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国盗り物語48

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:馬《ば》鞭《べん》をあげて 歴史が、英傑を要求するときがある、ときに。時に、でしかない。なぜならば、英雄豪傑といった変格
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馬《ば》鞭《べん》をあげて

 歴史が、英傑を要求するときがある、ときに。——
時に、でしかない。なぜならば、英雄豪傑といった変格人は、安定した社会が必要としないからだ。むしろ、安定した秩序のなかでは百世にひとりという異常児は毒物でしかない。
が、秩序はつねに古びる。
秩序がふるび、ほころびて旧来の支配組織が担当能力をうしなったとき、その毒物が救世の薬物として翹望《ぎょうぼう》される。
庄九郎は、その毒物として美濃十数郡に頭角をあらわしつつある。ときに美濃は長良川の連年の氾濫《はんらん》と冷害、虫害などのために不作がつづき、端境《はざかい》期《き》などには地侍でさえ食うにこまるほどであった。それに隣国の尾張、近江の兵がたえず国境地方を侵《おか》し、農村を掠《かす》めては取り入れまえの作物を刈りとって自領へもって行ってしまう。
「おれが美濃を救《たす》けてやる」
と庄九郎はつねにいっている。その声は、農村に浸《し》みこみつつある。
農村、とくに庄九郎の知行地ではかれを尊崇すること神を見るようで、たれも、
斎藤様
とはよばない。かれが一時、頭をまるめたときに使った名をこのみ、
「道三《どうさん》様」
とよんでいる。なにやらそのほうが、救世主にふさわしい、ややなぞめいた響きをもっているからであろう。
庄九郎が農民にありがたがられるのもむりはない。例の長良川の大決潰《だいけっかい》のときも庄九郎は自分の知行地のうち、被害農村五カ村をかぎって年《ねん》貢《ぐ》をひと粒もとらなかった。
百姓たちは、蘇《そ》生《せい》のおもいがした。このうわさは、美濃一国の百姓にひろまり、他の地侍の支配百姓たちも、
「道三様のもとで犂鍬《すきくわ》をもちたい」
とささやきあった。
長良川決潰の翌年は冷害がおこったため庄九郎はこの年にかぎり、五公五民の年貢の率をわずか二公八民にまでひきさげた。
収穫高のうち、二割だけを庄九郎がとるのである。これでは城《しろ》普《ぶ》請《しん》もできぬばかりか、軍役《ぐんえき》もできなかった。郎党に食わせることもできず、武器をそろえることもできず、「公」である庄九郎のほうが干あがるような安い年貢だった。
「そのかわり」
と、そのとき庄九郎は農民に条件を出している。
「油は、京の山崎屋のものを買え」
と、庄九郎はぬけめがない。
それだけではない。軍役の人数の不足分をおぎなうために、無《む》足人《そくにん》というものをつくった。足が無い、つまり扶持《・・》がない。只働《ただばたら》きの兵である。
平素は農村で働いていて、城で陣貝が鳴れば犂鍬をすてて馳《は》せ参じ、足軽として働くのである。
「道三様のためなら」
というので、知行地の村々の若者はあらそって志願した。
庄九郎が、揖斐《いび》五郎、鷲《わし》巣《ず》六郎らの軍を包囲したについては、こういう出身の兵をふんだんに用いている。
さて。——
庄九郎は、五郎、六郎の軍を包囲し、その包囲陣を完成したのは、暁《あ》け方であった。
庄九郎は陣所々々を馬で駈けまわって激励し、またみずから敵前まで接近して敵情を偵《てい》察《さつ》しながら、
(殲滅《せんめつ》するか、どうか)
を決めかねていた。
このさい、戦場で根こそぎに討ちほろぼしてしまおうというのも、一策であった。
なぜならば、敵は美濃における旧支配階級を代表する頑《がん》固《こ》な連中で、かれらは打倒庄九郎の旗のもとに連合軍を組んでいる。このさいかれらの命を断ってしまえばあとの仕事がやりやすい。
