょに、私のまるめたパンをかまに入れてくれたことを、今になって感謝しています。あのお兄さんは、汚れて食べられるはずのないちっぽけなパンを、かまどの隅のじゃまにならない所におくと、大まじめに火を入れて、子供の夢をふくらませてくれたのでした。
表通りにある写真店に、たまに写真を撮りに連れて行かれると、洋館風の二階に通され、その窓からは正面の高さに、横に長いパンやの看板が大きく見えました。
※[#T-CODE SRC= DNP3C9EA8.PNG ]パン食になるるは国民の最大急務なり
その看板の言葉の意味が私にはむつかしく、ことに「なるるは」というのが、最大にこまるところでした。昭和初年の、平和な日の思い出です。
第二次大戦中、ひどい食糧難におちいった時、ああ、死ぬ前にもう一度クリームパンを食べたい、と友だちに語りました。友だちにも、死ぬ前にどうしても食べたいものがあって、てんでにそういう話をして遊んだわけです。何ともいじらしい青春の夢でした。
食糧、ことにお米というものがどんなに大切なものか。一軒の家で一日一粒の米をむだにすると、全国ではどのくらいの量になるか。稲の苗から飯粒となって人の口にはいるまでには、どれだけの月日と労苦がかかっているか、など。学校でも家庭でも、心に着せられた一枚の肌着のように、教えとして身につけられてしまっては、いまさらその考え方を変えろ、と言われても簡単にはまいりません。
このごろ食堂などで、若い人たちは出されたご飯をあっさり半分ぐらい残して「ふとるんですもの」と言います。私はきれいに食べて、皿のへりに一粒でも残っていると、ていねいに拾ってしまう。そんな仕草はたいそうケチン坊のようでもあり、見苦しいお行儀のようでもあり、先に箸を置いた人にじっと見つめられると、罪悪を犯しているようなヒケメさえ感じることがあります。国民はパン食にすっかり慣れてしまいました。
すべての移り変わり。政府があり余るお米の始末に困り、減反《げんたん》を命じ、遊ばせる田に奨励金を支払うと聞けば「お前しばらく働かないでくれ、遊んでいる間の小遣いはやろう」と言われているような、妙な気持ちがいたします。むつかしいことはわかりませんが、それだけ日本列島から緑が減っているのは事実でしょう。
戦争中、人間であることに希望を見出せなくて、母親にはなるまい、と心に誓ってしまったおろかな私は、昨今、家族をはなれ、はじめて一人住まいをはじめました。スーパー・マーケットに買い物に行くと、人の背丈ほどに食糧品がぎっしり並んでいて、必要なだけ無言で籠に入れる。先日、後ろからサッと来て、菓子の大袋をガバガバッと五袋投げ入れて、忙しく立ち去った婦人に感嘆。あれは食べ物か、飼料か、と首をかしげてしまいました。
いつも誰かがいて、玄関に鍵をかけずにいたのがこれまでの家であったなら、神経質にいちいち鍵をかけて出るアパートの一室は、何と呼んだらよいでしょう。私は買い物籠を下げ、キー・ホルダーにはめた四個の鍵をちゃりちゃり鳴らし
第二次大戦中、ひどい食糧難におちいった時、ああ、死ぬ前にもう一度クリームパンを食べたい、と友だちに語りました。友だちにも、死ぬ前にどうしても食べたいものがあって、てんでにそういう話をして遊んだわけです。何ともいじらしい青春の夢でした。
食糧、ことにお米というものがどんなに大切なものか。一軒の家で一日一粒の米をむだにすると、全国ではどのくらいの量になるか。稲の苗から飯粒となって人の口にはいるまでには、どれだけの月日と労苦がかかっているか、など。学校でも家庭でも、心に着せられた一枚の肌着のように、教えとして身につけられてしまっては、いまさらその考え方を変えろ、と言われても簡単にはまいりません。
このごろ食堂などで、若い人たちは出されたご飯をあっさり半分ぐらい残して「ふとるんですもの」と言います。私はきれいに食べて、皿のへりに一粒でも残っていると、ていねいに拾ってしまう。そんな仕草はたいそうケチン坊のようでもあり、見苦しいお行儀のようでもあり、先に箸を置いた人にじっと見つめられると、罪悪を犯しているようなヒケメさえ感じることがあります。国民はパン食にすっかり慣れてしまいました。
すべての移り変わり。政府があり余るお米の始末に困り、減反《げんたん》を命じ、遊ばせる田に奨励金を支払うと聞けば「お前しばらく働かないでくれ、遊んでいる間の小遣いはやろう」と言われているような、妙な気持ちがいたします。むつかしいことはわかりませんが、それだけ日本列島から緑が減っているのは事実でしょう。
戦争中、人間であることに希望を見出せなくて、母親にはなるまい、と心に誓ってしまったおろかな私は、昨今、家族をはなれ、はじめて一人住まいをはじめました。スーパー・マーケットに買い物に行くと、人の背丈ほどに食糧品がぎっしり並んでいて、必要なだけ無言で籠に入れる。先日、後ろからサッと来て、菓子の大袋をガバガバッと五袋投げ入れて、忙しく立ち去った婦人に感嘆。あれは食べ物か、飼料か、と首をかしげてしまいました。
いつも誰かがいて、玄関に鍵をかけずにいたのがこれまでの家であったなら、神経質にいちいち鍵をかけて出るアパートの一室は、何と呼んだらよいでしょう。私は買い物籠を下げ、キー・ホルダーにはめた四個の鍵をちゃりちゃり鳴らし
孤独になる(れ)るは国民の最大急務なり
などとつぶやきながら、トボトボ坂道をおりてゆきます。