ミボラという料理をご存じだろうか? これは池田弥三郎先生創案にかかるミルク入り鳥雑炊である。一月二日の池田邸の新年会はミボラが出ておひらきになる。客人は名物ミボラに、はじめて夜の更けたことに気づき、宴のはてる時がきたのを知るという。
ちなみにミボラのミはミルクのミ、ボはボイルドチキンのボで、ラはライス。正月客の常連の一人が命名したのだという。
そういえば正月料理には�わが家の自慢料理�風のものがあるようだ。主人も客もその料理に新玉《あらたま》の春の訪れをみる。
一月二日は鎌倉の川端康成邸の新年宴会の日であった。川端邸の看板料理はみごとな鯛の活《いけ》づくりである。この日のために、走水《はしりみず》の漁師が鯛をとどける。その鯛は九谷の大皿から頭や尾がはじき出るほどのみごとさである。
明くる一月三日は、北鎌倉の高見順さんの新年宴会の日であった。高見邸の看板料理は福井から送られてくる越前ガニである。
ひところ私は一月二日に、ひとまず高見邸に伺って高見さんご夫妻とともに、鎌倉長谷の川端さんに伺うのが新年の習いであった。そして二日の夜遅く、というよりは三日になる頃、北鎌倉へまいもどり、そのまま三日の高見邸の新年の客を迎えることにしていた。
だから三日の朝は高見夫人や家人とともに、越前ガニの下拵《したごしら》えの仲間入りをしたこともある。それほどに北の海の幸の量は多かったのである。
しかしある年、暮からの豪雪で貨車がストップしてついにカニは到着しなかった。なにもカニだけが目当てではない。高見さんの家で一堂に会して、新年の酒を酌み交わすことに喜びがあるのだから、それはそれでいい筈なのだが、やはりいつものカニが欠けているのは淋しかった。
地口のうまい田辺茂一さんが�カニかくに恋しきものは北の幸、われ泣きぬれてカニをおもほゆ�とか�いカニ久しきものとかはしる�とか大変うるさかった。
さて、川端さんの新年会のメンバーは殆どかわらなかった。先生の古い友人である淀野隆三氏とそのお嬢さんたち、大阪からはるばる石浜恒夫さん、高見順氏、橋爪克巳氏、直系の北条誠氏、中里恒子さん、三島由紀夫氏、巌谷大四氏と私、もう一人編集者として河出書房の山川朝子女史。そして必ず望月優子、梅園竜子さんの昔なつかしい浅草派が顔を見せ、遅くなって吾妻徳穂さんのお姉さんが筐《はこ》をかかえてにぎやかに駆けつけるのである。
あれはいつの年であったろうか、映画のスーパーインポーズの名翻訳家だった秘田《ひめだ》余四郎氏が、すでに相当きこし召して現われた。
川端さんの宴会場は、いちばん東側の座敷と次の間をぶち抜いた大広間で、この日はその広間と中廊下を距《へだ》てた茶の間の障子もはずして、第二会場のようになっていた。その茶の間にはいつものように炬燵《こたつ》があって、その周辺には川端夫人を中心に女性軍が陣取っていた。
秘田さんが現われるちょっと前に三島由紀夫氏夫妻がやって来られた。三島さんは広間の客人にかるく会釈して、そこには坐らずに茶の間の炬燵の方へ直行してしまった。広間の数人から「敵に後を見せるとは!」という声がかかって、仕方なく三島夫人だけが広間に留《とど》まって、私の隣りに坐った。ハイネックでスリットの中国服が美しかった。
そこへ秘田さんが現われたのである。秘田さんは細かい絣《かすり》の着流しであった。宴席をぐるりと見まわして、三島夫人の隣りにきて坐った。一旦正座して、それからポンと膝《ひざ》を叩き、やおら胡坐《あぐら》をかいた。そのしぐさが端正で書生っぽい感じがなかなかよかった。
しかし如何《いかん》せんすでに酩酊《めいてい》、しきりに隣りの美人が気にかかるようであった。そして三島夫人を女優さんと思ったらしい。
「あんた、どこのニューフェイス?」
などとききながら、スリットから覗《のぞ》く肢《あし》に眺め入ったりするのだ。そこに現われたのが山川女史であった。和服姿も艶《あで》やかな女史は、美しいお嬢さんを連れて入ってきた。花一輪——。いま、少女期を脱しようというたたずまいなのだが、その清純なあどけなさはやはり少女というほかはなかろう。
川端さんは、殆ど盃を口にされない人である。しかしこの日は宴席をまわって、一人一人に和やかな眼つきで酌をされ、何かと気を遣われるのである。
しかし山川女史がお嬢さんを連れて入ってきたとき、先生は銚子を右手に持ったまま、そのお嬢さんを凝視された。例の殆どまばたきをしないあの眼差《まなざ》しで。(余談であるが、今日出海氏は、インシンを極める夏の夜の鎌倉の海のために二つの灯台を設置する抱負を開陳されたことがある。それによると由比ヶ浜に川端康成灯台、逗子《ずし》に石原慎太郎灯台。由比ヶ浜の灯台はまったく点滅せず、もう一つの逗子の灯台は絶えず点滅して、特色のあるその曳光《えいこう》に、海を渡る船は、安全航行できるというものである)
少女の美しさに宴席は一瞬シンとした。するとニューフェイスづいていた秘田さんは、
「これはニューフェイスになる」
と叫んだ。
「イケマセン。女優にしてはイケマセン」
と、川端さんが珍しく大きな声でいわれた。あまりにも真剣な声に、
「どうして?」といった表情が、川端さんに集まった。川端さんは、
「有馬さんをごらんなさい。可哀そうです。中村錦之助と結婚したじゃないですか。可哀そうです」
といわれたのである。真顔で強調されたのである。別に中村錦之助氏がどうというのではなかろう。ただなにかと心にかけていた有馬稲子さんを考えると、本当に可哀そうに思われるのであろう。あるいは美少女の姿に女の哀しさを感じとられたのか? しかしニューフェイスを提案した秘田さんは承知しなかった。
「可哀そうなもんか。可哀そうなのは錦之助だ」
と川端さんの眼をみずにそう言ったが、豪傑の秘田さんにしては声が弱々しかった。
「いいえ、有馬さんは可哀そうです。だから女優はいけません」
秘田さんは完全にしょげた。川端さんは真顔だった。なんだかおかしくなって、一同はふきだし、宴《うたげ》はまた一段とにぎやかになった。