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酒を愛する男の酒09

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:うーなぎ、うなぎものの本に「そもそも落しばなしといふものの起源をおもふに、昔の秀句など、その初めなりけむ」とある。この「
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うーなぎ、うなぎ

ものの本に「そもそも落しばなしといふものの起源をおもふに、昔の秀句など、その初めなりけむ」とある。この「秀句」を、昔は�すく�とよんだらしい。
兼好法師の『徒然草』にも「いみじき秀句なりけり」といった使われ方がされている。秀句であるから、文学教養の素養がなければとても扱えない。だから、その昔はもっぱら上流階級の言語遊戯であったが、下って江戸時代には一般大衆にも口合《くちあい》・地口《じぐち》になって、庶民の中に浸透したという。
つまり八っつぁんや熊さんが、
「香炉峰の雪は?」
と問われて、すぐさま立ち上り、ツツツと座敷を横切って簾《すだれ》をかかげ、
「簾をかかげて見る」などと清少納言のような訳にはいかない。せいぜい「沖の暗いに」をふまえて、「夜着の古いに虱《しらみ》がふえる」のが関の山である。
そして夕涼みの縁台将棋あたりで、もっぱら地口で駄洒落《だじや》れたのである。「王手うれしや別れのつらさ」とか、「角成り果つるは理の当然」「飛車は飛車でも薬箱持たぬ」などと鼻をウゴめかした。
こんなことを詳細に書いてある本を読んでいるうちに、八っつぁんか熊さんが横町のご隠居に追いつめられて、「うーなぎ、うなぎ何見てはねる」と言うのにつきあたった。
これは八っつぁん、いかにも苦しい。出典《もと》は皆様ご存じの、
「うさぎうさぎ何見てはねる、十五夜お月さま見てはねる」
というわらべ唄である。うなぎが十五夜お月さまを見てはねるのを想像すると、なかなかユーモラスである。しかし、私をはじめとして、私のある仲間は八っつぁんを笑えないのである。
私たち仲間の、誰が言いだしたか�月見の会�という集まりが、いつのまにかできた。メンバーは吉行淳之介、安岡章太郎、山口瞳、梶山季之、村島健一、小島功、岡部冬彦、伊丹十三、それに私という顔ぶれである。
とにかく仲秋の名月|あたり《ヽヽヽ》を期して——|あたり《ヽヽヽ》というのだから月見の宴などといえたものでないが、ともかく一堂に会して酒を酌む趣向である。
月が出なくてもいいのである。要するに飲めばいいのである。ひどい月見があったものだ。
だから、好評だった月見は、その頃、まだ麹町《こうじまち》に住んでいた伊丹十三さんの家の宴《うたげ》で、その夜は大雨だった。何が好評かというと、銀座に近いからだ。梶山さんはじめ銀座の顔ききが、電話をかけてはホステスを呼び寄せるのである。電話をうけたクラブやバーのほうでも、どしゃ降りの大雨で、店も閑《ひま》だったのか、入れかわり立ちかわり、雨をついてかけつけてくれた。
「なにがお月見よ、月なんか出てないじゃない」
と、あきれ顔のホステスもいる。
「いや、私のおぼろ月夜でまにあわせて、飲《や》っております」
自分の頭のことを少しばかり気にしはじめていた山口瞳さんの犠牲的発言である。
何回目かの月見の宴は、当番が岡部冬彦さんであった。浦和の住人、岡部さんは会場を大宮のうなぎ屋に決めた。会員たちは浦和のうなぎは知っているが、大宮のうなぎなんてどうせ場違《ばち》だろうなどと、口ではぶつぶつ言いながら、いそいそと出かけていった。その日が仲秋の名月であったかどうかは失念した。大宮に着くと、西空に夕焼けがきれいだったから、その夜はおそらく美しい月が出ていたのだろう。
そのうなぎ屋は大宮市のはずれの公園みたいなところにあって、かまえも大きくなかなかのものであった。皆、当番の岡部さんに、さすが、さすがなどとおせじをつかった。
「|こんち《ヽヽヽ》、皆様をこんな草深いところまで、お呼びしましたについては、幹事の出血サービスによる、大宮えりぬきの芸者を用意いたしました」
という言葉を聞いたからである。
えりぬきの芸者は、正直言って、何がえりぬきなのかわからなかったが、出てきたうなぎの皿にはびっくりした。朱塗りの浅い鉢は、寿司なら五人前はたっぷり入ろうというほどの大きさである。そして鉢の中には、うなぎがいくつもいくつも、蒲焼《かばや》きとなって並べられていた。小島功さんが、
「これ全部食うの? あーあ、思いやられる」
何が思いやられるのかわからぬが、うなぎで酒になった。宴たけなわの頃、
「今晩は、おそくなりまして」
の声で、ふりかえると、これはまた鄙《ひな》にはまれな美形である。その妓《こ》が、おじぎをして立ち上り席に近づく時、一同ハッとかたずをのんだ。その美形の立端《たつぱ》は、こつまなんきんの表現がぴたりといった、とても五尺に届かぬたたずまい。それでいて、濃艶《のうえん》であった。
皆いっせいに吉行さんの方を見た。吉行さんはこうしたタイプには目がないことを知っていたからである。案の定、吉行さんが、
「君、ここへおいで」と言った。
宴《うたげ》はもとのにぎやかさにかえった。しばし楽しくさんざめいてから、大宮もいいが銀座の月もいいと誰かが言いだすと、それもそうだと皆うなずき、早々に立ち上るのである。
この会の仲間がいかに気の合った同士の——すばらしい会であるか、わかっていただけると思う。
めざすは銀座。二台はハイヤーだが、はみだした私と安岡さんは吉行さんの運転する車に乗った。公園を抜けて、町へ右折する処《ところ》で車が止った。吉行さんは助手席のドアをあけて、暗がりに、
「さァ、早く」
と声をかけた。闇の中から人影がサッと動いて、吉行運転手の脇に坐った……を見てあれば、何と先程のこつまなんきんである。ああ、何と神の如き早業よ。
私たちは銀座の「ラモール」に集結した。気がつくと、吉行さんの顔が見えなかった。むろん、こつまなんきんの顔も見えなかった。私たちはその夜もしたたか酔って、うーなぎ、うなぎ何見てはねる、になった。
「あの晩、どうしたの?」
後日、吉行さんに聞くと、
「いやー、あんたたちが降りて、彼女とさしになるとね、『この間、県会議員をはり倒したのよ』とか、『けしからん成金をぶちのめしたのよ』とか、『あたし、こう見えても空手の名手なの』とか言うんでねえ、早々に大宮に送っていったんだ」
信ずることにいたします。
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