高見順さんは、私が特別に注文した熱燗《あつかん》の銚子《ちようし》を手にして、
「アチチチ……」
と言った。そしてよくこんな熱い銚子を平気で持てるねェという顔をした。
「兵隊に行ったり、開拓百姓をしたり、さんざ苦労してますから、手の皮が厚くなってるんですよ」
というと、
「それにしても熱いよ。君はアツクナイノ? 僕はアッチッチッ!」
と、最後は当時流行していた「僕は泣いちっち」の歌になった。
高見さんは人前で滅多に歌を歌う人ではなかったが、流行歌には関心をもっていた。酒席などでどうしても歌わなければいけなくなると、「南国土佐をあとにして」か「星はなんでも知っている」をよくうたわれた。テレ性だからややはにかんで歌う。そのはにかみが居直りになり、時時やけくそな声を出した。しかし声は本来、美声であった。
歌といえば野坂昭如さんは自らを歌手というだけあって、ユニークな味わいがある。
ある夜、開高健さんと銀座の「花ねずみ」で飲んでいると、野坂さんが入ってきた。すでに酩酊《めいてい》していた。彼は席に着くとすぐ立って、店の専属バンドのところに行き、ミュージシャンたちと、何やら打合わせを細かくして、うたい出した。まず「マリリンモンロー・ノーリターン」である。居合わせた客は、今や流行歌手といわれる野坂さんの出現に拍手を送った。彼はレパートリーを幾曲もつづけざまにうたった。開高さんが半畳を入れた。
「いい加減に歌をやめて、小説を書け」
間髪を入れず、野坂さんのマイクからアドリヴが出た。
「魚など釣らずに、小説を書け」
この開高さんも歌は上手だ。レパートリーはすべて外来語で、シャンソンをもっとも得意とする。澄んだ甘い声である。
外来語といえば、安岡章太郎さんはシャンソン一本槍である。「セ・シ・ボン」が出てきたら、その夜はすでに酔いはじめているとみてよい。「巴里の屋根の下」もよくうたう。その歌い振りは、彼が少年時代に感動して見た名画「巴里の屋根の下」をふまえた古典的シャンソンである。
今日ただいま、もっとも脂ののっている歌手は滝田ゆうさんであろう。「めんない千鳥」や、※[#歌記号、unicode303d]私淋しいのーと感情移入して歌う「おひまなら来てね」は玄人はだしだ。
玄人はだしといえば、田中小実昌さんがいる。なかなか歌わない人だが、ジーンとくる歌いっぷりである。声は甲高いなどというものではない。ウィーン少年合唱団員が、お年を召して|太め《ヽヽ》になって絶叫している風情である。
キャリアとアクションを誇るのは、大先輩の田辺茂一さんである。この歌手は「茂一の季節」という「恋の季節」の替え歌を得意とする。
私は甲府の宿で、三浦哲郎さんの※[#歌記号、unicode303d]おれは河原の枯れすすき……の「船頭小唄」をきいたことがある。やや首を傾《かし》げ、絶唱するその声は、嫋々《じようじよう》としてしかも清々《すがすが》しかった。どちらを向いてもヤーマヤマ(山)の甲府の宿が、いつしか真菰《まこも》の生い茂る大利根の水辺を忍ぶ川……まことに絶品であった。
ある晩、銀座で柴田錬三郎さんから水上勉さんの話をきいた。
「俺は水上とは講演旅行はしないことにしている。彼《あれ》は前座にしてくださいといって、講演会は必ず前座でトップ・バッターを承る。あれは真冬の裏日本で、寒い日だったが……トップ・バッターは壇上に歩をはこぶと、額にかかる髪をやおらかき上げて、『しばれますなア』といいやがる。次いで、『私は福井の片田舎の貧しい家に生れました。口べらしのために小学校を出るとすぐ京都の寺にやられました。京都の冬も寒い。しかし小僧の私は寒い朝、早《はよ》う起きて、まだ暗い寺の廊下を雑巾がけするのです。あかぎれに氷のような水が沁《し》みて……』という件《くだ》りになると、早くも婦人客の中には袂《たもと》からハンカチを出して目頭を押える……それからは水上の独壇場——何か話すと、聴衆はハッと打たれる、うっとりする、涙ぐむ……。めでたく終ったときには万雷の拍手。そのあと、この俺がのこのこ壇上に現われて、『眠狂四郎が……』なんていったって、さっぱり効きめがねェんだ。うっとりもしねェんだ。だが、ここまでは俺も許すよ。彼《あれ》が前座を承るのには理由《わけ》があるんだ。こっちが講演を早々に仕上げて会場をあとにして、まっしぐらに色街に行くだろ。店の女将に芸者を呼べ! というと、これが一人もいねェんだ。トップ・バッターの彼《あれ》が、すでに総揚げしてやがる。俺はあいつとは講演旅行は行かないことにしている」
と、苦い薬をなめたような顔をした。
その水上勉さんの歌をきいたことがある。どういうものか、場所はやはり銀座の「花ねずみ」。藍色《あいいろ》の着物を着流して、水上さんは一番隅っこに坐っていた。そして突如歌い出したのだ。講演の冒頭に「しばれますなア」というあの|出だし《ヽヽヽ》を思わせるほどもの静かな、巧みな導入である。水上さんの席についていたホステスが金しばりのように動かなくなった。
私の坐っているところは、いちばん端っこなので、部屋の端と端だから、何を歌っているかはわからない。
しかし他の客たちが水上さんの席の近くからだんだんこちらの端まで話をやめて、水上さんの歌にきき入るようになった。この前座はやはり並の芸人ではない。
これとは対照的に、ひたすら豪快なうたい方をするのが阿川弘之さんだ。レパートリーは「広瀬中佐」をはじめとした海軍一点張りである。
山口瞳さんはどうしてもうたわなければならなくなると、「すみれの花※[#小さい「ナ」]——」をうたう。まことに個性的な「すみれの花※[#小さい「ナ」]——」である。それも聞き手がハラハラして手助けしたくなる歌い方で、いつもきいている方が一人、二人と助太刀して、最後のころには大合唱になるのが決まりである。これもやはり並々ならぬ異能タレントであろう。