反庄九郎派は、単に他国者の庄九郎がいくつかの非常手段をもって異数の立身を遂げつつあることをそねんだり憎んだりしているだけでない。
庄九郎が、美濃の旧秩序をこわす者であるということに、堪えられなかった。
まず、人材の登用である。庄九郎は門閥を考えず、百姓のなかからも有能な男をみつけるとまたたくまに士分にした。
旧勢力からいわせれば、これほど秩序破壊の行為はない。美濃および日本の中世的社会は血こそ尊いものである。支配階級の血をひいた者が支配階級になる。それでこそ秩序は維持できるのだ。
が、庄九郎は、守護職土岐頼芸の直轄領と小守護である自分の知行地にかぎってはこれを撤廃してしまったため、美濃の他領に対する影響が深刻なものとなった。
他領の百姓が動揺したのだ。
——道三様の御領内では能あれば作男《あらしこ》でも取りたてられて知行取りになる。
ということで、庄九郎の領内の者をうらやむようになり、おのれが地頭を憎んだ。
庄九郎の秩序破壊はそれだけではない。
かれはまだ断行はしていないが、かれの領内にだけ、
「楽市」
「楽座」
という自由市場をひらく準備をしているらしい。
当時は、天下のどこへ行っても、商業はいっさい許可営業制であった。専売制といってもさしつかえはない。
たとえば庄九郎の京における家業の油は大山崎八幡宮《はちまんぐう》が許可権をもっていた。漆《うるし》や蝋《ろう》は、石《いわ》清水《しみず》八幡宮である。綿は、京の三条、七条に綿座をもつ者が専売制を布《し》き、帯も京の帯《おび》問丸《といまる》と称せられる専売組合がもち、菅笠《すげがさ》は摂津の四天王寺がもっている、というぐあいで、もし勝手に販売する者があれば、その許可権(専売権)をもつ社寺その他がみずから人数を出して打ちこわしの制裁をくわえるか、将軍、地方の守護にたのんでその商品をうばい、ときには売人を殺した。
(これほど不合理なものはない)
と庄九郎は、油商人であったときからしみじみ感じていた。売上げの何割かを無条件で大山崎八幡宮におさめねばならないし、それに八幡宮から販売区域をきびしく制限されていてそれ以外では売ることができなかった。
「せめてわしが領内だけでも楽市楽座にしたい」
とかねがねいっていた。
打撃をうけるのは、諸物品の許可もとの社寺などである。
こうした旧秩序の商業機構の支配者たちはそのうわさをきいて驚き、美濃の旧勢力に頼みこみ、かれらを決起させ、打倒庄九郎の軍事行動をおこしたのが、こんどの合戦であるといえる。
かれら商業支配者たちは、主に京、摂津、奈良の社寺で、諸国の守護、豪族に対し、微妙な勢力をもっていた。
こんどの揖斐五郎、鷲巣六郎らが越前、近江といった「外国勢力」を頼んだのも、これら社寺からの側面的な働きかけもあったであろう。
要するに庄九郎の真の敵は、美濃国内の反対派地侍ではなく、すでに亡霊化しつつある中世的権威というものであった。
午後になった。
庄九郎は、合図の陣貝を吹かせ、徐々に包囲の輪をちぢめて行った。
かれの旗、旒《ふきながし》が、つよい西風にひるがえっている。
旗は、二頭波頭が黒々と染めだされていた。
寄せるときは怒《ど》濤《とう》のごとく、退《ひ》くときには声もなく、という庄九郎の戦術思想を象徴したものであった。

反庄九郎連合軍の大将揖斐五郎は、ほそい眉《まゆ》をもっている。
男には惜しいような眉であった。眼の上に朧《おぼ》ろに彎曲《わんきょく》し、かたちのいい額をかざっている。
「この眉を落したいものだ」
と、うかつに口をすべらせたことがある。
眉を落し、歯をおはぐろ《・・・・》で染め、唇《くちびる》に薄べにをさし、顔に白粉《おしろい》を刷《は》けば、それで美濃の守護職の顔ができるのである。たいていの国の守護職は、京の公卿《くげ》をまねて顔に粉黛《ふんたい》をほどこしていた。だから、「眉を落したい」という発言は重大な意味をもっていた。実兄である守護職土岐頼芸を追いおとして自分がその位置につくということである。
こんどの挙兵も、その含みがある。まず庄九郎を斃《たお》し、しかるのちに頼芸を追う。
