「あ、池がありますね。池の真中のもの?は欅の根ですか? なるほど。あの根の洞中《ぼつか》で錦鯉が寝るんですね」
「そうなの。うなぎもいてね。はじめはかくれてばかりいたんだけど、ちかごろは慣れて呼ぶとでてくる。呼んでみようかな。こうやって、パシャパシャ手で水を鳴らすと出てくる……。ホラ、変な格好でやってきた」
「人なつこいうなぎははじめてだなあ。来る道で、ちょっと迷いましてね、自動車《くるま》を降りて少しばかりうろちょろしたんですけど、土手にわらびが生えてましたよ」
「そう、わらびはまだたくさん生えるんだけど、現在《いま》のは大木でしょ」
「大木といえば、ウドの話。ずい分昔、『小説新潮』だったかなあ、読んだのをいまでもおぼえてます。蓼科《たてしな》の……」
「ああ、蓼科ねえ」
「親湯からの帰りの山道で、夏なのにまだ食べられる山ウドを発見した話……崖崩《がけくず》れの赤土をかぶって、新鮮な芽が天の光にむかっていた、という文章はいまだにおぼえてます」
「ああ、あの山ウドはうまかった。東京で買うウドは白い茎だけでね。あの時は、普通食べる茎のところは、夏の盛りだったから、さすがにほんの僅かな部分だったけど、産毛《うぶげ》をはやした新しい葉っぱを丁寧にちぎって、山道を廻り道して豆腐を買ったんだ。その豆腐の味噌汁と冷奴。葉っぱをみじんにきざんで、よそったお椀の汁にふりかけたり、冷奴の薬味にしたんだけど、山ウドの葉っぱはうまい。ウドも山ウドは強い香りが、スーッと靄《もや》のようにのぼってね」
「あッ、着物の袂《たもと》が濡れますよ」
「どうも、腰が……」
「左の膝《ひざ》、どうされたんですか?」
「ああ、この包帯、フフフ……。一昨日まで伊東にいたんだけど、宿の物干から落ちたらしい」
「らしい?」
「いつまでたっても進歩しないよ。『宿酔《ふつかよい》からの脱出法』なんて書かせれば人助けの役にはたちそうだけど」
「いや、いまの人は宿酔するほど飲む人は少なくなりましたよ。特に若い人はメチャ飲みはしませんね。ガールフレンドに気をつかったり、お送り申上げる帰りの自動車《くるま》の運転のことを考えたり……というよりは酒を酌み交わして論じ合ったりするほど、どうやら渇いていないらしい」
「そうかあ、そうすると俺一人かな? じゃあ、そんな本出すの無駄か」
「池の端に紫の花が咲いてますね」
「ああ、友人が来て植えてってくれたの。紫の花といえば、あやめの花もうまい。やはり蓼科だけど、声帯をこわしたとき、まだ避暑客が誰も来ていない頃に行って山荘にあぐらをかくと、ちょうど眼と水平に木曽の御嶽《おんたけ》が見える。濃いコバルトに白い雪の縦縞を流してね。カッコウとリスぐらいしかいないけど、小梨の白い花とレンゲツツジの朱《あか》い炎が鮮やかでネ。あやめも咲いていた。一つのパンにバター、もう一つのパンにマーマレードをぬってその間に紫のあやめと朱のレンゲツツジをはさんで食べてみると、歯切れの音がなんともいえず爽やかで……」
「なんでも食べちまうもんですねえ」
「そりゃ、人間が次々に子供を生んでいくように、料理も無限に生れるんじゃないの? 同じ材料でも、もっと別な食べ方を……という夢が次々に新しい料理を生んでいくんじゃあないかなあ。たとえば、碁が何千番やってもそれぞれ異った盤面を見せるのと同じで、その碁よりも料理の方がもっとバラエティーに富んでるかもしれない。料理学校で娘さんたちが料理を習うの、もちろん結構なことだけど、もっと身の廻りの素材をみつめて、その素材を大事にする心の方が料理には大切なんだ。習ったことを再現するより、創ろうという気持になってほしいナ」
「クッキング・スクールだと、大根の葉っぱは教材にならない……」
「その大根の葉っぱが八百屋の店のわきに捨ててあると気になってねえー」
「鮭《さけ》の頭もね。それからえびの尻っぽも気になるんでしょう?」
「あれはうまいんだ。かねがね、うまいと思っていたら『高村光雲翁回想録』の中で麻布《あざぶ》十番のなんとか屋のえびの天ぷらの|尻っぽ《ヽヽヽ》はうまい、という件りがあってわが意を得たんだ。えびの体もうまいけど、天ぷらにしたら尻っぽは、パリパリした香ばしい味わいで何ともいえない。だけど一緒にえびの天ぷらを食って尻っぽまで食べる人は殆どいない。みんな残すの、おしいね。いつも気になってね」
「えびの尻っぽといえば、例の国立《くにたち》のうなぎ屋には行かれますか?」
「夕べから今朝までいってたんだよ」
「その包帯《あし》で?」
「ううーん、この脚《あし》で。うなぎの頭、骨、肝、えりをあんなにうまく食べさせる店はないもの。骨を土産につつんでくれたりするからありがたい。寿司屋だって懇意になると|あわび《ヽヽヽ》のワタを届けてくれるし、こいつはうすく切って二杯酢にするといいねえ。届けてくれたとき、週刊誌をお礼に渡す……、古い週刊誌も役に立つよ」
「うなぎの骨はどうします?」
「ああ、あれはね、炭火で気長に焼いてね、生醤油をちょっとつけてポリポリ食べる。以前に沢蟹を飼っていてね、この沢蟹がうなぎの骨を焼いてつぶした粉が好物でね、こんがり焼いた骨をたんねんにくだいて与《や》ると喜んで食べる。夢中になって食べるんだ。可愛いよ。どういうものか、大きくなるのとなかなか大きくならないのといるけど——。この沢蟹を生で食べると新鮮で淡泊な味がしてね。えッ? 残酷? どうもそのようだけど、新鮮な淡泊な味でね。まず背中をつまんで、大きな鋏《はさみ》の方から歯で食いちぎる、次に小さな鋏。うん、うん、たしかに可哀そうだけど……、それから体をほおばると酒の肴《さかな》にはいいんだねえ……」
ある夏の一日、東村山の草野心平氏宅へ伺った時の、草野心平さんとの会話の一部であります。