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国盗り物語16

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:金《きん》 華《か》 山《ざん》 金華山稲葉山どちらでもいい。おなじ山である。(おっそろしく固い山じゃな)岩を切りくだい
(单词翻译:双击或拖选)
金《きん》 華《か》 山《ざん》

 金華山
稲葉山
どちらでもいい。おなじ山である。
(おっそろしく固い山じゃな)
岩を切りくだいた細い山坂をのぼりながら、庄九郎は、足の裏に突きさす岩肌《いわはだ》の固さに、奇妙な実感をおぼえた。
「あっははは」
登りながら、ひとりで笑えてくる。
「固い」
と、つぶやく。べつに固いことが山のねうちになんのかかわりもないが、庄九郎にはこれがむしょうに気に入った。
(ちょっと珍しい固さじゃな)
庄九郎は、地質学者の散歩のように、岩のカケラをひろっては、石片と石片とをたたきあわせた。
チンチンと金属のような音がした。全山ほとんどが、硅岩《けいがん》でできている。太古には矢ジリに用い、庄九郎の時代には、火うち石に用いるほどの石である。
(なにやら宝のような気がする)
野望家は、その本心、つねにこどものように無邪気なものだ。庄九郎も、自分がいつか奪《と》ってやろうというこの山が、たんに固い、というだけで、無意味によろこんでいる。
庄九郎は、上機嫌《じょうきげん》でのぼった。
(ほう)
谷の深さをみてはおどろく。
切りおとしたように深いのだ。一条の尾根道以外は、とうてい谷から這《は》いのぼれる山ではない。
(城には絶好の山じゃ)
尾根道ときたら、まるで痩馬《やせうま》の背をあるくようなもので、二人ならんでは歩けない。
足もとがあぶなく、中腹から上は、吹きあげてくる谷風だけで、
よろり、
と、谷底へころがり落ちそうだ。
この山頂に城をつくれば、百万の敵がふもとをかこんでも、攻めおとせないであろう。
いや、いまも城がある。
この山城《やまじろ》は、日護上人の実家長井氏の持城で、尾根のところどころに柵《さく》を設けたり、ガケにふとい黒木を組みあげて矢《や》倉《ぐら》、トリデのような構造物をちらほらと設けている。
げんに庄九郎は、それらを番する長井家の足軽どもから、
「山へはのぼれぬ」
と何度かとめられた。
そのつど、常在寺の日護上人が書いてくれた書きつけをみせて、関門をひらいてもらった。
常駐の城兵は十数人であろう。この山城の留守をしているにすぎない。
もちぬしの長井氏は、美濃平野の中央の加《か》納《のう》に城館をきずいて、いつもはそこにいる。
「いや、結構な山が捨てられている」
べつに捨てられているわけではない。鎌倉のむかし二階堂行政がここに山城をきずいたといわれ、以来二百年、朽ちっぱなしになっていたのを、足利中期、斎藤利永という武将が修築した。
いまは、長井氏の所有、というより管理といったほうが、実情にちかい。
しかし、朽ちている。この天嶮《てんけん》をつかうほど大規模な合戦がないからであろう。
(隣国の近江、尾張というのは大雄小傑雲のごとく出ているというのに、美濃はまだ安逸をむさぼっているわけだ)
ひとくちに、美濃侍八千騎という。みな旧習にくるまって、その日暮らしの平和をたのしんでいる。かれらを再組織して強力な美濃国をつくらぬかぎり、いつかは隣国の餌《え》食《じき》になるだろう。
庄九郎は、ついに山頂をきわめた。
山頂には、粗末な楼閣があり、屋根はくずれ落ち、柱の何本かが折れている。
「たれじゃ」
と番人らしいのが出てきた。
「言葉をつつしむがよい。山麓《さんろく》の常在寺の客《まろ》人《うど》にて、松波庄九郎である」
「あっ、常在寺の上人の」
