三日つづいて、明け方、蜩《ひぐらし》の声をきいた。時計をみると、きまって四時三十分。蜩は、まだ残っている小さな林から、ひとつが鳴くとそれを追いかけるように次から次と鳴くのである。それは、まだ醒《さ》めやらぬ寝床の中の私に、確かにきこえたり夢の中できこえたりするようでもあった。時計をみて、ああ、また四時三十分かと思う夢うつつのうちに、その声はほんの一時でぴたりとやんでしまう。
蜩はその言葉どおり|日暮し《ヽヽヽ》で、元来は夏の夕方に鳴く蝉である。勤めを持つ身だから、夕方までに帰宅するのはむずかしいが、この二日ばかり早く帰ることができた。しかし、明け方あれほど鳴いた蜩はいっかな鳴いてくれないのである。蜩はその名にそむいて明け方の蝉に転向したのだろうか。
しづかさや岩にしみいる蝉の声
の蝉は、おそらく|にいにい《ヽヽヽヽ》蝉かあぶら蝉であろう。むろん、この句は真昼の光景である。私の住む町では、にいにい蝉やあぶら蝉はいまなお健在のようである。いっせいに鳴きだすときなどにはなかなか壮《さか》んで電話の声もききとりにくいくらいだ。立原正秋さんに会った時この話をしたら、
「国立は田んぼがないでしょう」
と言った。田んぼがないと、農薬の洗礼を免がれて蝉がいるのだそうだ。そういわれると立原さんの言われるとおり、わが町国立は、甲州街道から国電寄りは人家と学校のキャンパスと小さな雑木林と、ほんの少しの畑があるだけである。田んぼがないことと学園都市の恩恵で緑が残っているので蝉が多いのだろう。
三日つづけて明け方の蜩をきいて、唐突にも遠藤周作氏の顔を思いだした。
遠藤さんが電話魔であることを知ったのは、たしか亡くなった梅崎春生氏の随筆からだったと思う。そして電話魔というよりは、むしろいたずら電話、チャメ電話であるのを知ったのは、遠藤さんと親しい仲間の作家や編集者の被害話からであった。しかしそのいたずらやチャメっ気がごく限られた人との間の出来事であった。それはわが町、国立できくことのできる明け方の蜩の声のようであった。
それから十数年、マスコミは年々歳々膨張し続けて、遠藤さんのかくし芸を表芸へとかりたてたのである。
遠藤さんは、自らを狐狸庵《こりあん》と称したばっかりに、狐狸庵先生は毎週随筆を書くことになった。これは文士の表芸であるからいたし方ないが、毎週大向うの喝采《かつさい》をあびるよう書きつづけるのには大へんな努力が必要であろう。つまり、大向うが遠藤さんのいたずらやチャメっ気を期待していうことをきかなくなったのである。
ある夜、銀座のバーで飲んでいると、白い美髯《びぜん》をたくわえた茶人が入ってきた。茶人だから茶色を選んだかしらぬが、茶の宗匠頭巾、これも茶の|もじり《ヽヽヽ》を着て、杖《つえ》までついている。
茶人は遠藤周作さん扮《ふん》する狐狸庵先生であった。狐狸庵先生はホステスの歓声と、そのバーの常連たちに拍手をもって迎えられて、大へんなもて方であった。
狐狸庵先生は、悠揚せまらずにこやかに客やホステスに対していた。しかも、あまり長居もせずひきぎわまで鮮やかに、さっと席をたっていくのである。
そして私のボックスの脇を、ホステスの華やかな声に囲まれて通りすぎようとした。そして私の脇を通りぬける時、ちょっとこごんで耳元に何か囁《ささや》いた。華やかな声の中で低い声だったから、確かにはききとれなかったが、おそらく「やれんヮ」だったか?……。
私は、美女と対談中のテレビ画面の遠藤さんのプロフィールに、この「やれんヮ」を束《つか》の間《ま》みることがある。どうやら、遠藤さんは恥かしがり屋で、シンゾウもそれほど強くないのではないか? 女優好き、テレビ好きなどというのは遠藤さんの擬態ではないか? 恥かしさのあまりの居なおりではなかろうか?
あれはもう何年前のことであろう。「葡萄屋」が、いまの日航ホテルの裏にあったころのことである。私が飲んでいると、遠藤さんがひとりで現われた。私を見つけると、喜色あふれて、しかも小声で、
「いま、フランスの友人を羽田に迎えに行ってきたところなんだ。その友人は疲れているのでホテルに泊めてきたんだけれど、これが彼の土産(と、おもむろに金色の小函《こばこ》をとりだし、いかにも嬉しそうに微笑《ほほえ》んでいよいよ小声で)オナラが出るクスリ! ためしましょう。やっぱ、ママにする?」
そこで私たちは、
「オン・ザ・ロックスをママにもお嬢さん方にもご馳走します」とオーダーして、オン・ザ・ロックスがくると、そのひとつに素早く例の薬を入れた。そして、
「今日はうれしいことがあったんや。みんなで乾杯!」
というくだりまで、誠にスムーズにやりとげた。問題のグラスは、われらが敬愛してやまざる「葡萄屋」のママ、井上道子さんの手にある。
「今晩はヘンな晩だワ」
とママ。
「もう変になりましたか?」
と遠藤さん。
「なにいってんのよ。どんな嬉しいことがあったか知らないけど、お二人がご馳走してくださるなんて、ヘンな晩じゃない?」
これはご挨拶である。
ところがである。三十分たっても異変はおこらないのである。一時間たっても、ママはいよいよ艶《あで》やかさをくわえるばかり。
「ホントに効くのかい?」
「もちろん。しかし、分量を間違ったか?」と、われわれはあせり、いたずらに夜は更けてゆく。昔の「葡萄屋」はカウンターの左手に化粧室があった。ママがその近くに行こうものなら、遠藤さんは素早く立って走ってママの傍に立つ。
「お腹が痛い?」
「あたし? お腹がどうしたのよ?」
フランスのくすり、駄目でありました。
同じ「葡萄屋」で、ある夜思いきり汚い話を遠藤さんと競いあった。話の途中で遠藤さんはトイレに立った。自らの汚いつくり話に胸がわるくなり少々吐いたのである。
いま気が付いたのだが、蜩という字の|つくり《ヽヽヽ》は、周作の周という字である。蜩は夜のものだろうか?
