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酒を愛する男の酒38

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:むろんあなたと一緒です「今日、東京に出る前に、ちょっと横浜に寄り道したんだけど、イヤ驚いたな、蟻《あり》を売ってるんです
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むろんあなたと一緒です

「今日、東京に出る前に、ちょっと横浜に寄り道したんだけど、イヤ驚いたな、蟻《あり》を売ってるんですよ、一匹七円」
と立原正秋さんが言った。
「アリンコを? 蟻っていうのは庭なんかに行くと、用もないのに脛《すね》を這《は》い上ってきたりして、ありゃ大嫌いだ」
と私が言うと、立原さんは苦笑して、
「好き嫌いはその方の勝手だけど……、そう言われればたしかに蟻は庭に立つと、すぐ這い上ってくるもんだね。それにしてもわが家の庭も蟻だらけだよ。一金七円がウヨウヨと群れをなして歩いている」
ここまで話すと他の人が立原さんの肩を叩いて、何やら話しかけた。立食パーティの席上だから、会話が跡絶《とだ》えても仕方がない。
私が唐突に蟻が嫌いだと言ったのにはもう一つ訳があった。それは、その昔、私が小学校、たしか三年生のとき、学芸会で「蟻とキリギリス」という劇をやった。私は蟻の親分になった。夏の暑い日を蟻はせっせと働くのである。それに引きかえキリギリスは歌をうたって遊び呆《ほう》ける。天罰てきめん、やがて寒い冬がやってくるとキリギリスは食べるものがない。そこで尾羽打ち枯らして、蟻の家を訪れるということになる。すると蟻の親分の私は、「君たちは私たちが汗を流して働いているとき『人が折角歌をうたっているところをうるさい!』と言ったねェ。そんなことを言って、食べるものがなくなると人の家にやってくる。世の中は働かなければいけないのだ。�備えよ常に!�」などとキリギリスに向って言うのだ。
ここで劇は終って、幕になるわけだが、この科白《せりふ》を言ったあと、降りた幕を前にして私は子供心にも何となく楽しくなかった。むしろさびしいような、今様《ヽヽ》にいえば|シラケ《ヽヽヽ》た気分になった。だから蟻には悪いが、その時から私は蟻が嫌いになった。こういうことを立原さんに話そうとしたが、言いそびれたのである。
またあるとき、夜おそく銀座のバーで、違うグループ同士で鉢合わせをしたが、ホステスの肩越しに私が、
「このごろ国立では、しきりに蜩《ひぐらし》が鳴くんだよ」
と話しかけると、立原さんは、
「蝉がそんなに鳴くというのは、国立は田んぼがないでしょう」
と言った。言われてみると、なるほど甲州街道の南には田んぼがあるが、街道筋の北側から中央線にかけては田んぼなど一つもない。なるほどなァと思った。そのときも実はその蜩が夕方鳴くのではなく、明け方鳴くので、ヒグラシという名前にもかかわらず、あの蝉は明け方も鳴くものかと言おうとしたのだが、隣り合っていても、別々に来た客同士であるから、明け方鳴く蜩については言いそびれてしまった。
何年か前、立原さんからいただいた年賀状に「今年は信州森村の杏《あんず》を見に行きます。むろんあなたと一緒です」と書いてあった。思うに忘年パーティかなんかで会って、例の立ち話をして、私は信州森村の杏の咲く頃の話をしたに違いない。杏の花の咲く頃の森村の風情を大いに讃《たた》えたに違いない。しかしパーティだから立原さんが何か言おうとしたところで、話が中絶したのだろう。その思いを立原さんは年賀状に認《したた》めたのだと推測した。
こんなにかけ違いばかりしている二人であるが、一緒に旅行したこともある。三浦哲郎さん、巌谷大四さんも一緒だった。秋の甲州路を楽しんで、甲府湯村の常盤ホテルに着いたときは、もう日が暮れていた。私たちは広い中庭を距《へだ》てて建てられた田舎家や離れ座敷がつづく日本間に通された。
私は立原さんに、この常盤ホテルの離れ座敷の庭はよほど志の高い人が造園したのだろう、何の変哲もない庭でありながら、厭《いや》みがなくて気持がいいと言った。それにカリンの古木なんかもあってね、とつけ加えた。
その夜は酒豪ばかりだから大酒を飲んだ。甲府の芸者が何人かきて、その中にそれこそ婆さん芸者というよりは、もうほんとうのお婆さんの芸者がいた。その人はまことに芸達者であった。とくに秋田民謡は絶品であった。秋田|訛《なま》りがあまりに上手《うま》いので生れを聞くと実は秋田生れで、大きくなって花柳界に入り、望まれて嫁に行って夫と共に東京に出て、戦争のとき甲府に疎開したまま、こちらにご厄介になっているんですよ、と言った。秋田訛りが上手いはずである。
一時頃に宴果てると、私は三浦哲郎さんと同じ部屋に寝た。立原さんは巌谷大四さんと同室である。私はいびきをかくので、一番奥の部屋に二つ並べて敷いてあった布団を縁側に持って行って寝ることにした。三浦さんも、「私もかきますので」と言って、布団を引きずって次の間を通り越して、入口の、とっつきにある三畳の部屋に布団を持って行って寝た。翌朝早く目を覚ましてごそごそしていると、三浦さんも起きているらしい。部屋を出るにはどうしてもとっつきのところを通らなければならないのだが、そこのところで鉢合わせをして、二人でニンマリ笑った。いびきをかく者同士がわかるテレた笑いである。
中庭に出ると、秋晴れの朝陽を受けて背高ノッポの立原さんが立っていた。
「裏の庭を見ましたよ。カリンも見ましたよ、たくさん実をつけていいもんですね」
と言った。
立原さんの小説には時々、作者の分身とも思われる端倪《たんげい》すべからざる人物が出てくる。その人物は何を職業にしているか分らないのであるが、浜の漁師から鰯《いわし》を分けてもらって持ち帰り、目刺しを作って、それを行きつけの店に分けてやったりする。その目刺しが実に美味《うま》そうなのだ。そこで私は立原さんに目刺しの作り方を聞いてみた。それによると目刺しに限らず干物というものはこしらえ方が原始的であればあるほどいいそうだ。当世の干物は電気機械で干すのだから困ったものだとも言った。鎌倉の魚屋に新しい鰯が上ると、これを求めて粗塩を振り、半日、日に干す。微風の日が一番よい。ザルに並べるより、やはり目を通して干しあげる方がよい。昔は藁《わら》に通したけれど、今はいい藁が手に入らないから、庭の萩《はぎ》の枝を折って目を通して干しあげる、と立原さんは言った。
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