と、番人はそのひとことで態度をかえた。
この国における日護上人の威光のほどがわかろうというものである。
「山を見にきた」
「へっ」
「案内せずともよい。ひとりで見る」
庄九郎は、ゆっくりと四囲をみわたした。
天に数《すう》朶《だ》の白雲。
下は、びょうぼうたる濃《のう》尾《び》平野である。
北ははるか飛騨《ひだ》の山々がかすみ、足もとの山麓を長《なが》良《ら》川《がわ》がうねっている。
(いや、まったく天嶮じゃ)
庄九郎はむろん知るよしはないが、稲葉山は四億年前の地球の造山運動によってできたいわば地球のシワである。
(よくもこれほど大きな野に、かような山があったものよのう)
奇山といっていい。それだけに天が庄九郎のために、何億年前から用意してくれていたような気もする。
(天命なるかな)
とおもうのだ。この山に城をきずき見わたすかぎりの美濃の山河を統一せよということで、天は庄九郎をこの山に登らせたのであろう。
「いや、ここに城を築くにきめた」
「なんでござりまする」
番人が、妙な顔をしている。
「きこえたか」
「いえ、聞こえませぬ」
本当らしい。
「聞こえなんでよかった。左様なことをきけばそちの耳がつぶれるわ」
「はい」
番人はおだやかにうなずいた。
庄九郎はなおも谷をのぞいたり、丸太を組みあわせただけの砦《とりで》を見あげたり、尾根道を一丁ばかり歩いてはまた引きかえしてきたりした。
ひどく楽しそうな顔である。
脳裏に、すでに大城郭の設計《なわばり》がうかびあがっているのであろう。
戦国の英雄というのは奇妙な信仰を心のどこかにもっていて、自分を地上にくだしたのは天であるとおもっていた。
一種の誇《こ》大妄想狂《だいもうそうきょう》である。この「天命」があればこそ、行為はすべて正義であり、そういう強烈な正義観がなければ、誇大さがなければとうてい統一の大業は果たせないものだ。
甲斐《かい》の武田信玄は「天命われにあり」とおもったればこそ父を追って権力の座についたわけだし、奥州の伊達《だて》政宗《まさむね》も、敵に拉致《らち》されてゆく父の輝宗を敵とともに撃ち殺したのも、この感情である。
事、成就《じょうじゅ》すれば「天にもっとも近い者」であることを人に知らしめるために天空を劃《かく》するような城をつくる。

庄九郎は、その後、常在寺でぶらぶらすごしていたが、十日ばかりたったある霧の深い朝、日護上人はふと、
「法蓮房、心をきめてくれたか」
といった。
「何の心だ」
「美濃に仕官してくれる一件。おぬしのような大器量が美濃の統治をたすけてくれねば、この国のあすの運命はない」
「ふむ」
庄九郎は、心進まぬ顔である。
「じつをいうと」
と、日護上人はひざを乗りだした。
「兄の長井利隆に、おぬしのことをいちぶ始終話してしまったわい」
「長井殿に?」
庄九郎は、きらりと眼をひからせた。
長井利隆は、加納にいる。常在寺からはほんの一里の南である。
現今《いま》は、どちらも岐阜市にある。ちなみに岐阜という町は、庄九郎のちの道三《どうさん》がつくり女婿《じょせい》の信長が完成した町だが、この当時にはこの名は存在しない。
むしろ、このあたりは、
「加納」
という町名で、代表されていた。城下の長さ十数丁、東山道(いまの国道二十一号線)に面する重要な宿駅でもある。
この加納城の城主が、美濃の一勢力者である日護上人の兄長井利隆である。
年は四十。
庄九郎のしらべでは、よほど思慮ぶかい人物のようである。
「長井殿は、どう申されていた」
と、庄九郎は、日護上人の表情のすみずみまで見おとすまいとしている。
「よろこんでいた」
(え?)
と、油断がならない。
「いや、本当だ。わしは妙覚寺本山のころのおぬしの才覚、その後の武芸、諸芸、且《かつ》は商略をいちいち実例をもって話したところ、兄の利隆は」
(利隆は?)
