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ユーモアの鎖国42

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:五円が鳴いた私がはじめて給料をもらったとき、祖父は十八円はいっていた袋の中から五円ぬき取ると、これを貯金にしなさい、と命
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五円が鳴いた

私がはじめて給料をもらったとき、祖父は十八円はいっていた袋の中から五円ぬき取ると、これを貯金にしなさい、と命じました。残り全部私のものになったのですから、上級学校へ行かないで働きに出た、ということの悲壮感もなければ、生活上の逼迫《ひつぱく》もなかったわけです。
とは言っても、現在のように職員組合もなければ労働基準法の適用もない、身分制度というものの根強く残されていた会社づとめ。ことに女が働くということは今ほど一般化されていなかったので、職業婦人という言葉には、あるさげすみの含まれていたのも事実でした。昭和九年、非常に就職難の時代でもありました。
その難関をぬけて銀行の事務見習員、いい替えれば給仕になったわけです。採用されたことを、年寄りはひとつの光栄のように受け取って言いました。
「飼われるなら大家の犬に、と申しますからね」
祖父は私をたいそう愛してくれましたが、働くということを昔のご奉公的感覚で受けとめていたので、多少からだの具合が悪い日でも、
「なんですか、起きていられるなら行きなさい」
 と叱咤《しつた》し、休ませてはくれませんでした。やっと勤めを果たして家に戻ると、朝の表情はあとかたもないばかりか、一日中心配し通していたことをありありさせて、
「さあ早くおやすみ」
と、ふとんまで敷いて待っていたりしました。今様に言えばずいぶん封建的だったわけです。
そのころ、女が働きに出ることが特殊な目で世間からむかえられていたように、女が物を書くなどということは、更に特殊なことに考えられていました。本を読む暇があったら、お裁縫でも料理でもしなさい。それは小言としてポピュラーでした。
小学校のころから勉強もそっちのけで、小説を読み、詩だの歌だのを書く少女をかかえた家族の心配は、容易なものではなかったろう、といまになって考えます。
その少々変り者の孫娘に五円の貯蓄を強いた老人が、
「これだけがやがてお前のたよりになるだろう」
とさとした、その声が三十年以上たったいま、なぜ急によみがえって来たのかと、いぶかしく思います。
あの言葉は、裏返すと親も兄弟も、ついに頼りにはなるまい、その時、積み立てたお金がありさえすれば、という意味あいだったのでしょうか。
親も兄弟もたよりにはなるだろう、しかし何といってもこれが無いとネ、といったユーモアでしたろうか。
もっと別の、すべてがお金でうごいているからね、お国のおおもとも、これが土台さ、と言ったのでしょうか。
とにかく、生活というものがいつも安心の上になり立ったことがない。何かあった時の用意を常にしておかないと、どんな目にあうかわからない、という恐ろしさがちいさい住居の周囲を化け物のようにウロウロしていた、といっては大げさでしょうか。せっせと働き続けました。そのため貯金通帳の残高は、いつもすくないながらゼロになることもなく来ました。
そのことを、ふと思い出したのです。私のお金の末尾の五円。あるいは何万円かの中の底の底に根のように張っている五円。あれは昭和九年のもの。
話は違いますが、職員組合の話し合いなどで男の人の言うこと、
「君たち給料が少ないというけど、僕らよりずっと貯金を持っているじゃないか」
だから女の暮しは男より楽なのだ、と。
たしかに家族を養う、という義務のまだ生じない一部の若い娘さんたちは、少々貯金が多いかも知れません。
もひとつ。
「僕ら金融機関に働く者より、炭礦労働者の方が、ずっと貯金が多いんですよ」
だいぶ前のことですが、それを聞いたとき、私は経済の専門家が情ないことを言うと思ったものでした。
財産も、学歴もなく、そのうえ職業上の安定がない場合、不時にそなえてどう用意しなければならないか。
「これだけがたよりになろう」
そのことがちらちらと見えていれば、たちまち値打ちが色あせてゆく紙幣とは知っても、百の暮しを五十につめて、収入がゼロになった日のために、とっておくしかないだろう、と考えます。
貯金の残高は、不安の残高と同質に思われます。すると昭和九年の不安と、現在の不安とどれほどの差違があるでしょう。経済成長が額面をセリ上げただけ多くなった不安の残高、といっては皮相でしょうか。
秋です。三十年以上前の私の五円が、繁栄の根元のあたりで鈴虫のように鳴きはじめたとしても仕方ありません。
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キイテオクレ五円ノカナシミ
ワタシハ五円、イツモ五円
[#ここで字下げ終わり]
 あれはひとりの少女が自分の労働をお金にかえてお国に預けておいたものなのに。お国は年々その価値を減らして行った。そうしてへらし取った価値の分量を、誰が、何へ投機し、何をショウバイしたのか。私が問い直したいのはそのところなのです。
職場は解放された、と言っても、現在の政策の手の内を知って(ああそれがなぜ、学問なのでしょう)うまくやっている人と、やれないでいる人。大家の主人顔をするものと、やはり犬でしかないような立場もあって。明治生まれの、いまは亡い祖父のことばが、前よりは複雑な内容をもってかえってくるのでした。長く飼われた末に「たよりになるのは——」何であったのか、と。
国を信じ、戦争を信じ、復興を信じ、と並べると、それが泣きごとにきこえるほどコッケイな時代が来ているのでしょうか。
それとも、もっと別のおそろしさ。五円の値打ちは変ったけれど、国の方針は昭和九年のころとたいして変らない、というようなミステリー。
物思う秋にきて、貧しい思考はたった五円で動きがとれない所へきてしまいました。無学者の私が物を知る、ということは、ほんとうに手間ヒマのかかることばかりです。
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