長期予報では、長梅雨のはずであったが、雨は一向に降らず、カンカン日照りの暑い日がつづいた。七月も半ば近くなって、気象庁は空《から》梅雨と梅雨あけ宣言をした。ところがとたんに日本各地に集中豪雨が見舞って、日本列島は水浸しになった。その上、行方定めぬグズ台風が停滞して、どうにもならない湿っぽさが毎日つづいた。
しかし、そのグズ台風が過ぎると、俄然陽ざしは眩《まぶ》しく、やって来ました、日本の夏が——。
盛夏の候である。日常業務は多忙。加えてこの十一月に迫った、京都で行われる日本ペンクラブの国際会議の準備も多忙。まことに息つく暇がない。
一週間に二度は六本木のペンの事務局につめる。阿川弘之さん、三浦朱門さん、遠藤周作さんのばかでかい声が、事務局に響きわたる。石川達三さんが奮励努力する。田辺茂一さんばかりは悠揚せまらぬ大人の風格で仕事をすすめ、夕されば例の大きなバッグを下げて、銀座方面へ出撃するのである。
日常業務が忙しくてペンの仕事があって、田辺さんたちと銀座に行くのだから、この夏の暑さは一段ときびしいのである。そこへ原稿の締切り日ですよ、と追い討ちをかけられる。
締切り日といえば、わが敬愛する野坂昭如さんが私に語った彼の日常生活というものは、毎日が締切り日であるそうな。恐ろしいことである。どこかの編集部の記者が次々に現われては、彼を拉致《らち》し隔離し、原稿用紙に字を書かせるのだそうだ。
「その、何といおうか、密室に閉じこめられて、その、全く、氷結して、白一色になった頭脳から物語を原稿用紙に一字一字つづらなければならないという作業……、ぼくは、前世において、よほど重罪を犯したのかもしれない。その刑罰の作業なのではないか?……」
ある夜、グラス片手にここまで言うとバーのフロアに倒れて、そのまま眠りこけてしまった。作家の、それも流行作家の壮絶さに比べれば、あまり泣言など言えたものではない。
週末を人並みに山中湖畔の山荘にすごすことにして、車で富士五湖をめぐって、富士五合目まで走ってみた。
山中湖も河口湖も、ヨットやモーターボートが湖上を疾走し、湖畔はビーチパラソルの花盛り。とても一〇〇〇メートルの山の上の湖とは思えない。人里離れた西湖ですら、人垣で埋っている。
富士の裾野の五つの湖の水際は、�レジャーをしなければ現代人でありません�という強迫観念にとり憑《つ》かれた人たちが、四列横隊で湖をとりまいているのである。
青年男女が季節顔にうごめいている。家族を乗せて湖畔にたどりついたパパ族が、生気のない顔で立っている。五日間働かされて、二日間レジャーさせられている姿である。その脇にはやや太り肉《じし》のリゾートウェアや水着のママがニンマリしている。
山荘の二日目の朝は四時半に起きて、落葉松《からまつ》林を歩き、湖畔の山に登ってみる。ここは百鳥《ももどり》の朝の歌の饗宴《きようえん》である。カッコウ、ホトトギス、ジュウイチ、ツツドリ。夏のツグミのアカハラ、フジマミチャジナイ、クロツグミ。そしてシジュウカラ、ヒガラ、コガラ、ホホジロ。メボソがジュリ、ジュリ、ジュリ、ジュリと必ず四つの音符を並べて鳴く。ウグイスは谷渡りをしてホーホケキョと鳴く。湖の水際にはすでに人がうごめきはじめているが、山の中は誰一人いないのである。人々はここに来てまで肩すり合わせねば気がすまないのであろうか。
杉の高みのアカハラの歌は、キョロリン、キョロリン・ジリリとも聞え、キャラン、キャラン・ジリリとも聞える。山毛欅《ぶな》の巨木の上のアカハラはそのキョロリンが、聞きようによってはジヒシンとも聞える。ジュウイチが慈悲心鳥と呼ばれるのは、その鳴き声がジュウイチともジヒシンとも聞えるからだが、このアカハラはジュウイチの影響をうけたのだろうか。
双眼鏡で山毛欅の高みのアカハラをしばし観察する。ようやく射してきた朝陽をまともにうけて、天を仰いで誇らしげに鳴きつづける。胸のあたりがふっくらとして可愛らしい。ジヒシン、ジヒシンと二度鳴いて、笛を吹くような含み声をだす。それが|ニワフミオ《ヽヽヽヽヽ》と聞える。
ニワフミオ……私は丹羽文雄さんの顔を思い出し、ついでジヒシン、慈悲心……で田辺茂一さんの顔を思い出した。田辺さんから頂いた創作集の『多少仏心』という小説の題が頭に泛《うか》んだからである。
東京に舞い戻って、ペンの事務局で遅くまで働いて、私は田辺さんと銀座に出た。田辺さんは、例の鞄《かばん》から写真立てを取り出して飲みはじめた。その写真立ての中には、佐良直美がニッコリ笑っていた。
「ホステスがまずいから、これで間に合わせてます、などと言わないよ」
と田辺さんがホステスをからかった。
「ラモール」に行くと、長髪の美髯《びぜん》をたくわえた芸術家(?)が中央の席から立って会釈をした。しばらくしてシャンペンが抜かれる音がして、そのシャンペンのグラスがこちらの席に二つ届けられた。先刻の芸術家の誕生日なのである。
「あれ、こんな暑い日に徳間君は生れたのかな」
と田辺さんが言った。驚いたことに長髪美髯は徳間書店の社長、徳間康快さんであった。いつの間に変身したのか。
ピアノが「茂一の季節」を奏で、客席から拍手が湧《わ》き、田辺さんは茂一踊りをせざるをえなくなった。一さし舞って、帰ってきて、
「踊りどこじゃない。向うに川上(宗薫)さんも笹沢(左保)さんも来ている。ペンへの協力のお礼の挨拶に……」
と田辺さん。
今年の夏の暑さは、ひとしおである。