庄九郎、日護上人の眼をみている。ひどく柔和な眼だ。
「左様な十徳をそなえた人物がいようはずがないとはじめはまじめにはとりあわなかったが、だんだんわかってくると、かたちをあらため、ぜひ、殿に推挙したい、いま土岐家にほしいのはそういう人物である、と膝《ひざ》をのりだしてきた」
「いやこれははずかしい」
庄九郎は、事実、恥じらいの色をうかべながら、
「わしは買いかぶられた。おぬしの言葉で、この松波庄九郎の像をうつくしく飾ってくれたのであろう」
「なんの」
日護上人は手をふった。
「天下でもとの法蓮房、いまの松波庄九郎を理解することわしの右に出る者はない。言葉を飾らずとも伝えられるわ。それで、兄に会うてくれるか」
「拝謁《はいえつ》するとも」
「きょうは、めずらしい異人がくる」
と加納の城館の奥で、長井利隆が侍臣にいったのは、その翌朝である。
この長井家というのは、美濃の守護大名の土岐家の直臣《じきしん》ではない。土岐家の家老斎藤氏の家老である。
しかし、諸制度がゆるみ、実力本位の下剋《げこく》上《じょう》の世の中だから、実力者の長井家が、滅んだも同然の斎藤家をとびこえて、直接、土岐家の世話をやいていた。
このあたり、別に武力沙汰《ざた》、権力沙汰でこうなっているのではなく、斎藤・長井両氏は姓こそちがえ、一族だったし、主家の土岐家とも百年余にわたって血の交流があるから、いわば親類同士のうちわ《・・・》のことだ。
実力、才智のあるおじさんが、つい同族の宗家の世話を焼かざるをえないのと似ており、後世考えるような越権沙汰ではない。
ところが、美濃土岐家というのは、当主政《まさ》頼《より》のときに、血の出るような相続あらそいがあったのである。
これで土岐家にひび《・・》が入った。この割れ目に、やがて庄九郎が入りこむ。こういう割れ目がなければ、天涯《てんがい》の孤客の庄九郎などが、とうてい入りこめるすきがない。
土岐家の先代は、政房。この先代の相続のときも、「船田合戦」とよばれる合戦までおこなわれてお家騒動があったのだが、こういう騒動は、くせになるらしい。
政房に八男一女あり、
長男を、
政頼。
次男を、
頼芸《よりよし》、
という。父政房は次男頼芸を愛してこれに家督をゆずろうとしたため争乱が生じ、国中が真二つに割れてあらそい、実力者長井一族も、ふたつにわかれて戦った。
本来、ここに英雄が出てくれば土岐の美濃はこのときほろぶわけだが、日護上人のいう「国中に人物がいない」ことが幸いし、京の足利将軍の仲裁で、長男政頼に相続がきまった。
この騒動のとき、長井利隆は、次男の頼芸を押したてた。しかし破れた。もっとも先刻のべたように、いわば美濃の同族あらそいだから騒動がすんでしまえば復讐《ふくしゅう》ということもない。
しかしながら政争に負けた長井利隆は、所領、城地こそそのままとはいえ、この加納の城で、鬱々《うつうつ》とくらしているのである。
「たれぞ、人はないものか」
と、つねづね実弟の日護上人と話しあっていた。
「頼芸様に推挙できる人物がほしい」
というのである。
長井利隆が推したてた次男頼芸は、相続あらそいにやぶれたあと、鷺山《さぎやま》に華麗な城館をつくり、そこで歌舞音曲にあけくれている。
長井利隆は、この鷺山の土岐頼芸があわれでならない。
「分家」をするとき、所領ももらったが、しっかりした後見人が必要なのである。この時代の地方貴族は、十数代にわたる無為の生活の結果、血の濃度がうすれたというか、後見人なくしては世が立たぬような生きものになっていた。
そこへ庄九郎の話をきいた。
「それは耳よりな」
と、利隆はおもった。「殿に推挙しよう」と弟を通じて伝言せしめた殿《・》というのは、おなじ土岐氏でも分家の「鷺山殿」のほうである。
 ほどなく、庄九郎は、日護上人ともども、加納にやってきた。
