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国盗り物語11

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:奈良屋の主人 庄九郎という男の奇妙さは、奈良屋の入婿《いりむこ》になったとたん、商人《あきゅうど》そのものになってしまっ
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奈良屋の主人

 庄九郎という男の奇妙さは、奈良屋の入婿《いりむこ》になったとたん、商人《あきゅうど》そのものになってしまったことである。家つきのお万阿までが、
(まるで、うまれ落ちて以来の商家そだちのようじゃ)
と舌をまいた。いまの奈良屋庄九郎には、かつての法蓮房《ほうれんぼう》のおもかげも、かつての牢人《ろうにん》松波庄九郎の面影《おもかげ》もまったくない。
「商人というものは、永楽銭《えいらくせん》一文の客にも、一貫文の客にも、おなじようないんぎん《・・・・》さをもってせよ」
と、手代以下に説いた。
庄九郎自身がそうであった。
この当時の油商は、奈良屋ほどの店でも小売りをかねている。
店売りと行商がある。行商は、麻の素《す》襖《おう》にククリバカマをはき、棒の両側に油桶《あぶらおけ》をぶらさげて、
「おん油ァ、おん油ァ」
と、市中から郊外の村々まで振り売りして歩いた。おん《・・》と敬称がつくのは、油の専売権を大山崎八幡宮がもっているので、油屋にいわせるとただの油ではない、
「神油」
というわけである。
なんと庄九郎は、奈良屋の主人のくせに、店の売り子にまじり、そういう振り売りの行商までやった。
「おん油ァ、おん油ァ」
と売ってまわる。
つらい仕事だ。だて《・・》や酔興でできるものではないのである。
当時、油商の世界では、京の市中の油問屋はむしろ傍系で、なんといっても洛南《らくなん》の「山崎」が日本の油商人の中心地であった。
余談だが、山崎からも京の市中へ油の行商が来る。
そういう者がくると、奈良屋など京の油屋は、戸をおろして、山崎油売りの通過を待ったものだ。それほどまでに京の油問屋は、山崎の地下《じげ》人《にん》に対して敬意をはらったものである。
その山崎の油の行商の働きぶりを、このころの京わらべはこう歌った。
  宵《よい》ごとに都へ出づる油売り
更《ふ》けてのみ見る山崎の月
 一幅の俳画的風景である。しかし当の行商にとってはつらい労働であったろう。
庄九郎もそういう調子で売って歩いた。
「なにもそこまでなさらなくても」
とお万阿は、うれしいながらも庄九郎が気の毒になってしまった。
「いや、商人の見習いは振り売りからじゃ。これがわからねば、大商いもできぬ」
と庄九郎はいった。
そのとおりであろう。庄九郎は振り売りをしながら、売り子の悪徳をみつけた。
売り子は、油をマスではかる。それを客の壺《つぼ》に入れてやるのだが、最後の一滴をたくみにマスの中に残すが商い上手とされた。その一滴ずつをためておいて、自分が着服するのである。一日溜《た》まると、ばかにならぬ量になる。
「それはならん」
と、庄九郎はきびしく禁じた。一滴のこらず客のものである。
「奈良屋の商法にうそがあってはならぬ。マスから壺へは、客の手で移させよ。奈良屋の商法はこれじゃ、といえば客もよろこぶであろう」
ささいなことだが、これが京の内外で人気をよぶことになった。
同時に庄九郎は売り子の利益もみとめてやる。マス残しの油と同量のものを、店から無償でくれてやることにしたのである。
これには売り子もよろこんだ。人気があるから昼すぎまでに油を売りつくし、さらに一たん店にもどり、もう半《はん》荷《が》、宵の口までに売った。
店には非常な利潤になった。