弟の鷲巣六郎が、それをたすけている。六郎はみるからに狡猾《こうかつ》そうな容貌《ようぼう》をもった小男で、小才がきく。
——六郎、小智なり、雑兵《ぞうひょう》によし。
とかねて庄九郎があざけっていた男だ。雑兵の才覚しかない男が、名門にうまれたからといって一軍の大将になっているのが、庄九郎には腹だたしくてならない。
「弟」
と、揖斐五郎は度をうしなっていた。
「野も山も敵で満ちみちている。もはや戦さをしても詮《せん》あるまい。夜まで持ちこたえてこの場を落ちよう」
「馬鹿《ばか》な」
弟は、東を遠望した。そこに二頭波頭の油屋の旗がひるがえっている。
視線をあわただしく移して、すぐ目の前の城館を見た。
柵《さく》のむこうに申しわけ程度の堀があり、土塁が堆《うずたか》くあがり、その上に木の楯《たて》を立てならべ、古材をつかった櫓《やぐら》を組みあげてある。ひとひねりではないか。
「この城を押しつぶして城内にいるあの男の妻子をうばいとり、それを人質にし、その上で策を考えればよい」
「御曹《おんぞう》司《し》」
と、かれらと連合している斎藤彦九郎宗雄はいった。年も四十ちかく、五郎や六郎よりも老巧である。
「われらはかような小城がめあてではござらん。めざす敵は、あの旗の下にいる。越前、近江兵をこの場所に集結し、一丸となってあたれば敗けることはござらぬ。敵をひかえて無用の躊躇《ためらい》は士気をくさらすばかりでござるぞ。それに」
と言葉をついだ。
「敵は多勢とはいえ、ほとんどがあの者の知行地の百姓に長《なが》柄《え》槍《やり》をもたせただけの人数でござる。そこへゆけば御味方は打物とっては手だれぞろい、弓矢とっては精兵《せいびょう》ぞろいでござる、越前、近江の人数もいる。さあ、下知をしなされ、下知を」
されば、と五郎、六郎は陣容を決戦にむかって部署すべく、貝を吹き、鼓を鳴らし、あちこちに伝令将校《つかいばん》を走らせていそがしく掻《か》き働きはじめた。
一方、庄九郎。
馬を陣頭に立て、一軍を鎮《しず》まらせている。
(敵が動いている)
人数を一カ所に集めるつもりらしい、と見てとって、かれも下知した。
すでに敵がこう出ると見込んでいて、それぞれの物頭(隊長)に進退の合図を憶《おぼ》えさせてある。庄九郎は、烽火《のろし》をあげさせた。
すうっと一すじの黒い煙が、天にのぼった。
とみるま、庄九郎の作った包囲陣は泡《あわ》のように溶け、またたくまに遠近の諸隊があつまってきて、一団となった。
すべて、無言、無声であった。合戦の常例である貝、太鼓、鉦《かね》はこのばあい、いっさい使わせなかった。
無言の進退のほうが、敵の恐怖心理に対する効果が大きいことを庄九郎は知っている。
庄九郎の兵は、手はずどおりに動いた。それぞれが機敏に所定の部署についた。
たちまち陣ができた。鶴翼《かくよく》、という陣形である。鶴《つる》がつばさをひろげたようなかっこうになった。
かれの軍団の特色は、第一に足軽の数が多いことである。中世的な騎兵中心の戦法をかれは一擲《いってき》し、歩兵(足軽)中心とし、歩兵が騎兵の蹂躙《じゅうりん》を受けぬように槍《やり》を常識はずれの長さにし、それぞれ三間《さんげん》柄《え》をもたせた。
そのほかに、
「馬《うま》斬《き》り」
という特殊な隊を置いた。敵の騎馬武者が突っこんでくるとき、二十五人一組でいなご《・・・》のように飛びだしてゆく。手に手に六尺棒に三尺の刀をつけ、それをもって敵の馬の足を薙《な》ぎたてるのである。
「とき《・・》をあげよ」
と、庄九郎は下知した。
その合図の貝が鳴るや、美濃平野の天を突きぬけるばかりのとき《・・》の声がどよめいた。
どよめきがおわらぬうちに、
「鼓を打て」
と命ずると、太鼓が一音、地をふるわして鳴り、つづいて鼕鼕《とうとう》とひびき、諸隊、鶴翼の陣形のまま平《ひら》押《お》しに押しはじめた。
庄九郎は、中軍にある。
やがて、田を越え、松林をすぎ、一望茅《かや》の生《お》いしげった野に出た。
敵との距離は、すでに四、五十間しかない。
庄九郎は金の采配《さいはい》を振って、戦鼓を急調子に変えさせた。