むろん庄九郎は、何度も検分してこの町はよく知っている。
城といっても平城《ひらじょう》で、荒田川という小《こ》溝《みぞ》のような細流を外ボリにし、東西四丁、南北五丁ほどの小さな外郭で、石垣は築かず、土をかきあげて土居《どい》にしてある。
「南陽房」
と、庄九郎は上人を旧称でよんだ。
「おぬしの生まれた城だな」
「いや、はずかしい。城とはいえ、あの土居も洪水《こうずい》をふせげる程度のもので、大戦さには役立つまい。しかし美濃はみなこういう小城でな」
「なぜ稲葉山を本城とせぬ」
「稲葉山?」
日護上人はおどろいた。
「あれはけわしすぎる」
大手門を入った。
すぐ侍に案内され、奥へ通された。質素な書院だが、庭がうつくしい。
一里むこうに、稲葉山がみえる。庭はそれを借景《しゃっけい》して造られている。
(稲葉山が、庭の借景にしかならぬとは、さてさて、おだやかな国ぶりだ)
国ぶりがおだやかというより、庄九郎が物騒すぎるのであろう。
やがて、長井利隆があらわれた。
(ほう)
公卿《くげ》顔《がお》である。色白、瓜実顔《うりざねがお》であたまが小さく、眼がひとえ《・・・》であった。
よく考えてみると、一代前、京から一条関白兼良《かねよし》をはじめ二十数人の公卿、諸大《しょだい》夫《ぶ》が家族をつれてこの美濃土岐氏へ身を寄せた。そのときかれらは多くの子を生み、この利隆・日護上人の母も、その一条関白兼良の娘であると庄九郎はきいている。
「松波庄九郎でござりまする」
と、ひたい《・・・》を手の甲につけた。
ひとわたりのあいさつがあってから、長井利隆は、
「ここでは格式ばって物語をしにくい。いま茶亭に釜《かま》をかけておりますから、庄九郎殿、それへ参りましょう」
といった。
この時代、貴族が茶室を好んだのは、正式の座では、室町《むろまち》の武家礼法がじゃまをして機微のはなしができにくいからである。茶室に入れば、階級もそれにともなう作法も無用とされ、天地ただ主客があるだけというふしぎな場がうまれる。
庄九郎のこの時代、茶道が社交の場として流行したのは、室町幕府がつくった小うるさい小笠原礼法の反動のようなものだ。
庄九郎と長井利隆は、炉をはさんで主客の座についた。
利隆、点《て》前《まえ》はみごとなものだ。
それに応ずる庄九郎の所作も、利隆、日護上人がおもわず惚《ほ》れぼれと見たほどにみごとである。
「さすがは京のおひとでござるな」
利隆には、文化へのあこがれがつよい。
(これは御《ぎょ》しやすい)
庄九郎は、京文化の油壺《あぶらつぼ》からぬけだしてきたような男だ。
おそらく、学芸を論じ、諸芸を演じさせて、庄九郎ほどの「教養人」は、当代、天下にはいないのであるまいか。
話題が、ついそういうところへ行った。
「舞をやられるそうでござるな」
「曲舞《くせまい》、乱《らん》舞《ぶ》などは、少々」
「かと思うと、山歩きもなさるらしい」
「…………」
稲葉山踏査をいっているのであろう。これは食えぬ男だ、と庄九郎はおもった。
「数日、おとまりくだされ」
と、長井利隆はいった。ゆるゆると庄九郎の人物をみたいと思ったのである。
庄九郎も、緊張している。初対面でながながと居すわってはかえって倦《あ》かれると思い、
「いや、後日参ります」
と、喫茶一刻《いっとき》ほどして、あっさり加納城をあとにして常在寺にもどった。
(あとはしばらく反応をまつ)
庄九郎のおもうところ、利隆が、数日してまた招けばよし、招かねば、初対面の庄九郎について印象が、さほど鮮かでなかったことになろう。
(はて、人の世は舞の手の間《ま》のようなものじゃ。この待っている一呼吸の間で、吉《きっ》左右《そう》がわかれてゆく)
悠々《ゆうゆう》と、常在寺で待っている。
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