庄九郎は、あたらしいことを考えることがすきである。
(ただ売るのはつまらぬ。なにか芸をさせながら売らせるのはどうであろう)
その後数日、かれは倉の中で懸命になにかをしていたが、やがて杉丸に手代、売り子などを土間へ集めさせ、
「こういうのはどうじゃ」
と、永楽銭一文をとりだした。
銭の真ン中に、四角い穴があいている。
庄九郎は、まずマスに油を満たしそれを壺にあけるかとみたが、
「さにあらず」
と、ニヤリとした。永楽銭をつまみ、その上からマスを傾けてたらたらと注ぎはじめたのである。銭の下に壺がおかれている。
「あっ」
とみなが声をのんだのは、マスからこぼれ落ちる油は、一すじの糸をなし、糸をなしつつすーっと永楽銭の穴に吸いこまれ、穴を抜けとおって下の受け壺に落ちてゆく。
銭は、ぴたりと庄九郎の二本の指で、空間に固定されている。
「さあさ、お客衆、ご覧《ろう》じろ」
と、庄九郎は、ずらりと手代、売り子の群れを見まわした。おどろいたことに、庄九郎の両眼は、「お客衆」を見まわしているばかりでマスをもつ手や永楽銭をもつ手を監視しない。だのに油はマスから七彩の糸になって流れおち、永楽銭の穴に吸いこまれてゆく。
至芸である。
「マスは天竺須《てんじくしゅ》弥《み》の山、あぶらは補陀《ふだ》落《らく》那智《なち》の滝、とうとうたらり、とうたらり、仏天からしたたり落つるおん油は、永楽善《えいらくぜん》智《ち》の穴を通り、やがては灯となり、無明《むみょう》なる、人の世照らす灯《ほ》明《あか》りの……」
と節おもしろく唄《うた》いはじめた。声もいい。節ぶりもいい。
おもわずみなが聞き惚《ほ》れたとき、
ぴたり
と最後のひと滴《しずく》が壺におさまって、
「どうじゃ」
庄九郎はあらためてみなの顔をみた。
「かようにして売れば、人が集まる。いちいち家々をまわらずとも、辻《つじ》で売れる。客がむこうから来るわけじゃ。——むろん前口上《まえこうじょう》には」
庄九郎は語を継ぎ、
「一滴たりとも穴のそとに油がこぼれればた《・》だ《・》で進ぜる、と述べておく。客の興は、いちだんとそそられるわけじゃ」
といった。
みな、ぼんやりしている。
「よいな。今夜から、商いをおわれば、みなで稽《けい》古《こ》をせよ。要するに、商いを振り売りから辻売りに変えるのじゃ」
が、この案は失敗した。
どの男も、あらそって稽古をしてみたが、みな油を銭面にそそいでしまい、庄九郎のようにはいかなかったのである。
「ご主人様、あの件はおとりやめくださいませ」
と、杉丸が泣くようにいってきた。下手な芸で売れば油をみなただ《・・》で客にやってしまうことになる。
「左様か」
庄九郎も苦笑せざるをえない。
とまれ、庄九郎はつぎつぎと新商法をあみだしては油を売り、奈良屋の身代はみるみるふとった。
お万阿は、よろこんだ。
もともと、お万阿は妙覚寺本山で学問をまなび、諸芸を身につけた庄九郎ほどの若者を婿にしたことだけでも奈良屋の誇りであるとおもっていた。妙覚寺本山の学生《がくしょう》あがりといえば、現在《いま》でいえば博士以上の稀少《きしょう》性はあったであろう。
だまってすわっているだけで、奈良屋にとっては、これ以上の装飾はないと思っている。それが、西宮《にしのみや》の戎様《えびすさま》の化《け》身《しん》かとおもわれるほどの商い上手を発揮しはじめたのである。
(これほどの仕合せはない)
と思った。そのうえ、庄九郎は男としてお万阿に満足しきっていた。
「お万阿、おなごとはよいものじゃな」
と、閨《ねや》で毎夜いうのである。
「わしは、僧房におった。幼いころから教えられて、女とは罪障ふかき者、僧の身で近づけば地獄におちる、と思いこまされた。長じては僧房で稚児《ちご》を愛した。いまにしてわかった。おなごとはこれほど美味《うま》いものゆえ、求《ぐ》道《どう》のさまたげになるとして釈《しゃ》迦《か》は禁じたのであろう」
