十五の年から五十三歳の今日まで同じ職場で働き通した女性が、無事退職、とは言い難いやめかたをした。「とてもがまんがならない」というわけらしい。あと二年で定年を迎えるのに、と同僚後輩から退職金の減収を惜しまれながらの退職である。その人の別れの茶会がひらかれる、というので、私は私同様三十娘の三人と近郊にある会社のグラウンドの隅に最近建てられた茶室に出向いた。
はじめて見る一戸建の茶室は、梅などが咲く土地のなだらかな勾配にたてられていて、浅い春の陽ざしをいっぱいに受け、つくばいの水のきよらかな流れを光らせていた。お茶というのでことさら美々しい和装の若い人たちも大ぜいみえて、はたから見れば常とかわらぬなごやかな茶会の風景である。
四人は離れのあずまやからこれをながめて、彼女はこの先、どうやって暮すのか、とひとごとではない話に口をとがらせていた。
戦前から戦後にかけて働いた者には、会社がこうして、会社の施設を女性に使用させることすらある感慨なしには受け取れないのだ。いい茶室が出来て、という言葉のかげにはそれが無かった時代が腹合わせに考えられている。
婦人運動家などと違って、目的意識がごく消極的で、食べてゆく為に働きつづけてきた事務員である私たちには、いつも与えられるものを受け取る、という受け身な姿勢ばかりが、自分ながら目立つ。「こんなグラウンドが出来て、こんな茶室が出来て」いいわねえ、というわけだ。自分たちのためにつくられた、と知りながら、それはより多く、あとの人たちのために利用される、ヒガミのような気持もどこかにあるらしい。
そういえば良い衣地、良い下着、良い施設、それらが目の前にあらわれるたび、「まあうれしい」というより「いいわねえ」と、やや客観的な祝辞を発するのも、この三十をはるかに過ぎた者たちだ。
茶室にとおって一杯の茶を喫した私が贈られた小扇をひらくと、
在職の四十年短し水仙花 静
とあった。
随分もとでのかかった俳句だ、とパチリ、痛いような音を立ててそれを胸にたたむと。
彼女が退職後、ひと月たつかたたない日に、今まで殆んど男子のみだった一般昇格の辞令が年かさの何人かの女性にも出された、その祝いとも言えぬ祝いをしに、四人は席を立った。
駅は人間と喧噪の渦、どこもかしこも足場が悪く、顔をしかめて歩く仲間に「あれをごらんなさいよ」と私が指さすと、一人が「目下工事中」と読んだ。
「どこへ行っても工事中よ、みんな出来上がったら私たちオバアサンになっているのじゃない?」と説明し、そこで大笑いをすると、四人は一緒に焼鳥屋へ行って、はじめて女だけのオサケ、をかたむけた。