一軍の足並は早くなった。さらに鼓は急調子へ。みないっせいに駈けだした。
先頭で弓組が五隊同時に草に折り敷き、矢を射はじめた。
敵の前列をくずすためであった。敵からもおびただしく矢が飛んできた。
戦鼓はますます急調子になった。
同時に庄九郎の陣から、三十騎、五十騎と騎馬武者がとび出した。それにつれて、長柄組などの足軽部隊がどっと突撃した。
敵からも、百騎、二百騎とすさまじい勢いで乗り入れてくる。
衝突した。
混戦になった。
庄九郎は、さらに騎馬隊を繰り出し、長槍隊を突撃させ、弓隊を動かして敵の側面を射させ、自在に指揮をした。
が、敵は天下に聞こえた美濃衆で、味方もまた美濃衆とはいえ、未熟な百姓が多い。
敵の一団は、十三段にかまえた庄九郎の陣を七段までやぶって突撃してきた。
「馬斬り。——」
と、命じた。
馬斬り隊がおびただしく飛びだしてきて、馬《ば》蹄《てい》の下をかいくぐりかいくぐりして、馬の脚をはらった。
落馬する敵武者をすかさず別隊が押しつつんで討ちとってしまう。
そのとき、庄九郎は、貝を三声、天にむかって吹かせた。
その合図は、敵の背後の別府城にとどき、赤兵衛の指揮のもとに城兵が柵をひらき、どっと打って出た。
敵は、背後を衝《つ》かれた。
「それ、敵は崩れるぞ。進めや」
と庄九郎はみずから槍をとり、馬を煽《あお》って中軍から前軍へ出た。
さらに敵中へ突き入った。
敵はどっと崩れた。
崩れれば、「外国兵」が入っているだけに早い。越前、近江兵は無用の戦場に命をおとすことをおそれ、北国街道にむかって逃げだした。
「追うな、逃げるにまかせよ」
といいつつ、戦場に踏みとどまった美濃兵の一団を火の出るように攻めたてた。
(美濃一国におれの怖《おそ》ろしさを知らしめるのだ)
それにはこの戦場ほど、かっこうな宣伝の機会はない。
敵の美濃衆はよく戦った。
が、なんといってもかれらも地侍の連合体にすぎず、勝負さだかならぬ切所《せっしょ》までは阿《あ》修《しゅ》羅《ら》のように荒れまわって働くが、いったん、
(敗け。——)
とわかればいちはやく在所々々の領地に逃げかえるのを習慣としていた。
敵は、一団、一団と逃げ落ち、やがて戦場を駈けまわっている数がまばらになった。
庄九郎は、いまだ、とおもったのだろう。馬腹を蹴《け》るや、ただ一騎、敵の本営にむかって駈けだした。
むかい打ってくる敵武者には、目もくれない。
駈けた。
小沼を越え、草をかすめ、まっしぐらに駈けてついに旗の群れが林立している敵本陣に駈け入るや、床几《しょうぎ》を立とうとした揖斐五郎にむかって突撃し、
「小僧、ようは推参せしぞ」
と、長鞭《ながむち》をふりあげ、
びしっ、
とその化粧《けわい》首《くび》を力まかせに打った。
わっと倒れるのを見すて、さらに手綱をしぼってトウトウと馬を後退させ、ふりむきざま、背後の鷲巣六郎の顔を、
びゅっ、
と鞭さきで切り裂いた。ぱっと鼻血がとび、その血におどろいて六郎は四つん這《ば》いになった。
旗本衆がおどろきさわぎ、槍をとりなおして庄九郎にむかおうとしたときは、庄九郎はすでに柵をとびこえ、
「お命は助けまいらせる。敵国たるべき越前、近江に通じ、その兵を国中にまねき入れたる罪は大なれども、御屋形様の御舎弟なるがゆえに、御首にはせぬ。さはさりながら」
と庄九郎は柵外で戞々《かつかつ》と輪乗りをしつつ、
「武士のおつもりならば、いますこし武《ぶ》辺《へん》を習わせられ候《そうら》え」
云《い》いおわると身を伏せ、一散に駈け去ってしまった。
庄九郎は、美濃守護職の二人の弟君を攻め殺すのは、国中の感情的世論を考えたうえでおもしろくないとおもったのであろう。
だからこそ、命がけで敵陣に突き入り、その生き首をはずかしめた。
このため、揖斐五郎、鷲巣六郎は、のちのち、
——あれほどの目にあっておめおめ生きてござるとは武士の風上にもおけぬ。
とあって、美濃一国での人気が、火の消えたように堕《お》ちてしまっている。
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