風間完さんと川越へ行くことにした。山本嘉次郎さんのご推賞の町である。山本さんの言葉によれば、
「今どき土蔵造りの三階建ての倉庫なんてのは川越しかないですよ。それも江戸時代と同じような土蔵造りの家が多くてね。あの地の人は頑固なんですね。日清戦争のころ大火事があって、町がほとんど焼けたんだそうですが、それを復興する時、江戸時代そのままの建物でやるというんだから、驚いたですね。厚さが一尺、高さが三尺、長さ七間ぐらいの無節の欅《けやき》の桁《けた》なんか使ったりして偉いもんですよ。
町を歩いていると、今は全部商店街は変なもので店先を覆っているからわかんないけれど、デパートの屋上にあがってみると、町全体が全部瓦屋根で、鬼瓦なんか大きいものだと直径六尺ぐらいあるんだから……」
こんな話を聞けば行ってみたくなるじゃありませんか。
中野の宮園通りに近い風間さんの家を出たのは、なんだかんだで遅くなって、午後二時頃だっただろうか。車を急がせて中野駅のガードをくぐり抜けて、川越街道に出ようとして、環七(環状七号線)が十三間道路にぶつかる手前まで来ると一寸《ちよつと》見栄《みば》のいい駐車場付きの蕎麦《そば》屋が目に入った。風間さんが、
「あれ田中屋って言ってね。なかなかいいすよ」
ということで川越に行く前にちょっと下拵《したごしら》えをしてもいい気になって、入ってみた。
靴を脱いで座敷に上るようになっている。だから靴を脱いで座敷にあがった。こうなると人間落着いてくるものです。
「蕎麦だけってのは色気がない」
「蕎麦で一杯というのは、オツなもんですね」
と意見が一致して、始まってしまった。時間が時間だけにほとんど客はいないが、たまに近所の主婦らしい女性《ひと》が入ってきて、
「きつね、ください」
と言って、
「うちにはきつね、ありません」
と言われ、
「それなら、おかめ」
「うちにはおかめ、ありません」
と言われ、プーッとふくれて出ていってしまった。
大きな店半分にさし込む明るい陽ざしの中で、ちびちびやっていると、どうも時間の経つのがわからなくなる。
山本さんは川越へ行くと、大豆を買って帰るそうだ。山本さんによれば川越の大豆は日本一。水に浸けるとアメリカ大豆の倍くらいみごとにふくれ、なるほど大豆《ヽヽ》とはこのことか、というふくれ方をするそうだ。川越の大豆は沼田から仕入れる。乾物屋の親爺《おやじ》に、沼田の大豆は美味《うま》いねと言ったら、
「そらそうですよ、沼田というのは高橋お伝の生れたところで、マメが美味《うめ》えのは当り前だよ」
と答えたそうだ。
川越でいま一番美味いのは団子である。第一に米が違う。第二にアンコが違う。アンコは塩がかって、ちょっとばかり塩辛い。第三に醤油焼きは|ほんとう《ヽヽヽヽ》の炭で焼いて、|ほんとう《ヽヽヽヽ》の醤油が使ってある。その醤油は川越の在《ざい》で作っている、この地方だけの醤油だから昔と同じ団子の味になる。
それから駄菓子屋みたいなところには、昔と同じようにしょうが糖を売っていたり�とこなめ饅頭《まんじゆう》�なんかもある。このとこなめ饅頭でっかいから、半分に切って、一つ五十円で売っている……なんて、酒を飲みながら山本嘉次郎さんご推賞の川越談義を復習していたら、陽はようやく西に傾き、これでは川越へ行ったら夜になってしまう。
夜になってしまうのであるが、話は終戦後の新宿のことになり、ハモニカ横丁のことになり、端から一軒ずつ店の名を思い出していって、いちばん端までいって、はじめのお竜さんに戻った。|あの《ヽヽ》お竜さんはどうしたかな? 知らないの? お竜さんならば阿佐ヶ谷の駅の傍で店を開いている、それじゃお竜さんにちょっと顔出してみましょうか、ということになり、阿佐ヶ谷に行くと、お竜さんの家はまだ閉っていた。
そこでガード下の赤提灯《あかちようちん》に入ると、夫婦二人で北海道のものなど取り寄せて、小ぢんまりやっている店である。お竜さんの店が開くまで、ここで過すことにして、ししゃもなんか焼いてもらう。
日頃、風間さんは、昼間いっぱい仕事をしてから、ふらりと外に出て、中野を中心にこんな風情の店を覗《のぞ》いて歩くのが好きな人だ。
だから風間さんの家を訪ねた人の中に、風間さんが、
「一杯やりますか」
と、出るのに随《つ》いて行って、行く先ざきが赤提灯みたいな店ばかりなので、驚きあきれて失望落胆した人がいるという。
「きっと料亭とかナイトクラブにでも行くと思ったんでしょうね。だけどこんなところにも美味いものがあったり、客もおもしろい人が来るんでね。客同士『でましたかい?』『ウンにゃ函《はこ》だけで』なんて話してる。どうやらパチンコマニアつうのは、玉を何個などと言わずに函《ヽ》で数えるもんらしい」
と風間さんもホンワカしてきた。
もう、そろそろいいだろうと、お竜さんの家に行ったら、|あの《ヽヽ》お竜さんがいた。懐しさがいや増して、昼間からの酒で何がなんだかわからないような気持になり、気がついたら、風間さんがよく行く新宿のバーで飲んでいた。中野を出発して川越に近づくはずが、だんだん遠くなっていた。
そういえば、この夏、八月の終りに、地蔵盆のある京の町を風間さんと見に出かけた。これも山本さんの知恵である。瀬戸内晴美さんが伝え聞いて一緒に行こうということになった。しかし瀬戸内さんは仕事でカンヅメになって京都行きは駄目になった。私は風間さんと二人で瀬戸内さんが声をかけてくれた茶屋に行った。小説『京まんだら』に出てくる店である。名妓のその子さんもよし、鱧《はも》もよしの地蔵盆の宵であった。
つぎの日、『京まんだら』の登場人物の女将《おかみ》が案内をかってくれて御室《おむろ》を訪ね、祇王寺《ぎおうじ》の庵主さんを訪ね、平野屋で鮎《あゆ》を食べた。
「まだ新幹線の時間には間《ま》があります」
と言って女将が車を止め、嵯峨野《さがの》の名物豆腐屋で、豆腐と揚げと飛竜頭《ひりようず》を土産に買ってくれた。新幹線の中は寝て、銀座で飲むことにした。東京の灯が見えるころ、うまい具合に目を覚まして、さて、と思ったが、豆腐の水がほんの少しフロアに浸み出していて、骨董《こつとう》屋で買った皿小鉢も重そうで、皿小鉢と豆腐とガンモドキを持って銀座に行く気持にもなれず、妙に里ごころがついて、二人でしおしおと家路についた。風間さんと二人だと、妙に目的地に着かないのである。