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酒を愛する男の酒41

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:ベストセラーつくり昇天昭和三十四年の一月十一日、池島信平さんの肝煎《きもい》りで発足した雑誌編集者の集い、新十社会の人た
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ベストセラーつくり昇天

昭和三十四年の一月十一日、池島信平さんの肝煎《きもい》りで発足した雑誌編集者の集い、新十社会の人たちで奥日光に行った。今市駅でロマンスカーを降りると、バスの出るまで時間が少しあった。見ると、駅前の土産物屋の傍《わき》に、古ぼけた屋台がでていて、甘酒と書いてある。皆、面白がって、屋台をかこんだ。午後の陽がかげりはじめて飛雪が舞ってきた。
「さすがに、日光ともなると、この時間は寒いですね」
と中央公論の竹内一郎さんが言った。そのとき、横合から、
「寒いんでしたら、スペシャル甘酒をどうぞ」
と茶碗を、こちらへ差しだした人がある。
「スペシャル甘酒?」
「ほら、あの甘酒の釜《かま》の向うにあるトリスウイスキーね、親爺の飲みしろかと聞いたら、むろんそうだが、なんならワンショットいれますか? ときました。|カクテル入り《ヽヽヽヽヽヽ》だと親爺が自慢したスペシャル甘酒です」
と眼鏡の奥で、いたずらっぽい眼が笑っている。ロマンスカーの中で光文社の塩浜方美さんから紹介されたばかりの、塩浜さんと同じ社の古知庄司さんだった。
バスに乗ると、座席が古知さんの隣りになった。私たちは雑談したり、歌ったりした。戦場ヶ原を走る頃、日はとっぷり暮れて凄《すご》いような月がでた。一尺ほどの根雪と白樺の肌がキラキラと光った。私たちは「雪の白樺並木」を合唱した。
南間ホテルに着いて、一風呂浴びて宴会になった。私は古知さんと竹内さんの間に坐っていたのだが、しばらくすると古知さんが、
「やっぱり調子がおかしい」
小声で言って、席を立った。私は気になって、古知さんを追って廊下にでた。
「いやはや、どうも。とにかく、年末年始と連続でしょ」
どうもいけませんという風に頭をふった。
「全くね、一年中、連続みたいなもんで……これをお服《の》みなさい」
私は猛者ぞろいの新十社会の遠足に備えて持ってきた薬を、丹前の懐ろから取りだした。
「肝臓にいいそうです。酔わないためにもいいそうです」
古知さんは薬を服んで、一人先に寝た。考えてみると、あの頃から古知さんの躰《からだ》は、大分弱っていたらしい。
翌朝、奥日光は快晴だった。古知さんも元気になって、晴やかな顔だった。昨日のコースを逆に、バスは今市の駅についた。古知さんが真先にバスを降りて土産物屋に駆けこんだ。駅の待合室から、店の中の古知さんが見えた。楽しそうに、あれこれと品物を選んでは包ませていた。電車に乗ってからも、
「これでよし、これでよし。こっちは息子で、こっちは娘」
と土産物の包みをなでたりした。
私が、
「ミヤゲのコッチャン」
と言うと、
「ハイです」
と言って、彼は、いさぎよく「ミヤゲのコッチャン」になった。
正月の遠足を機に、私は古知さんと親しくなった。所謂《いわゆる》、ウマが合うというのだろうか、共に酌む杯は楽しかった。
「音羽村から馳《は》せ参ずるのは容易でネッス」
などと新橋や銀座にやってきた。音羽村というのは、光文社のある文京区音羽のことである。
古知さんは、生れが深川木場で、下町育ちの伝法さを内に秘めていた。それでいてダンディなのは、市立一中(現九段高校)というネクタイ中学の故だろうか。しかもあの春風|駘蕩《たいとう》とした味は、三高・京大と青春時代を京都で暮らした六年間の故だろう。
彼は京大卒業後、満拓に入社し、満州で結婚し、終戦と共に引揚げてきた。そして、令兄が講談社社長野間省一氏と静高時代からの親友という縁で、光文社に迎えられた。ベストセラーになった『太平洋戦争史』や『ケイン号の叛乱《はんらん》』『愛のかたみ』などは、みな彼が手がけた、今では思い出深い仕事である。
東京の下町に育ち、都会風の中学に通い、三高は文科であって、京大は意外にも農学部である。入試の面接で試験官の農学部長が、あなたは大麦と小麦の区別がつきますかと聞いたそうである。
「麦に大麦と小麦があるってえのは、その時が聞きはじめで、ハイ、大きな麦が大麦で、小さな麦が小麦ですと答えたら、これから勉強すりゃあいいよと言ってくれました」
古知さんは見事に農学部にパスしたわけだが、農学士だけあって、江古田の家には、草花や木を植えて楽しんでいた。
「牡丹《ぼたん》が咲きはじめたんだよ。見にきてくれ」
「牡丹とは、また一段と風雅ですナ」
「その件なのさ。昨日、家に見知らぬ老婦人が現われて、私の夫は退役大佐で花作りが大好きですが、お見うけしたところ、お宅さまのご主人も、恐らく停年で花作りに精を出されていることでしょう。是非、宅の主人とお近づきのほどをと挨拶してったんですト。牡丹は、風雅すぎますかいな?」
牡丹を見に行くと約束していながら、果たさぬうちに花の盛りがすぎてしまった。それでも会えば、バラの新種を論じたり、丈《たけ》ばかり大きくなって蕾《つぼみ》をつけないのは窒素過多にちがいないなどと学のあるところを披瀝《ひれき》しあった。
九月一日の夜、私は新橋のバー「リボリ」に行った。そこに文藝春秋の向坊寿さんが入ってきて、今日、日販(日本出版販売株式会社)に行ったら旺文社(?)の人が亡くなった……家はたしか江古田だとか……と話しだすと、当時は「リボリ」を手伝っていたトンちゃんが一瞬顔色を変えて、塩浜さんが古知さんの具合が悪いことを案じながら、昨日、軽井沢に立ったんだけど、ほんとうにそうだったら困っちゃうけど、もしかしたら光文社の古知さんじゃないかしら? と言うので光文社に電話すると、やはり古知さんだった。そこに文春の田川博一さんもきて、私たちは古知さんのことを話しながら酒を酌んだ。
翌日、告別式で、はじめて古知さんの家に行った。静かな住宅街は車で一杯になった。盛大な告別式だった。抜けるような青空で、時々強い風が吹いた。本年最高の三十六度七分の残暑だった。
古知さんは田宮虎彦氏の家から帰って、小瓶のビールを飲みながら松本清張氏原作のテレビを見ながら、
「眼が見えなくなった」
といって倒れたという。霊前に飾られてある写真の古知さんは、ちょっと横を向いて晴やかに笑っていた。若々しい笑顔だ。
奥さんを中にして並んだ彬君と陽子さん。「こっちは息子で、こっちは娘」のミヤゲのコッチャンに、ほんとに愛された人たちが並んでいた。庭に葉ばかりの牡丹があった。ヒマラヤ杉も植えてあった。高さ一間ばかりのヒマラヤ杉。古知さんはきっと、
「このヒマラヤ杉は大きくなるぞ」
と子供さんたちに言ってたにちがいない。
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