ひところ銀座に行くと必ずといっていいほど、池島信平さんに会うのである。それがほとんど毎晩なので、とうとうある晩、私は、
「よくお会いしますね」
ときりだすと、
「何いってんだ。きみこそよくお会いしますね、だろ。まぁ、お互いさまなんだが……、これにはいささか理由《わけ》がありましてね」
と前おきがついて、何故、毎夜銀座に出撃するか、その理由を話された。
それによると、池島さんの三人のお嬢さんが、春休みでそろって九州へ行かれたのだそうだ。すると必然的に池島邸は、ご夫妻二人になる。
こんな経験は、結婚して子供さんができてからはじめてのことである。どうにもバツがわるい。間がもてない。
仕事が終って、さて帰ろうかと思うと、ああ、家には女房一人が待っているんだな……と思うと何となく足が銀座に向いて一杯だけ飲んで帰ろうかという気持になる。さて、この辺で切りあげて帰るとするかと思うと、またぞろ一人だけで待っている奥さんを思い浮かべる。何だか恥かしくなって、もう少し飲むかということになる。
「なあ、わかるだろ。いい年をして『ただいま』『あら、お帰りなさいませ』なんていえるかよ。だから、しょうがなくて飲んでんじゃねえか」
といかにもテレくさそうに笑って話された。
それから一年後であったか、二年たったかは忘れたが、やはり沈丁花《じんちようげ》の咲く頃、今度はしばらく池島さんを銀座で見かけなかった。そしてある晩、久し振りにお会いして、
「ずい分しばらくでしたね」
と話しかけると、
「ご無沙汰しました。三人の娘と一緒に女房まで連れだって旅にいっちまってネ、今年は。家に誰もいないとなると、何だか落ちつかないんだなあ。銀座なんかで飲んでいられないんだ。イライラしてね。そそくさと真直にご帰館という始末さ」
なるほど、そんなものかも知れない。外で酒が飲めるのは、家内安全だからである。家をしっかり守っている人がいればこそ、仕事は面白く酒に勢いが出るというものだ。
よく下世話では、家が面白くないから外で酒を飲むなどというが、これは下衆《げす》の勘ぐりで酒飲みの心理を理解していない証拠であろう。
家をしっかり守る人があるが故に、家が安泰であるが故に、外で酒を飲むというのは、女房族から理に合わないと反発されそうだが、この、男の心理だけはわかってもらいたいものである。
池島さんのお嬢さんの、上の二人は結婚され、末の照子さんは婦人記者になった。もっとも池島さんは、編集者は俺だけでいい、自分の娘に編集者にはなってもらいたくないと、かねがねいっておられた。
しかし、日本女子大の史学を専攻した照子さんは、どうしても編集者になりたいといって、私が勤務していた婦人画報社を受験したのである。面接試験の時、私が、
「卒論は何を書きましたか?」
と訊《き》くと、
「足利尊氏です」
ということであった。足利尊氏ほどのちの人によって、また時代によってその評価に毀誉褒貶《きよほうへん》の振幅の大きい人物はいない。足利尊氏という人物をとりあげることによって、のちの時代までが鮮やかに抽出される筈である。これこそ歴史の本質に接近する手だてではないか? 私は内心うめえもんだなぁ——と舌を巻いた。卒論がどんな出来かは知らないが、足利尊氏を選んだということでジャーナリストとしての資格があると確信したのである。そして照子さんは試験に合格して、入社して、それも私のスタッフになった。私はそれから二年ほどして、婦人画報社を離れ、山口瞳さんや開高健さんのいるサン・アドに迎えられた。サン・アドのオフィスに照子さんはたびたび訪ねてきた。いよいよ仕事に熱が入ってきたらしい。
「結婚しろといっても、仕事が面白いといっていうことをきかないんだよ」
と池島さんは苦笑していた。私は、サン・アドの仕事の『洋酒マメ天国』に池島さんの「架空会見記」というフィクション対談の原稿をいただいた。そんなことで、池島さんとしばしばお会いして差《さし》で酒を飲んだ。照子さんとわたしが同じ雑誌を作っていたこともあって、話題はごく自然に照子さんや他の二人のお嬢さんのことになるのである。
「女の子なんて楽しみがないよ。せっかく育てても嫁にいっちまうんだからなあ」
「そういえば照子さんは結婚しても、池島さんのお宅に、既に別棟のキッチンや部屋があってよそには出ないんだそうですなあ。この間、照子嬢に会ったらそんなことをいってましたよ。『だから、あたし、結婚は、家つき、カーなし、ジジババつきよ』とかなんとか」
「な、ひでえもんだろう、娘なんて。両親をジジババにしちまいやがる。いつだったか、早く帰ったら、上の娘が婿ときててね、どうでもいいけど、俺の丹前《たんぜん》を着て俺の坐るところで一杯やってやがる。その傍で女房がホイホイ、サービスしてるんだから」
と苦笑されていた。そして、しみじみ、
「子供は、すぐ大きくなるもんだネ。拙《せつ》のいちばんお忙しの頃、それこそ夜うち朝がけで、毎晩遅く帰ったもんだけど、寝静まったわが家に上っていくとまるで西瓜《すいか》畑。小さい西瓜が三つ、スヤスヤ眠ってたもんだ。でかい西瓜を起こしたら叱られるから、しのび足で自分の布団にもぐり込んだものだけどねえ」