「庄九郎様」
お万阿は心配になってきた。
「美味いのは、お万阿だけでござりまするぞえ」
お万阿に味をしめて、そこここのおなごを試食されてはたまらない。それならばお万阿は試験台の役割りだけだったことになる。
「うそをつけ」
庄九郎は声をたてて笑った。
「わしは知らんが、世間にはもっとうまいおなごがいるはずじゃ。女に嫉《しっ》妬《と》があるのは、女にも品々《しなじな》がある証拠であろう。男の性《しょう》が浮気なのは、よい品をさがそうという本能にもとづく。そういうことから推して、わしのような女に暗い人間でも、世間にさまざまな品のおなごがおる、ということがわかるわ」
庄九郎はいつになく多弁になっている。自分の前に、女色といういままで知的にも情感としても暗かった世界が、ほのぼのと曙染《あけぼのそ》めているという思いである。
「庄九郎様、それはご本心?」
「まあ、本心」
「そんなのは、厭《い》や」
お万阿はこまってしまった。この僧侶《そうりょ》あがりの男に、自分はとんでもないことを教えてしまったのではあるまいか。
「しかしお万阿だけは、お離しなさらないでしょうね」
「わしは江口の尼に聴いた。閨《ねや》の睦言《むつごと》というのは、真実をこめていえばいうほど、うそ《・・》じゃ、と。嘘《うそ》で彩《いろど》られていればこそ、男女の閨というのは美しい。しかしお万阿」
庄九郎は、ふと考えた。
「そういううそ《・・》は、世の閨という閨から星の天へむかって毎夜、ゆらゆらと立ち昇ってゆく。そういううそは、仏天のどこに葬られているのか」
まじめな顔である。
「わしが九天を駈《か》けまわれる通力があるとすれば、まず行ってみたいのは、そのうそ《・・》の墓場だ。そこへゆけば、何某という名のついた菩《ぼ》薩《さつ》が、神妙に墓守をしてござるであろう」
くすくす笑っている。この想像力のゆたかな男の目には、その場面がありありとみえ、菩薩の顔つきまで思い浮かんでいるらしい。
「そこで庄九郎様はどうなされます」
と、お万阿はつい釣《つ》りこまれた。
「墓場の扉《とびら》をひらいてくれという。許されればわしは、その中に籠《こも》る。古今東西の閨のうその記録を読めば、万巻を読むよりも人間というものがわかろう」
(他愛《たわい》もないおひとなのだ)
「だから、そのうそ《・・》の真実を云うてくださりませ」
「生々世々《しょうじょうせぜ》、お万阿を離さぬさ」
ぽっ、とうそが天に立ち昇った。

いや、庄九郎の商売というのは、すさまじく儲《もう》かった。
大山崎から、神《じ》人《にん》三百人が奈良屋に押しかけてきたくらいである。
「奈良屋のあるじはおるか。返答しだいでは打ちこわすぞ」
と神人の代表がいった。
神人は、当時の下層民である。八幡宮に属し山崎の油座《あぶらざ》の行商をさせてもらっている。反面、八幡宮の僧兵のようなもので、その利益のためには他国に出かけて行っても戦う、といううるさい連中である。
奈良屋の油が、売れすぎている。かんじんかなめの油専売権をもつ山崎神人の油が、京ではあまり売れなくなってしまった。
「だから、打ちこわす、といいます」
と、杉丸は青くなって庄九郎に告げた。
「ほう」
といったが、庄九郎もさすがに閉口したようすだった。
大山崎八幡宮の商権を笠《かさ》に着る神人にはかなわない。なぜ庄九郎でさえかなわぬか、という理由を説明するには、自由商業時代でなかった中世の、
「座」
