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ユーモアの鎖国45

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:よい顔と幸福先ごろ職場しんぶんに、私たちの銀行の人は大へん良い顔をしている、という一文が載った。それは比較の問題だから、
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よい顔と幸福

先ごろ職場しんぶんに、私たちの銀行の人は大へん良い顔をしている、という一文が載った。
それは比較の問題だから、銀行以外の人、つまり世間一般の人々にくらべてみて良い顔をしている。良い、といっても形だとか色だとか様々な良さがあるから、何が良いのか、といえばこの場合何となく、であり、人が良い、ということなのだ、と受け取った。
ともかく結構な話であった。
しばらくすると、それに次いでまた一文あった。
本当に銀行の人は良い顔をしている、ことにわが子息たちはまことに良い顔をしているが、この大層な世間を前にして、この良い顔をした子供たちはどうやって世渡りをしてゆくであろう。という、それは、親ともなればそういう心配もあろうかと、心うたれる文章でもあった。
ふたつの文章を読み終えて、私の頭鉢から浮き上がってきた感想は、どうしたわけか、綿アメのようにやわらかく、あじわってみて甘いものだった。
「何という幸福な人たちだろう」
かねて私が、ひそかに深い敬意を払っているこの筆者は、勿論そんな甘いことを書いたのではない、それとはまったく反対なことを暗に指摘して、考慮をうながしたものである。それならなぜ、それを共々に不安となし得ないか。
 私は勤続二十五年を数えるが、入行当初に、机を並べて仕事をしている男性を眺め、少女の直感で思いあたったのが「女でよかった」ということだった。
幸福、などという言葉はかなり思考をともなったものだ、と私は思う。直観的には、よかった、とか、うれしい、といった言葉の方が出やすい。私が女でよかった、と思ったとき、私は女であることを幸福だ、と言いかえてもよかった、と思う。それは銀行業務に対する否定、一生の業務としないですむ喜びであった。その喜びは、自分が肯定できる業務に就くことの出来ない最大の不幸について考えおよばなかったのである。
それは私だけの愚かしさに違いないのだけれど、その最大の不幸を忘れさせたものは何か、と言えば生活の困難さ、であったと思う。もしくは困難さへの不安であった。当時もまた非常な就職難で、銀行へはいれた、ということは、それだけでもう客観的には幸福、といわなければならない状態だった。
 そのころ、女性の地位は極端に低かった。封建社会になぞらえるなら武士と町人のへだたり、階級がまるで違う扱い。女性は親睦会に入会することも出来なければ、寮の使用もゆるされず職場結婚などもっての外であった。少し無理な表現かもしれないが、今流の言葉を借用すれば、女性は完全なアウトサイダーであった。違う立場から男性を見る、という目は、この長い期間に私の身についてしまって、離れない。
今の若い女性はどういう感じ方で、銀行へはいってくるだろう。とにかくアウトサイドの席は全部とり払われ、すべての席がインサイドにとりつけられている。みな同等なのだ、けれどかなしいかな私は、インサイダーとして物を考える方途を失っているらしいのである。
それが何かの場合につけ、同感とならず、批判となってしまう。(私としては深いなじみの銀行に、何というなじむ心の浅い人間として暮していることだろう)
立派な文章を読みながら、その味は甘かった、などというのも、ざっと、右のような心の形成を持つ者のフラチな感慨なのである。
 私は、私が言っては僭越になる、前記の父親の誠実さと、深いあたたかさから推して、それに輪をかけた御子息の姿を容易に思いえがくことが出来て、素直にその心配に打たれる気持が本当はあったのだ。けれど、……
ある時、銀行員の家族と一緒に旅行をしたことがある。連れられてきた子供さんは皆、かわいらしく、組合で、苦しい苦しいと言っている親たちの庇護を充分に受けた、育ちの良い顔をしていられた。
しかし時がたつにつれ、一人の父親が見せた自分の子供に対する放任ぶりは目にあまるものがあった。女性に対する言葉づかいといい、食事のあとテーブルの上をかけ廻るなどに至っては、たしなめようとしない父親にむしろ憤りさえ感じた。
貧しいとはいえ、日本中が貧しい中で、銀行員の給料は先ず上、と言ってさしつかえないだろう。この子供たちはこんな形で愛され、そしてもっと貧しい者たちが進学も就職も困難な中で、割合からみれば恵まれた環境で、上級学校も出、それなりによい職場も得、つまりは銀行員の父親のように、次の世代でも上、の位置につくのではないか、というおそれであった。
このような利己的な傍若無人さで、次の中間層が育てられるのか、というやりきれなさであった。
たぶん、これは例外中の例外、と胸を撫でておいた。
けれど貧しさの中で、かつかつに食べ、したい勉強も出来ぬいらだちに、顔がかわるほどの苦労をしている人間の多い、そこではたくさんの醜悪な事が行なわれている世間、でいい顔をしている人間の集りである銀行という村落の幸福、というのは一体どういう性質のものであるのだろう。
