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ユーモアの鎖国47

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:晴着まだ夏もはじめのころ、職場の若い同僚が「ねえ石垣さん」と、話とも相談ともつかない声をかけてきた。「あたし、どうしよう
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晴着

まだ夏もはじめのころ、職場の若い同僚が「ねえ石垣さん」と、話とも相談ともつかない声をかけてきた。「あたし、どうしようかしら?」
どうしようか、ときのうから迷っているのはお母さんと見てきた、それは金糸で鶴が舞い降りてきた模様のある、地色がピンクの振り袖のことで。気に入ってはいるんだけど、値段が高いの、という。高いけど、お母さんが買ってくれる、というの。だけど、そりゃ欲しいけど、バカらしいような気もして。
思いあまり、お嫁に行ったお姉さんに相談したら「買って上げる、って言うんなら、買ってもらえばいいじゃない」という返事なのだそうである。私に聞いてもらいたい部分は「欲しいけれどバカらしいような気」のするあたりで。
そうねえ、まず着るのは来年の新春仕事始めに一回、あとは友だちの結婚式に呼ばれた時の用意、これが何回あるか。そのために、自身で働いたお金では、ボーナス全部でも足りないほどの晴着を買ってしまうのは勿体ないから……。「やめなさいよ」
若い仲間は、自分の迷いのバランス。お姉さんの言葉で買う方へ傾いたハカリを、もう一度買わないほうへ動かしてくれる、そんなひとことを私から受け取りたいのだろう、と思った。
けれど私は迷うばかりだった。買って上げるというならもらっておきなさいよ、というお姉さんの言葉には、金に替えられないもの、若さへのはなむけがあり。お母さんの申し出には裕福な背景と愛情が見られ、迷っている同僚には働く女性の、賃金の貧しさがあって、どれも捨てがたい気持の余韻がある。
あとでハカリは完全に買うほうへ傾いたらしい。何日かたった退社ぎわに、きょうは出来上がった着物をとりに行くのだという彼女のうれしそうな顔から、私はもらい笑いをしてしまった。
近代的な職場、とはいっても娘さんが、振り袖、というシッポをふさふさとたらす古い日が、一日ある。などと言うつもりはない。女には装う、という期待と悩みがあって、それへの用意が、半年も、それ以上も前から心がけられたりしているという、そんないじらしい話がしてみたかった。
着物が思い通り手にはいる娘には喜びであり、困ったことに誇示であったり。手に入れられないものには嘆きであり。算盤をはじいて欠勤の道を選ぶ者もいる。やむを得ず、または装わないことを自負に置きかえて一日を支えるか、心情的に正月を棄権して挨拶だけつきあうやりかたもある。
とにかく、オメデトウと口でかわすだけでは片付かない問題をかかえた日が、女性の上に毎年早々とおとずれる。
いつからか、部員そろっての記念撮影というのがハヤり出した。会社で長居をしていると、その写真の枚数がふえていく。はじめは五十人近い中の三分の一を占める女性ほとんど晴着姿だったのが、一人洋服がはじまり、おや? と思うと二人欠席していたり。翌年は洋服が三人になったり、している。
自分を良く見てもらいたいと願うような相手の男性が多ければ、女性の晴着姿もいちだんとにぎわうのだろうか。男性の好みが変われば、女性の新春の装いもかわるのだろうか。
女性の好みで男性が装いをととのえるという日も来るだろうか。
振り袖の力で、仕事始めに仕事をしない職場も出てきた。
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