はじめに私が選んだのは、働く、ということでした。その志の中継ぎをしてくれたのは職業紹介所で、私を選んでくれたのは銀行でした。
たいへん就職難の時代で、こちらがどこをと希望する余地はありませんでした。あってもよくわからなかったと思います。会社という相手に対して希望があるわけではなく、働く場を求めただけのことです。
いまの人はまず仕事を選び、職場を選び、そこで自分をどう生かそうか、と考えるのでしょうか? 私の場合は働いて得た金をどう生かそうか、その生かし方で自分を生かそうと、少し回り道をして考えました。それは職業に対して無自覚な態度である、と現在なら責められるかも知れません。それで私が説明しなければならなくなるのですが、あの時代のオツトメに、少女がどれだけ自分を生かすことの出来る職場があったか、ということです。昭和十年ごろのことです。
一般の会社では、女性はあくまでも使われる者の立場。身分制というものがゆるぎなく立ちはだかっていて、経営者の次に男性という上層があり、その下で働くという、二重の枷《かせ》がありました。それさえ明確には気づかなかった、というのがほんとうですが。昇進というものから切り離された女性の地位は、昇給という形であがなわれ、上へ行くといっても女性の中で少し頭株になる、という程度のことでした。
そこに私の希望がありました。昇進の労を必要としない女の身分に満足したのです。売り渡さないですむ心情、とでも申しましょうか。自分を確保することがたやすかったのです。私は会社にとり入る心、会社が必要とする学問、栄達への努力をしないで働くことが可能でした。いい換えれば、ちょっとした走り使い、たのまれる範囲の仕事を、けれど頼まれた以上はできるだけちゃんと、していればよかったのです。そのために受け取るものが少ないのはがまんしなければなりませんでした。同僚とくらべて少ない時は、そのがまんもつらかったことを白状いたします。
ところが、この金を受けとることの少ない立場というのは金だけにとどまらないのが社会でした。金を多くとり得る人たちは力を持っていたし、権力さえ握っていることに気づかされて行きます。鼻っ柱の強い元気な少女は次第に自信を失い、自己卑下を処世とだぶらせ日常化し、元気のかわりにあきらめをとり入れながら年月を重ねることになります。その間、不景気、戦争、インフレ、といった状勢は、どんな小さい人間をも、小さいゆえによけいたやすく巻き込むことをしてきました。今日の私はその果てで働いています。
仕事の上でこれという発展もなく、それゆえたいした昇格もせず(戦後、女性も役職者への道がひらけてきましたがまだまだ微々たるものです)、律義に働いたつもりだ、と主張しても、入社時とあまり変わらない律義さでは、使う方も困るだろうと察しがつきます。かいつまんで言ってしまうと、つまり私は職業人としての落第生、悪い見本です。これから働きに出る、学問や技術を充分に身につけたであろう若い人たちに、何の助言ができるか、と考えます。その資格は無いようです。ただ、忠義の人をたやすく信じません。戦争中、職業軍人が国に示した忠誠、あの忠誠とは何であったか。戦後、会社勤めをする人々が、会社への忠勤をはげむ、その忠勤の本質は何であるのか。優秀な会社員が公害企業の重役や社長になりおおせた姿を見て、またしても目を見はる思いがいたします。では何にもなれなかった私は、それらと無縁なのか。私の手は汚れていないのか?
いっぽうではそんな問いを据え、片方ではさざ波よせつづけるちいさい静かな入江のような職場で、互いの神経だけがこまかくこんがらかる毎日をどうすごしよくするか、といった問題に悩まされて通勤します。どちらが時間的に多く心を領するか、といえば後者です。
そこで、私に問いかけられたところの「魅力ある職業人」とは何を指すのか、逆に聞きたいと思います。魅力といっても、それは誰にとっての魅力なのか。経営者側にとっての魅力ある女性、男性側から見た魅力ある人、同性にとっての魅力ある仲間、色々あり、その全部から魅力を感じてもらいたい、という至難なことをねがう人もあろうか、と思います。私のあずかり知ることではありません。
では私は同僚として、どういう人を仲間にしたいだろうか? 我こそは魅力ある女性に、などと気負わない、ごく自然にああいいなあ、とひかれるような魅力。働く以上しなければならない地味な仕事を果し、日常の挨拶など上下の区別なく、男女の区別なく、気持よくとりかわし、女性でいて女性をバカにしてかかることのない人といっしょなら、ずい分やりよいだろうと思います。