旅行でみたことは、たしかに例外であるとしても、利己と保身を拡大すれば、どれもあの姿に見えてくるのは残念である。それこそ人間の本質である、と人はいうだろうか。
 私は青い鳥のお話が好きであった。
半ズボンと帽子の似合うチルチルと、ふくらんだスカートを着て髪のちぢれた可愛いミチルが、きれいな鳥籠を持って旅をする。そしてさがし廻った幸福は、さがさないでもよい、ごく身近な所にあった、という。
それは、随分説得力のある、美しい物語に違いなかった。
幸福、といえばすぐ頭に浮かぶほど、私の子供の頃には、幼い心にしみとおり行きわたっていた青い鳥。
私はそういう幸福への考えかたを、しばらく本棚へあずけておくことにしたい、と思う。
現在は、みんなで、たくさんな幸福をさがしまわらなければなるまい、と考えている。
幸福にもいろいろ種類がある、青い鳥に象徴された、どちらかといえば観念的な幸福というものは、時に人間を危険におとし入れるものではないのか。
こんなに大勢の人達が、物質的にも精神的にも困り果てているときに、どうして手もとにあるものの中に幸福を感じなければならないだろう。いつだって、総がかりで求めなければならないものが人間の幸福なのだ。
そんなにも幸福が足りないとき、そのかけらを手にした人間が、すっかり満足してしまう。かけらでしかなくたって、持ってない人より、どんなにましかわかりはしない。
はたに無ければないほど、その喜びが大きくなる。戦争中のさつま芋のうまさを思い出させる。
が、そのかけらは、持っていない者から見れば宝である。持っていない者のうちには奪いとっても自分の手に入れたい、と願うこともあるだろう。
持っている者の、不安と焦燥が生じる。少ない物の奪い合いとなる。これが現状として私の目にうつってくる。
だから、かけらならかけらなりに、たくさんさがし、持っていない人たちにも持ってもらうようにしなければ、どうしても困るのだ。その人たちのためばかりでなく、自分たちのためにも。
 ここまで書いてみると、私がれいれいしく幸福、と呼んでいるものが、かなり物質的な意味あいのものであることに突きあたる。そうなのだ、今、何が自分や隣人を不幸にみちびいているか、と言えば基本的にそこへ結びついていってしまう。
先年私は慶応病院の三等病室に半年を送ったけれど、六つ並んだベッドに寝たきりの老少におとずれるのは病苦の差だけではなかった。
見舞にきてくれた同僚は「あなた保険料のモトをとったわね」と祝ってくれたが、保険のない女中さんが、もう少しいればよいのに、というような容態であるのに「はずかしいけど、私お金が無いのよ」と言って退院したり、十日目毎の支払日に自分の手術料の金額を気にしている主婦をみるのは、つらかった。
「何という幸福な人たちだろう」
と銀行員に向かって思うとき、その人たちの不幸は見ぬいている筈なのだ。なぜならその次に提示されてあるものが不安、でしかないから。
私は銀行員が、現在従事している業務それ自体に、どれだけ幸福だ、と意識している人があるか、大変疑問に思っている。幸福だって相対的なものであることをまぬがれないから。日本中の人が一応安定した仕事と、将来を約束されたなら、銀行員(全部とはいわない)の不幸はそこからあらためて、はじまるだろう。私はその不幸が、一日も早くはじまって欲しいのだ。不幸の自覚がなければ、幸福の進展なんてありはしない。
 大分前の文芸部の集りの時であった。ある年若い男性が、
「僕、また戦争にでもなりゃあいいと思いますね、そしたら良い詩が書けるかも知れないから」
と発言して、戦中派から「とんでもないことをいう奴だ」とつるし上げをくった。
これは笑い話であったが、何とも笑いきれない話であった。私はそこに、戦争の悲惨を知らない人間の幸福と不幸を、同時に感じたから。
あんまり平穏で、幸福といえるような条件が充分になると、たしかに不幸というものが、不幸という形をとらず、おしるこにつけられた辛い昆布のように、欲しくなるものでもあろう。
そうしたら、幸福とか不幸という言葉も、どのようにでも変えたらよい。「ああ欲しいものはないかしら」という不満を、いま、誰が不幸というだろう。
「あなたは幸福ですか」
と聞かれたことが、一度ある。
何の用意もなかった私が、自分の考えを追いながら答えた記憶が、のこっている。
「そう、
私はしあわせです。
だけど、私のまわりの人たちが
ちっともしあわせに見えないから
私はふしあわせかも知れません」
それは年を経て、はっきりした形をとってきた。周囲の不幸は、私の残された夢、私の自由、私の年齢を容赦なく振り落していったので。
私が幸福についていいたいのは、不幸も考え方で幸福にすりかえるのでなく、自分が幸福と感じているものの再検討と、本当の幸福、より以上の幸福への希求をおこたりなくすること、についてである。
そこで今、私はまったく不幸だ、と言おう。いう先から、
「何という幸福な人だろう」
という哄笑のようなものが、ドームに響きわたる合奏のように、頭中にはねかえってくる。
自分のこととなると綿アメの抒情どころではなくなるから申し訳ない。
どんなにアウトサイドに腰かけていたとしても、私が銀行員である、ということからはずれるわけにはゆかないのだ。
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