庭の西隅に孟宗《もうそう》の竹藪《たけやぶ》がある。もともとははす向いの家の竹藪から越境して生えた竹であるが、年々殖えて、本家の藪と一|繋《つな》がりになった。
この竹藪に、毎年十一月十五日になると判で押したように、椋鳥《むくどり》の群れがやって来る。その数は百五十ばかりであろうか。昼間はどこかへ餌を食べに行って静かだが、夕方近くはまことに賑《にぎ》やかである。
椋鳥たちは自分の寝る枝が決まっているのだろうか、めいめい自分の寝床に納まるまでのイットキ大騒ぎをする。それは修学旅行や臨海学校などで学童たちが眠りにつく前、しばし寝床の上で大騒ぎをするのによく似ている。せっかく静まったと思う頃、必ず茶目な一羽が飛び出して、それにつられて百五十羽がいっせいに夕空に舞い上る。
竹藪の縁《へり》は敷石になっているが、朝、その敷石に夥《おびただ》しい糞《ふん》が落ちている。竹の梢《こずえ》のしなりが丁度その敷石の真上にあたるのだろう。その竹に何羽寝ているのかわからぬが、彼らの食欲|旺盛《おうせい》なことだけはわかる。糞にはネイビーブルーの草の実が、ほとんどそのままの形でまざったりしている。
先日、テレビで「雷鳥の生態」を見ていると、日本アルプスに冬将軍が訪れると、いろいろな動物がつぎつぎに姿を消し、十一月の十日すぎにはそれまで頑張っていた椋鳥の群れも山を去って、あとには雷鳥とその雷鳥を狙う狐だけが残る、と言っていた。そして椋鳥の群れが、麓《ふもと》を指して飛んで行く姿が見られた。
竹藪にやって来るのが十一月十五日だから家の椋鳥たちは、あるいは日本アルプスあたりからやって来るのかもしれない。
年が明けて、冬中賑やかにしていた彼らは早咲きの桜が咲く三月二十五日になると、姿を消してしまう。あまりにも鮮やかな出処進退に、二、三日は物足りない気持になる。
私は那須良輔さんと夜の巷《ちまた》で会えば、魚か鳥の話をすることにしている。那須さんははじめはグラス片手に話していても、女の子にメモと鉛筆を貰い、挿絵《さしえ》入りの説明になる。次いでメモや鉛筆をおっ放り出して、両手を鳥の形にして彼らの飛び方、向きの変え方、餌の啄《ついば》み方などのゼスチャーになる。
「鶯《うぐいす》という野次馬は、落着きがなくってねェ、いつもこんな恰好でチョンチョコ動く」
と言いながら手指をパラッパラッと動かすと、那須さんの手が鶯になるのである。
「こんな動き方だから、障子に映っても、ああ鶯だ、とわかるんです」
と動かすと、ハラリ、ハラリと動く手が、束《つか》の間《ま》、障子に映った鶯になる。
那須さんはすでに巣箱で、五百羽のシジュウカラを育てあげた。シジュウカラの大敵は青大将で、雛《ひな》を孵《かえ》したシジュウカラ一家が、一夜にして青大将の餌食《えじき》になることもしばしばだったそうだ。
そこで、巣箱をつける木は杉丸太にして、杉皮は剥《む》いてしまう。丸太の頂きに左右二十センチの板を打ちつけ、その上に巣箱を乗せると青大将はまっすぐのぼれないので安全だそうだ。
「五百羽も卒業生を出すなんて、楽しいでしょうな」
と言うと、細い目をいよいよ細くして、
「かわいいもんです。ときどききれいに着飾って訪ねて来るのもいますよ」
と女学校の校長さんのようなことを言う。
鳥寄せをするには三つの方法があるという話だ。まず第一が巣箱を作ること。但し巣箱は青大将の被害と雀のいたずらを注意しなければならない。那須さんに言わせると、雀は小鳥界の愚連隊で、一羽では|から《ヽヽ》意気地がないが、集団になると急に勢いづいてシジュウカラを襲う。シジュウカラの巣箱の中は青苔《あおごけ》で褥《しとね》を飾る、まことに優雅な寝室になっている。それが雀には気に喰わないらしい。先住者を追い出して、青苔の上に藁やゴミで塒《ねぐら》を作る。
「汚い双璧《そうへき》は、雀と鼠じゃないでしょうか。人間の側にいると汚くなるんでしょうね」
と既に那須さんは仙人の心境のようだ。
鳥寄せの二番目の秘訣《ひけつ》は水場を作ること。那須さんの鎌倉の家には、筧《かけひ》から落ちる水を鳥のための小さな水盤で受けている。すると目白や鶯、ヤマガラなど小さな奴は、三、四羽いっぺんに水盤に入って水浴びをする。山鳩やヒヨドリは一羽ずつ窮屈そうに水浴びをする。水浴びだけでなく、水を飲みに来る小鳥があとを絶たないという話である。
鳥寄せの三つ目は、実のなる木を庭に植えることである。春や夏の季節には、食べるものがいくらでもあるから、小鳥たちはいかにも伸び伸びと遊んでいるのだが、秋も深まってくると鳥たちは草や木の実に集中しはじめる。
「朝、目を覚ますとね、床の中まで鳥たちの鳴き声が聞えてくるんです。嬉しいときの鳴き声っていうのがあるんですよ。�オーイ、うまそうな実、みつけたぞ�あの甲高い声はヒヨドリだな、などと思うと、寝床を飛び出しちゃうんです。雪の日なんかは、まずくて普段は見向きもしないくちなしの実なんか食べると、かわいそうになってくる」
こんな具合で銀座の夜は更けるのだが、この間も、那須さんと鰻《うなぎ》と小鳥について、みっちり三時間ばかり話をした。
「わが家の庭に、鳥が好んで糞をする場所が一個所あるんだけれど、そこが鳥の糞から生えた小さな植物園になってましたよ」
などと人を羨《うらや》ましがらせる。
「それにしても、鎌倉にはヒヨドリが多いですね、一年中いるみたい」
と訊《き》くと、
「椿《つばき》が多いから……。鎌倉ではどこかしらで一年中、椿が花をつけているんです。ヒヨドリは椿の蜜《みつ》が好物で……だから鎌倉のヒヨドリは嘴《くちばし》をいつも花粉で黄色くしてますよ」
「花粉のお弁当ですね」
「ボクは子どもの頃九州にいたんだけれど、椿が咲くとその蜜を吸うために、人間さまの|こちとら《ヽヽヽヽ》も山に潜り込んだものです。それ以来ヒヨドリとは仲間で……イヤ、競争相手みたいなもんです」