「釣はもう引退しました」
と、井伏鱒二先生は言われた。
「何とおっしゃる」と、開高健さんが言う。それでは、何とおっしゃるウサギさんであります……という勢いである。
標高一七〇〇メートルの樹林地帯にひっそりとした湖があるんです、その湖はヒメマスとニジマスの宝庫なんです、と開高さんは話しはじめた。
この秘められた湖の水利権を持つある志高い人が、五年前にヒメマスの稚魚《ちぎよ》を放った。ヒメマスは見事に育っていった。しかし稚魚の中にニジマスが入っていたらしく、このところヒメマスとニジマスの比率が逆転したという。
しかし、昨年あたりからヒメマスの五年ものが、急激に姿を消しはじめた。ヒメマスの寿命なのか? 湖水があまりにも清すぎて餌《えさ》が不足するのか? それともニジマスにかかって死んでいったのか……。
これは調査を要することである。その志高い人は開高さんに調査を依頼した。開高さんは幾たびか山の湖を訪れたのであるが、井伏先生にも行っていただき、実際にマスを釣って、その原因を糾明してほしいのですと言った。
しかし先生は釣はもう引退しましたと言われた。だが開高さんはあきらめなかった。開高さんの人跡未踏の秘められた湖の描写がすぐれていたのであろうか、引退を表明されながら、先生の心は山の湖に傾きはじめたのである。
「引退興行をすることにいたします」
かくして井伏先生は秘められた山の湖の調査員となった。私も調査員の仲間入りをして、山の湖に出かけたのである。
開高さんの釣はルアーであり、フライであり、竿《さお》はむろんグラスファイバー。�フィッシング�と呼ぶにふさわしいものである。
井伏先生の釣は東作の竹製の竿であり、微妙な動きをみせる唐辛子の浮子《うき》であり、かみつぶしの錘《おもり》であり、道糸も|はりす《ヽヽヽ》もなるべく細く小さく仕掛けながら、大物を釣上げるという�日本の釣�である。むろん、マスとなれば餌はイクラである。
私たちはひとまず一四〇〇メートルの樹海に囲まれた湖畔にある宿に泊った。そしてその宿から秘められた一七〇〇メートルの湖水へマイクロバスを駆って、早朝から暮れ方まで、丸二日間、調査に没頭した。
早起きの私は、普段よりなお早起きをした。山の気は清々《すがすが》しい、というよりは痛烈な爽やかさである。部屋の窓を開けると、まだ常夜灯が、蛍光《けいこう》色を放ってひかっていた。朝といってもまだ小暗いのである。樹々は早くも紅や黄に染まりはじめていた。そこにおびただしい小鳥たちが、天から降るようにやって来た。常夜灯に集まった虫を食べに来たのである。小鳥たちはカラ類の混群であった。指揮官はシジュウカラ。そしてヒガラ、コガラである。窓のいちばん近くにある山毛欅《ぶな》の幹を、忙しく歩いて上り下りするのはブルーのガウンをひっかけたゴジュウカラである。そして地上に落ちた虫を拾うのに忙しいのは、いちばんちっぽけなミソサザイである。
私は次の日はもっと早く起きて、窓を開けて、彼らの来るのを待ったが、この日は一羽も来なかった。
宿の玄関からまわって様子を見に行くと、ゴジュウカラが止っていた山毛欅の梢《こずえ》から、大きな鳥がはばたいて飛んでいった。大きなノスリである。カラ類は常夜灯につく虫の場所を知って毎朝やって来る。そのカラ類を狙ってノスリがやって来る。私は海抜一四〇〇メートルの宿で、野生を見た。
井伏先生は、巨大な流木の根が岸辺に打寄せられて、半分ほど姿を見せた場所を選んで釣場とされた。水から突き出て、オブジェ風に拡げた根は、竿を置くのに好都合である。
開高さんと私はハーリングをすることにした。湖の舟つき場で用意を整えてから、竿を振る先生のところに、昼までお別れしますと挨拶に行くと、既に先生の顔が一段と引きしまっている。
「たてつづけに三度、|はりす《ヽヽヽ》を奪《と》られた……。大物ですよ。仕掛けをかえます。胸がドキドキします」
老練の釣師は、興奮の極みを、面目にかけて漸《ようや》く押えている、というたたずまいである。この辺りだけは清すぎる水をたたえた湖にしては珍しく、わずかに生えはじめた水藻《すいそう》が、水底を緑にしていた。今年いれたヒメマスの稚魚も群れをなして潜んでいる場所である。
陸釣の先生を残して私たちは手漕《てこ》ぎのボートに乗った。『さざなみ軍記』の作者に、あえて陸の源氏になっていただき、私たちは水軍の平氏となった。
開高さんはドイツ、アラスカ、北欧……と釣り歩いた由緒ある名竿《めいかん》を私に渡してもっとも初歩的なことから私を指導してくれるのである。嘗《かつ》てドイツに游《あそ》んで釣具店の主人《おやじ》の手ほどきをうけて釣をはじめたから、私の釣は独学《ヽヽ》ですと謙遜《けんそん》するが、彼の竿|捌《さば》きは、ともすれば揺らぐ舟の上で、たくみにバランスをとりながらみごとというより他なかった。
そして、この季節の、この天候の、この時間の、日の光、空気の流れ、水温——それらのたたずまいを五体に感じとって、魚の心を読みとろうとするのである。
「これや!」
彼は一つのフライを選んで、鋏《はさみ》から爪切までついている七つ道具を駆使して、道糸にフライをつけた。開高さんが漕ぎ、私は言われるままにフライを流しはじめた。
早くもビリビリッときた。合わせる。竿先が水面に沈む、リールをまわす。遥《はる》か三十メートルの向うで、鉤《はり》にかかったマスが、一瞬、おどるように姿を見せ飛沫《しぶき》をあげてまた沈んだ。手元に引きあげるまでの緊張とスリル。四十センチほどのニジマスである。
藍色《あいいろ》の深みで釣れたマスは深い藍色をしていた。浅場のエメラルド色の水に棲《す》むマスを釣上げると、マスはベージュ色である。
二人して湖水を交替して漕ぎ、一周すると六尾ずつの釣果《ちようか》があった。
先生のところにとってかえすと、流木に結びつけてあるフラシの魚籠《びく》は、釣上げたヒメマスとニジマスではちきれるほどの大漁であった。と、みる間にまた一尾かかった。型が小さいようである。
「これは小さい。放してやりましょう」
先生の手からマスは水に滑りこみ、反転して水藻に消えていった。
「あの……、私はたしか引退興行といいましたが、あれは、取り消すことにします」