井伏鱒二先生とは、これまで三度旅行をした。第一回は笛吹川のほとりや「火もまた涼し」の快川和尚《かいせんおしよう》で有名な恵林寺を、土門拳さんと共に取材して歩いた。宿は先生の常宿である甲府市内の「梅ヶ枝」に厄介になった。この旅行で先生から「塩山・差出磯《さしでのいそ》」という作品をいただいた。
二回目は瀬戸内海の鞆《とも》の津で、藤原審爾さんやカメラの朝倉隆さんも一緒だった。これも私が企画した仕事のための旅ではあったが、楽しい旅だった。
鞆の津は、先生の故郷の福山を経由して行く。先生とは古いなじみの福山駅前の小林旅館にひとまず旅装をといた。そこのきれいな娘さんもグラビアに載せたくなって、鞆の津まで同行してもらったりした。
仕事が終ってから福山に戻り、先生の友人の家でみごとな落鮎《おちあゆ》を馳走になった。九月の末であったが、膳にははしりの松茸《まつたけ》も出た。そこの奥さんが焼松の大皿を運んできた時、
「奥なばでございますが」
と言われた。井伏先生が私に、
「ここらでは、茸《きのこ》のことを|なば《ヽヽ》と言うんです。奥なばとは自分の持山に出るなばではなくて、もっと深い奥山から木樵《きこり》が取ってきた|なば《ヽヽ》という意味です」
と説明された。その家はいかにも旧家の風情があった。昔から梵鐘《ぼんしよう》も作っていて、京や遠く江戸まで、多くの名刹《めいさつ》の鐘を送り出していたということである。
私はこの旅の楽しさが忘れられなくて、今度は全く仕事なしの気楽な旅を先生と共にしたくなった。そこで藤原審爾さんをそそのかして、清水町に旅の勧誘にでかけた。
「私の先輩が日光の奥に山の木を持っています。その村は……村というよりは東京でいえば一つの区ほどの広さなんですが、その村が国と争いましてね。つまり村有林か国有林かの裁判が三十年も続いたんです。結果は村の勝ちになりました。私の先輩の厳父《おやじ》さんがその裁判の弁護士だったところから、山の木を七・三の割で分けてもらったんだそうで……その間、山の木は育ちに育って……もっとも雑木が多いのですが、みずなら、ぶな、こなら、くぬぎ、とち、ほお、かんば、それに檜《ひのき》、杉、松も混って壮大に育っているそうです。木を見に行きませんか」
と私がいえば、藤原さんが脇から、
「その樹林の中を流れる湯西《ゆにし》川は魚影が濃いと言われます。しかも、湯西館という旅館の主人が山菜料理で待っています……その宿から下駄ばきで下りて、山女《やまめ》が釣れるという話です」
とたたみ込んだ。かくして旅の勧誘は成功したのである。
五月末のある晴れた日、井伏鱒二、藤原審爾、カメラマンの林忠彦、映画のプロデューサーの宮内義治、「辻留」のぼんぼんのひな留、講談社の川島勝各氏と私は東武電車に乗りこんだ。
今市で降りてハイヤーでかなりの距離があった。なるほど山奥である。私たちは樹海の中を突き進んだ。朝早くでかけたのに、午後三時頃湯西館に着いた。そこは湯西川の作った小さな洲《す》に建てられていて、人家はあと一軒、小料理屋があるだけである。
湯西川はまさに渓流のたたずまいで、清冽《せいれつ》な水が勢いよく流れ、その曲りっぱなは潭《たん》となり淵《えん》となっていた。そして水の上にまで、樹々の枝が茂り、中には藤の花をつけた枝もあった。
私たちは晩めしまで山女釣りをすることにした。しかし素人が釣るには足場もなく、道糸を流れに振りこむことも難しかった。名人の先生を残して、一人、二人と早々に竿《さお》を収めては、宿に引上げて、酒になった。
いい加減、暗くなった頃、川島さんがけたたましい声とともに部屋に帰ってきた。見れば胸に大きな岩魚を二尾かかえている。
「すぐ下《しも》で先生が……」
と興奮しているところへ先生が現われた。
「山女のつもりが岩魚になって……勝ちゃんのピケの帽子をタモにして貰いましたよ」
まさに尺余の大岩魚である。私たちは膳の上に熊笹を敷き、大岩魚を眺めながら酒をのんだ。しばらく楽しんでから、調理場から味噌と酒をもらって、ひな留が手際よく味噌漬にして木箱に収めた。
宴果てた後、先生の、
「ちょっと外に出ましょうか」
のひと言で、皆嬉々として外に出た。外といっても例の小さな中洲の小料理屋しかない。こんな山奥にきても、私たちははしごの習性はなおらないのか?
次の朝早く先生の部屋に行くと、先生はすでに起きておられた。寝坊のはずの藤原さんもやって来て、すぐ将棋になった。目まぐるしいほどの早ざしで二番続けて藤原さんが勝った。先生が駒を収めながら言った。
「おかしいおかしいと思ったら、散歩用の眼鏡をかけていた」
私たちの視角から、川原と流れと向う岸の山の裾の部分がみえた。その山の樹々に朝の陽がさしてきた。漸《ようや》く飴色《あめいろ》の葉をつけ始めた雑木に混って、ひと際鮮やかな緑の常磐樹《ときわぎ》があった。
「樅の木でしょうか」
と私がいうと先生は、
「樅の木です、若いなあ、十六の少女のようですね」
樅の若木は朝の陽ざしの中に、いよいよ艶やかに匂うようだった。