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ユーモアの鎖国46

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:事務服私の働いている銀行が、事務服の改善を打ち出したとき、どういうことになるのか、とハラハラした。長い間、事務服といえば
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事務服

私の働いている銀行が、事務服の改善を打ち出したとき、どういうことになるのか、とハラハラした。
長い間、事務服といえばよごれの目立たない上っ張りで、企業ごとに色や形が決められているとは言うものの、似たりよったりが通例だった。
それは働き着であって、おしゃれ着ではない。労働することで必要以上いたむであろうところの個人の衣装を保護する目的の、家庭でいえば割烹着《かつぽうぎ》みたいなものだった。
デパートや航空会社が、美人をそろえてきれいな制服を着せる、その効果を見定めた産業会社や金融機関が、ワレもということでまねしはじめたのか。それとも働く女性の側から、「あらいいわねえ」という羨望《せんぼう》が生じ、ふくれ上がったための流行か。
とにかく労使一本になって推進できる都合のいい改善であったので。いつかしら女性は、容姿自体が社名であるようなカッコよさ? で、画一的に着飾るハメになってしまった。
聞くところによると、ユニホームの良し悪しが人集めにも影響するという。女性は無意識のうちに衣紋掛にさがったブラブラの企業イメージに、自分から若い肉体を合致させてゆく。とまでは深刻に考えたりしないで、同じような衿もとから顔を出してニコニコしてしまう。とてもかわいらしい。
女性側では、そのかわいらしい年代には問題がなかった。問題は中年、高年層にとって深刻である。
私の職場では、最初に三通りのスタイルが案として職員組合に提示された。その中のどれが一番いいか、組合が全員にアンケートしたとき、私は困ったなあと思った。渡し舟に乗って広い川幅のおおかたを渡り終え、停年という向こう岸からの手まねきが見えそうな所まできて、三通りのうちのどれを着せられても閉口してしまうようなデザインの服を支給されたとしたら——。それは着るか着ないかではなく、着なければ働けない立場を示されたことになる。私はすっかり思いつめてしまった。会社をやめるべきか、とどまるべきか。これは生活の問題であり、たしかに組合の問題である。しかし組合のアンケートは、デザインの選択に限られていた。
私はいまさらのように濃紺色の、サージの、シャツカラーの、ひざ上までくる身丈の、ふるい事務服に愛着した。働くのにこれほど都合のよいものを大金かけて取替える必要がどこにあろう、もったいない話だ。
もしかしたら、若い人にしか似合わないユニホームをつくることで、中高年層をいたたまれなくする、または若い人たちにもあまり長居しないほうがよい、と思わせる。そんな計算もふくまれているのではないか、と勘繰った。「もちろんそうよ」、同僚のひとりは軽く答えた。どうも私の世代はひがみっぽい。
とにかく大勢はいかんともしがたく、反対はなかったかのように、多数決という大義名分により、選ばれたスタイルで見本がつくられた。それを誰それが着て、重役諸公に見せたとか、見せないとか。
「ねえ、どうなさる?」
「なによ」
「着ますか?」
「だって、着なけりゃしようがないでしょう?」
「…………」
「ペイ、ペイですよ」
大先輩は自若《じじやく》として言った。そのことばで私の迷いはさめた。まったく、働かなければ食べて行けない事実を、たかがユニホーム一枚で忘れそうになるとは。職業意識が甘いと言われてもしかたがない。
それにしても、太平洋戦争中衣料品が切符割当制になって、事務服の支給など考えられなくなった時代を通り越して、いつまたユニホームなどが復活したのだろう。
戦後の組合で男女同権論がにぎやかな最中に、事務服がもらえないなら、エプロンでもいいから下さい。そんな女性からの要望があったことを思い出す。私服がよごれる、もしよごれるような仕事ならよごした上で、そのぶんまで賃金を正面から要求する、という方向には行かないで。
退社してゆく人には、「会社の思い出にどうぞ」とプレゼントされるそうだけれど、ホント我が国は情緒的だなあ、と感心もし、上っ張りと違って、その人その人にだいたい合わせてある制服は回収しても利用度はないのだから、と冷静にもなる。
はずかしながら、働いて三十年余り。私ははじめて頂戴した給金十八円のあふれる喜びと、はじめて最新のユニホームを着せられた時のあふれるかなしみを忘れはしないだろう。
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