三多摩方面の住人に、河合平三郎さんがいる。正確には甲州街道を少しばかり南に入った調布市仙川の住人である。河合さんとは、彼が「中央公論」の新進気鋭の編集者のころからのつき合いである。いまは河合企画室という特色のある会社をつくって、いかにも河合さんらしいやり方で張切っている。
私が雑誌をやっていたころ、河合さんと相計って、写真小説というページをつくったことがある。毎号グラビア十二ページを使って小説をのせ、挿絵《さしえ》の代りに写真を特写するという企画である。
しかもこの十二ページは、ある企業が提供するというもので、その仲介はみな河合さんがやってくれた。おそらく雑誌媒体でははじめてのものだったと思う。
執筆は松本清張さんにお願いした。登場人物には新劇の演技派をそろえて華々しくスタートした。
しかし流行作家の松本清張さんの原稿は毎号のように締切りに遅れがちであった。小説をいただいてからロケハンをしたり、撮影をするのはなかなか容易なことではなかった。松本さんがギリギリの締切り日になって、突如居どころがわからなくなり、河合さんと多治見まで追っ掛けていって、多治見の宿で松本さんの寝起きを襲っておこったり、懇願したり……という思い出もある。
だから河合さんとは、いろいろな思いをこめて酒を飲んだ。
河合さんは浅草の生れでチャキチャキの江戸っ子である。ちょいと見には慶応義塾経済学部出身の、塾生の残り香もあり、海軍予備学生を経て、海軍教官になった意外に強靱《きようじん》な残り香もあるが、彼のフィーリングは�江戸っ子の平《へい》ちゃん�である。だから私は、酒席では、
「よう、平ちゃんよ」
と言うのである。
平ちゃんは熱烈な恋愛をして、やっとの思いで結婚をした。やっとの思いというのは、駆落ちしたからである。私は何もその駆落ちに立ち会ったわけではないが、かなりその間《かん》の事情、状況をディテールにわたって知っているのである。何故か。
それは平ちゃんが問わず語りに私に話したからである。私が結婚話を強いたことはない。にもかかわらず、彼は酒を飲むと「うちの女房がね……」を連発する。恋女房なんだなあ。
「純ちゃん、今晩|空《あ》いてる?」
とオフィスに電話がかかってくる。
「平ちゃんか、生憎《あいにく》あいてるけれど、お前さんと飲むのは|や《ヽ》だよ。女房の話ばかり喋《しやべ》るから、妙に里ごころがついて酒がうまくねえや」
と口では断るのだが、いそいそと銀座に出かけるのである。
飲みだしてはじめの三十分ばかりは彼も慎重にしているのだが、少しアルコールがまわり出すと、「うちの女房」がはじまるのである。
「また『女房』がはじまったな。お前は慢性女房炎だ」
と憎まれ口を叩くのだが、平ちゃんはひとたび酒が入ると意気|軒昂《けんこう》、女房や子どもの話をはじめて私と口喧嘩《くちげんか》になる。
だから、よく行きつけのバーのマダムやホステスが、
「お二人の仲ってのは、どうなっちゃってんでしょうねェ。仲がいいんだか悪いんだか、ちっともわかりゃしない」
と真顔できくのである。(左様——当事者もどうなっちゃってるかわからない)
ともかく平ちゃんとの酒は、一緒に飲めば毎夜こうなのである。場所を変えようが、席を改めようが、口喧嘩の連続なのである。そのくせ、平ちゃんは、
「いつまで喧嘩して飲んでたってはじまらない。一緒に帰ろう」
と言うのである。一緒に帰ろう? おれは本気でおこってるんだぞ、と私は思いながら一緒に帰るのである。しかしある晩はもう一軒行こう、と私は言うのである。そしてもう一軒行って、同じような慢性女房炎が出て、喧嘩になって、一緒に帰るのである。
まあ言ってみれば、仙川の住人と国立《くにたち》の住人という運命共同体のなせるわざか。�三多摩方面�の悲劇である。
ある夜も、同じようないきさつがあって、と言うよりは、その夜はいつもの喧嘩ごっこがやや嵩《こう》じて、本気で二人とも怒り出した。それでもタクシーを止めて、二人で乗り込んだ。
「甲州街道を行ってください」
と平ちゃんがいった。
「山梨方面へ行ってください」
と、私がつけ加えた。
車の中で、二人とも口をきかなかった。平ちゃんも私も、自分で言うのはおこがましいが、感心に朝は早い。昼間は大いに奮闘する。そのあげくの酒であるから、黙っていると眠たくなる。とくに私は、車に乗ったらすぐ眠る癖がある。それは第二の天性とも言うべきものである。
「お客さん、お客さん」
という運転手の声で二人、目をさました。窓の外をつっ走る夜景は?……あまり見憶えがない。車は快適なスピードでつっ走っている。
「相模湖をすぎて、もうすぐ藤野なんですが、山梨はどこなんですか」
ナヌ? フジノ?……。そういえば山梨方面と言っただけで、二人とも眠ってしまったんだ。
すぐさまUターンして、八王子、豊田、日野駅を通過し、日野橋を渡り、谷保《やぼ》天神を左折して車はわが家についた。口喧嘩して年甲斐《としがい》もなく口をきかずにうたたねしたばかりに、平ちゃんに迷惑をかけたと思い、私はめずらしくやさしい声で、
「平ちゃん、すまなかったなぁ、順序として先におろしてもらいます」
といい、彼の車が視界から消えるまで見送ったのである。
次の日、というよりはその朝、私はいつものようにオフィスにいた。九時四十五分、平ちゃんから電話である。
「おお、感心に出てるな」
「あたり前だ」
「えばるな。オイ、えらい目に会ったよ。あれからまた甲州街道に出て、新宿の方へ急げと言ったのはいいけれど、また寝込んじまった。運転手のやつ、お客さん、新宿に来ました、だとさ」
「お前はバカだ」
「なに、お前は家の前で降りてから、何をしたか憶えているか」
「静かにお前を見送ったはずだ」
「なにを言うか。深夜の一人旅はさみしかろう、なぐさめてやるとぬかして、一差《ひとさし》、舞っていたぞ。それにしてもお前の家の門灯は明るいなぁ」