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酒を愛する男の酒23

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:そうかあ、そうだろうなあ「そうかあ、そうだろうなあ」というのが橋爪克巳氏の口ぐせである。「そうかあ」で切って、そのわずか
(单词翻译:双击或拖选)
そうかあ……、そうだろうなあ

「そうかあ……、そうだろうなあ」
というのが橋爪克巳氏の口ぐせである。「そうかあ」で切って、そのわずかの間《ま》に——こちらの顔を見る眼鏡の中の目が、つかの間、キラリと鋭い。そして「そうだろうなあ」はやや詠嘆的で、自分にいいきかせるような響きがある。
夜の銀座でも時として「そうかあ……、そうだろうなあ」になって、すぐまたいつもの春風|駘蕩《たいとう》の愛称「ヅメさん」の酒にかえる。
昼間橋爪さんのオフィスを訪ねると、部屋の外まで笑声がもれてくる賑《にぎ》やかさだ。しかし雑談の途中から唐突に「君はどう考えるかねえ?」になり「そうかあ……、そうだろうなあ」になる。
私が橋爪さんにはじめてお目にかかったのは、高見順先生を介してであった。そのころ、私は一ト月のスケジュールのうち、十日間は高見さんと一緒にすごすような仕事になっていた。その仕事が済んでも、夜は一緒に銀座に出ることが多かったから、高見さんの一高時代の友人である橋爪さんとも、ごく自然に親しくさせていただくようになった。
橋爪さんの事務所は銀座の昔の電通通りの近くにあった。だからここを基点にして、夜のスタートをすることもあった。私は橋爪さんを通じて多くの知己を得た。
東竜太郎知事の時代、都財政懇話会というのができた。これも橋爪さんの肝煎《きもい》りで、メンバーは作家、新聞人、出版人の一流どころでつくられていた。橋爪さんは私にも声をかけてくださった。
この会は不定期ではあるが、東京都の既成の施設やこれから造られる道路をはじめ、いろいろな都市計画の現場を訪れて見学をし、そのあと、東知事や、のちに万博の事務局長になった副知事の鈴木俊一さんと忌憚《きたん》のない意見を交換するというものであった。
汚水処理場もみた。朝の築地の魚市場も長ぐつで歩いた。青果市場にも行った。工場地帯の煙害スモッグの実態もみて歩いた。ある時は神代植物園を経て多摩自然公園に足を延ばしたこともある。
自然動物園のゴリラの家にわれわれが行くと、いちばん左のはずれにある館の主は、どういうものか横山隆一さんにむかって小石を投げつけるのである。われわれには目もくれず、そのゴリラは横山さんばかりを目の敵《かたき》にして、フクちゃん先生を悲しがらせた。
懇話会の席上では今日出海、稲葉秀三氏あたりの舌鋒《ぜつぽう》が、激しく東さんに襲いかかった。
「いいか、東。われわれ忙しいのがマイクロバスに詰まって、一日時間を潰《つぶ》してるんだ。おれたちの言ったことは、肝に銘じろ。肝に銘じたら、ひとつくらいは実行しろ。お前はおれたちの言ったことで、何かやったことがあるのか」
などということになるのだが、池島信平さんや高見さんあたりの緩急自在のとりなしで、勉強会は和やかな方向に進むのである。
名神道路が完成間近になって、漸《ようや》く高速道路時代になりはじめた頃、私はすでにできている阪奈道路や名神道路を空から写真に撮りたいと思っていた。高見さんに「日本の美」という連載ルポルタージュをお願いしている頃で、このルポは日本の暮らしの中の美しさを、古いものも新しいものも含めて、毎月ひとつずつ取りあげていくというシリーズであった。カメラは秋山庄太郎さんが担当してくれた。
ある日、橋爪さんから電話がかかった。
「君の計画きいたよ。テロレンが便宜を図ってくれるそうだ」
テロレンとは、今は亡き道路公団の名総裁岸道三氏である。
「それから、道路を空からみたいんだってなあ。防衛庁の上村健太郎に話したら、ちょうどむこうで演習があるから、その演習終了後にヘリコプターに乗ってみろ、といってたよ」
私にとってこんな有難いことはない。この時の取材には橋爪さんも同行された。仕事はまことに規模壮大に進められた。ヘリの窓からみる生駒《いこま》山塊をぬう阪奈道路の九十九折《つづらおり》の美しさ、大阪平野を京都山崎に真一文字に突っ走る名神道路の直線の美しさ。私はこれからの時代は道路だと空の上から賛嘆した。
京の夜はまことに愉しくすぎていった。道路公団の技師長とも親しくなった。この人は技術家にはめずらしく、茫洋とした大人《たいじん》の風格があり、酒仙でもあった。
「二年ほど、道路のことで欧米に留学させられたんだけれど、日本の技術の高さでは、今更、勉強しなくてもよかったんです。まあ酒を飲みに行ったようなもんですよ」
とさり気なくいう横顔が洒脱《しやだつ》であった。
「そうですなあ、私がきめたことは、橋梁《きようりよう》の横線部分を紅色に統一したことぐらいかな」
技師長は、この色をシャンゼリゼー・ルージュと命名している。いまや日本全土に、この色を見ることができる。
京の夜を幾晩か、はしごして飲み歩いた。この技師長が案内にまわる店では、技師長の隣りに坐る女性が、どの店も何となく似た顔つきなのである。誰かに似ていた。誰? と言われても見当はつかないのだが、何となく懐しい顔なのである。
何軒目かのとき、突然橋爪さんが、
「わかった。思い出した、松登!!」
高見さんも、秋山さんも、私も、いわれてみて、なるほどと思い、笑いを噛《か》みころした。しかし技師長は悠揚せまらず、何人目かの松登と親しげに、それも緊密の度をやや濃い目にした風情で酒を楽しんでいた。
橋爪さんはジューサーが出はじめた頃、人からジューサーを贈られた。贈り主が、こんな便利でしかもからだのためになるものはない、材料は台所で出た残りものの大根、人参のしっぽ、キャベツの芯《しん》、菜っぱの切れはし、をよく洗ってぶち込みさえすれば、すばらしい天然ジュースができるといった。
次の日から橋爪さんは台所で大根のしっぽを拾い、奥さんに大いに嫌われながら、ジュースを作って飲んだ。
「どうです、結果は?」
「それがまずいのなんの。それだけじゃあねえんだ、おれ、毎朝人知れずゲロ吐いてね。どういうもんだろうか」
「何も、大根のしっぽばかりが材料じゃありませんよ、リンゴとかバナナとか、拾い物やめてそういう物になさい」
と私がいうと、
「そうかあ……、そうだろうなあ」
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