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酒を愛する男の酒37

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:イデオロチン毎朝、私はスポーツ紙の釣だよりを見ながら、この分では、早晩日本の本土の河川や湖沼や周辺の海に魚がいなくなるの
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イデオロチン

毎朝、私はスポーツ紙の釣だよりを見ながら、この分では、早晩日本の本土の河川や湖沼や周辺の海に魚がいなくなるのではないかと心配するのである。いたずらに釣果《ちようか》を誇りあう釣はあまりにも情けない。「一億総漁師化」反対!
しかし、釣の名人から釣の話を聞くのは好きだ。井伏鱒二先生の釣の話には、釣を語ってその奥に人生の醍醐味《だいごみ》がある。
福田蘭童さんの魚の話、釣の話も面白い。やや言語|不明晰《ふめいせき》なところに、かえって真実味があって捨てがたい味がある。
ある年の十二月に日本ペンクラブの企画委員が、立野信之さんの呼びかけでフグ鍋《なべ》をつついた。立野さんも、そして伊藤整さんもお元気だった頃で、たしか昭和四十二年の暮だったと思う。
十人ばかりのメンバーだったので、二つの鍋を囲むことになった。私の隣りが福田蘭童さんだったので、煮方はすべて福田さんにおまかせした。その箸《はし》さばきは、さすがに鮮やかであった。魚をとことんまで知っている人への信頼感に、いよいよフグは美味になった。
もうひとつの鍋は、どういう風の吹きまわしか、伊藤整さんが料理方にまわった。甲斐甲斐しく立ち働くにもかかわらず、何となくぎごちない。はじめに豆腐を入れて、文藝春秋社の徳田雅彦さんに、
「それは、いちばん後に願いましょう」
と、ダメを出されて、「ハイ、わかりました」などと答えておられた。
それにひきかえわが方の鍋は、まずフグの身や皮を入れ、さっと浮いてきた泡やアクをチョロゲですくうという手際よさである。
後で知ったのだが、すでに故人になられた伊藤整さんは、生涯フグに一|抹《まつ》の恐れと不信感を抱いておられたらしい。今や素人の包丁はともかく、免許を持った料理屋で食うフグは危険ではないと、理屈でわかっていても、何となく不安なんだそうだ。だからその夜のフグ鍋でも、皮ばかりを選んで食べましたといわれた。それを小耳にはさんだ福田さんがいったものである。
「いちばんこわいのは卵巣で、これは今日は無論入っていません。そうね、次にこわいのはさっと浮いてきた泡かも知れないな。次に皮でしょうな」
この言葉で、泡をすくわず、皮ばかり食べた伊藤先生は、たいへんに、しょ気たのである。
その日は、フグから自然に魚の話になっていった。私は瀬戸内海の鞆《とも》の津で見たサヨリの大群の話をした。大群というよりは、二メートル幅で三百メートルほどの行列を見た話である。すると福田さんが、
「サヨリは、長い細い口が逆についているんです。だから磯近く水面下わずか五十センチくらいに浮いて、アミを食べることがあるんですな。ですから、そんな浮いた時のサヨリをとるには、行列の後ろから、そっと掬《すく》うんです」
と、まことに詳しい。新潮社の麻生吉郎さんが、
「魚の行列といえば、終戦後間もなく、復員して博多湾の百道《ももじ》海岸に、しばらくぼんやりしていた時、ある朝、村の子供たちが海岸にイカが押し寄せたと知らせにきましてネ。すっとんで行ってみると、十センチほどの小さなイカが、ほんの波打際の二メートルばかり向うまできて、わいわい群れているんです。さて、どうすべえと思案していると、村の子の一人が試しに、砂浜の石を群れの向うにポイと投げた。その辺のイカが驚いて、さっと波打際に近づく。それっ! とそれを手づかみ。とれましたネ。三日ばかり朝から晩まで、そのイカを食いましたよ」
というと、福田さんは、
「それはホタルイカですな。岸近くにくるときは、そのとり方がいちばんいい」
と、こうしたイカの生態や習性もご存じなのか、一向に驚かない。いささか口惜《くや》しくなった麻生さんが、
「私が中学生の頃、おやじと一緒に馬鹿げた鮎《あゆ》漁をしたんです……。というより私はいささか鮎は馬鹿なんじゃないか? と思っているんですが……おやじは左手に懐中電灯、右手に鋸《のこぎり》。私はビクを腰につけておやじの後につく。福岡に那珂《なか》川というのがあるんですが、夜になるのを待って、懐中電灯をてらしながら下流から上流へジャボジャボ歩いて、鮎がいるとおやじが鋸の峰でパッとたたく。浮いてきた鮎を私がビクに入れる。いくらでも、とれますワ」
「それは、七月なかばすぎですね。その頃になると、鮎は珪藻《けいそう》だけを食べるため縄張りをつくる。鮎という魚は決して下流へ向って泳がない。いつも上流へ向いている。だから縄張りの下手に行きたい時には上流を向いたまま流される。自分の縄張り外の鮎がくれば猛然とおそいかかる。この習性があるから友釣ができるわけです。とにかく一日中そうやっているから鮎は疲れるんです。夜八時から十時までは睡眠時間。ぐっすり眠ります。あんたがた親子は鮎の寝込みをおそったわけです」
といった調子に鋸式鮎とりの明快な解説がつくのである。
福田さんはフランスに行った時、お定りのパリの観光コースよりは、パリ郊外の地面をほじくって釣餌《つりえ》のみみずほりに精を出した。みみずはやっぱり日本と変わらないそうである。しかし、アメリカではみみずは瓶詰《びんづめ》で売っているので取らなかったそうだ。アメリカみみずは暖房完備の部屋でチーズでお育ちになり、マンスフィールド並みのグラマーだから、魚の食いがよいそうだ。ただし上玉だけに一匹五十セントもする。
「しかし、三十ドルもするスズキが釣れますからね」
と福田名人は平気であった。
「ソ連のみみずは?」
ときくと、
「ソ連も売ってます」
「赤いみみずでしょう」
とチャチャを入れると、真顔で、
「その通りなんです。何の薬だか知らないけれど、赤く薬で染めてあるんです」
とのことである。
私はその薬を勝手にイデオロチンと名づけることにした。
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