「国立は田んぼがないでしょう」
と言った。田んぼがないと、農薬の洗礼を免がれて蝉がいるのだそうだ。そういわれると立原さんの言われるとおり、わが町国立は、甲州街道から国電寄りは人家と学校のキャンパスと小さな雑木林と、ほんの少しの畑があるだけである。田んぼがないことと学園都市の恩恵で緑が残っているので蝉が多いのだろう。
三日つづけて明け方の蜩をきいて、唐突にも遠藤周作氏の顔を思いだした。
遠藤さんが電話魔であることを知ったのは、たしか亡くなった梅崎春生氏の随筆からだったと思う。そして電話魔というよりは、むしろいたずら電話、チャメ電話であるのを知ったのは、遠藤さんと親しい仲間の作家や編集者の被害話からであった。しかしそのいたずらやチャメっ気がごく限られた人との間の出来事であった。それはわが町、国立できくことのできる明け方の蜩の声のようであった。
それから十数年、マスコミは年々歳々膨張し続けて、遠藤さんのかくし芸を表芸へとかりたてたのである。
遠藤さんは、自らを狐狸庵《こりあん》と称したばっかりに、狐狸庵先生は毎週随筆を書くことになった。これは文士の表芸であるからいたし方ないが、毎週大向うの喝采《かつさい》をあびるよう書きつづけるのには大へんな努力が必要であろう。つまり、大向うが遠藤さんのいたずらやチャメっ気を期待していうことをきかなくなったのである。
ある夜、銀座のバーで飲んでいると、白い美髯《びぜん》をたくわえた茶人が入ってきた。茶人だから茶色を選んだかしらぬが、茶の宗匠頭巾、これも茶の|もじり《ヽヽヽ》を着て、杖《つえ》までついている。
茶人は遠藤周作さん扮《ふん》する狐狸庵先生であった。狐狸庵先生はホステスの歓声と、そのバーの常連たちに拍手をもって迎えられて、大へんなもて方であった。
狐狸庵先生は、悠揚せまらずにこやかに客やホステスに対していた。しかも、あまり長居もせずひきぎわまで鮮やかに、さっと席をたっていくのである。
そして私のボックスの脇を、ホステスの華やかな声に囲まれて通りすぎようとした。そして私の脇を通りぬける時、ちょっとこごんで耳元に何か囁《ささや》いた。華やかな声の中で低い声だったから、確かにはききとれなかったが、おそらく「やれんヮ」だったか?……。
私は、美女と対談中のテレビ画面の遠藤さんのプロフィールに、この「やれんヮ」を束《つか》の間《ま》みることがある。どうやら、遠藤さんは恥かしがり屋で、シンゾウもそれほど強くないのではないか? 女優好き、テレビ好きなどというのは遠藤さんの擬態ではないか? 恥かしさのあまりの居なおりではなかろうか?
あれはもう何年前のことであろう。「葡萄屋」が、いまの日航ホテルの裏にあったころのことである。私が飲んでいると、遠藤さんがひとりで現われた。私を見つけると、喜色あふれて、しかも小声で、
「いま、フランスの友人を羽田に迎えに行ってきたところなんだ。その友人は疲れているのでホテルに泊めてきたんだけれど、これが彼の土産(と、おもむろに金色の小函《こばこ》をとりだし、いかにも嬉しそうに微笑《ほほえ》んでいよいよ小声で)オナラが出るクスリ! ためしましょう。やっぱ、ママにする?」
そこで私たちは、
「オン・ザ・ロックスをママにもお嬢さん方にもご馳走します」とオーダーして、オン・ザ・ロックスがくると、そのひとつに素早く例の薬を入れた。そして、
「今日はうれしいことがあったんや。みんなで乾杯!」
というくだりまで、誠にスムーズにやりとげた。問題のグラスは、われらが敬愛してやまざる「葡萄屋」のママ、井上道子さんの手にある。
「今晩はヘンな晩だワ」
とママ。
「もう変になりましたか?」
と遠藤さん。
「なにいってんのよ。どんな嬉しいことがあったか知らないけど、お二人がご馳走してくださるなんて、ヘンな晩じゃない?」
これはご挨拶である。
ところがである。三十分たっても異変はおこらないのである。一時間たっても、ママはいよいよ艶《あで》やかさをくわえるばかり。
「ホントに効くのかい?」
「もちろん。しかし、分量を間違ったか?」と、われわれはあせり、いたずらに夜は更けてゆく。昔の「葡萄屋」はカウンターの左手に化粧室があった。ママがその近くに行こうものなら、遠藤さんは素早く立って走ってママの傍に立つ。
「お腹が痛い?」
「あたし? お腹がどうしたのよ?」
フランスのくすり、駄目でありました。
同じ「葡萄屋」で、ある夜思いきり汚い話を遠藤さんと競いあった。話の途中で遠藤さんはトイレに立った。自らの汚いつくり話に胸がわるくなり少々吐いたのである。
いま気が付いたのだが、蜩という字の|つくり《ヽヽヽ》は、周作の周という字である。蜩は夜のものだろうか?