という面倒なものを説明せねばならぬ。しかし説明するに従って読者は興をうしなうであろう。要するに、ほとんどの業種の商工業は自由に開業できなかった。許可権を、それぞれ特定の有力社寺がもっていた。社寺、といっても中世の有力社寺は宗教的存在というよりも、領地をもった武装国である。神聖権と地上の支配権をもち、それらがそれを背景として商工業の許可権をもっている。奈良の興福寺大乗院などは、一つの寺院で、塩、漆、こうじ、すだれ、菰《こも》など、十五品種にわたる商工の権をにぎって、そこから得る収入はばく大なものであった。こういうばかばかしい制度をぶちこわして、楽市《らくいち》・楽《らく》座《ざ》(自由経済)を現出させたのは、のちに庄九郎(斎藤道三)のむすめ婿になった織田信長であった。信長は単に武将というよりも、革命児だったといっていい。そういう経済制度の革命の必要を信長におしえたのは、道三である。
道三みずからが、この制度をぶちこわした先覚者であるが、この当時の庄九郎には、まだその力がない。とにかく、荏胡《えご》麻油《まあぶら》の座元は、大山崎八幡宮。
その直属神人に、油を直売させている。京の奈良屋といえども、八幡宮から、
「神人」
の株をもらっている身で、富商ながらも、山崎の神人どもには頭があがらなかった。かれらは、一行商人ながら、しかも神人と軽蔑《けいべつ》されている下層民でありながら、「神社直属」という点で庄九郎よりも格式が上であり、集団を組んでくるからうるさくもある。
「杉丸、とにかく銭のいくらかでもやって追いかえしてしまえ」
「さあ」
帰るまい。かれらは、奈良屋の膨脹《ぼうちょう》のために生活をおびやかされているのだ。
「神人の長《おさ》はどんなやつだ」
「すさまじい顔の男でござります。いま、赤兵衛どのが応接しておりますが」
赤兵衛は、庄九郎が奈良屋に入るとすぐ、市巷《まち》から呼んで手代にしてやったのである。
「赤兵衛でも手に負えぬか」
「いやもう、なにがなんでも奈良屋を打ちこわしてしまう肚《はら》のようでございます」
「人数は、何人いる」
「おいおいふえて参っておりますから、三百人は越えましょう。刀、長《なが》柄《え》、弓矢をもっている者もおりまする」
「それはこわいな」
くすっと肩をすぼめた。
商人でなく武士ならば、さっそく牢人《ろうにん》を狩りあつめてみなごろしにしてしまうところだ。
(それができぬわ)
「お万阿、わしは商人になったのは、まちがいだったようだな」
「あなた様が、ふるいしきたりをお破りなされてばかりいるからでございます」
「そのおかげで、財が殖えたではないか」
「でも、結局はかような目に遭っては、もとも子もなくなります」
「さてさて商いとは不自由なものよ」
不敵に眼がひかっている。
(やはり武将になることだ。一国一天下をとって、社寺からかような愚権を奪い、楽市・楽座にしてしまわねば世が繁昌《はんじょう》せぬ)
「しばらく捨てておけ」
「し、しかし、このままで夜に入ってしまいまするぞ」
事実、夜になった。
神人どもは、篝火《かがりび》を奈良屋のまわりに点々と焚《た》きめぐらせ、手に手に松明《たいまつ》をもってさわいでいる。
「火を放《か》けるぞ」
とわめいているやつもあった。いや、おどしではない。神人どもに打ちこわされたり火をかけられた富商が幾軒もあった。そういう制裁権まで、神人にはあるのである。
「では、出てやるか」
と、庄九郎は、無腰で土《ど》塀《べい》の外へぬっと出た。
「わたくしが」
と、腰がひくい。
「奈良屋庄九郎でございます。長はどなたでございます」
「おれだよ」
トン、と長柄の石突《いしづき》をついた。なるほど、すさまじい面相の男である。
「あなた様が」
「おお、山崎の神人で、宿河原《しゅくがわら》ノこえん《・・・》という者だ」
「わかりました。おおせのごとく、今夜より奈良屋の店を閉めまする」
「えっ」
とむしろ、神人のほうが驚いた。
庄九郎は赤兵衛に命じ、馬を一頭曳《ひ》かせてきた。
庄九郎は、ひらりと鞍《くら》の上の人になった。
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