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国盗り物語116

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:梅一枝(よし。信長を斃《たお》してやる)と、将軍義昭が本格的に覚悟をきめたのはその直後である。余談ながらこの年、つまり永
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梅一枝

(よし。信長を斃《たお》してやる)
と、将軍義昭が本格的に覚悟をきめたのはその直後である。
余談ながらこの年、つまり永禄十三年は改元されて「元《げん》亀《き》元年」となった。元亀さらに天正とつづくこの歴史的季節は、戦国統一をめざす諸豪たちのすさまじい格闘期にとなる。元亀元年はその突入の年といっていい。
「信長を斃す」
と決意した義昭将軍こそ、諸豪の格闘に火をつけたひとであった。
義昭は諸国に密使を走らせて、
「反織田同盟」
ともいうべき巨大な全国組織をまたたくまにつくりあげた。
越後・上杉謙信
越前・朝倉義景《よしかげ》
甲斐《かい》・武田信玄
安芸《あき》・毛利元就《もとなり》
摂津・本願寺
近江《おうみ》・叡山《えいざん》
これらが、その同盟員であった。むろん同盟は、信長に対してはあくまでも秘密裏におこなわれている。
その同盟員のうち、地理的にも京に進出しやすい軍事勢力である越前の朝倉義景を、将軍義昭はとくに期待し、しきりと密使を送った。
(越前こそは立ちあがってくれる)
というのが、義昭の期待であった。事実、越前一乗谷に首都を置く朝倉氏は、信長のやり方を激怒し、
「いつかは報復を」
と、その機会をうかがっていた。朝倉家にすればむりもなかった。先年、自分の家を頼ってきた義昭を信長はたくみにさらって京につれてゆき、将軍の位につけてしまった。
「騙《たばか》られた」
という怒りがある。
その上、信長はその義昭将軍に幕府をひらかせず、まるで操り人形のようにあつかい、義昭を利用しておのれの野心をたくましゅうしている……という義憤もある。
……………………
 それらの雲行きを敏感に察しつづけているのは、当の信長であった。
が、信長はいそがしい。かれ自身が、いちいち義昭の暗躍を監視しているわけにはいかない。
この正月も、京にわずかの期間滞留しただけで根拠地の岐阜へひきあげてしまった。そのひきあげるときも、光秀ら在京官をあつめ、
「将軍は、放馬《はなちうま》をなさるらしい」
と、いった。放馬とは、馬が手綱をはなれて勝手にうろうろすることだ。
「手綱を、よくひきしめよ」
信長は厳命した。
光秀にすれば、自分が織田家に連れてきた将軍だけに、信長から皮肉をいわれているような気もし、この点がひどくつらかった。そのつらい分だけ、他人よりも懸命に信長のためにはたらいた。
が、信長のために尽しすぎるとなると、義昭にわるい。
げんに義昭は、
「光秀、そちはどちらに心があるか」
と、信長が岐阜に帰った留守中、光秀を責めぬいている。
「御双方の御為よろしかれ、とのみ祈り奉るのがこの光秀の立場でござりまする」
「御双方?」
義昭は、その言葉にひっかかった。双方といえば、将軍である自分と、ただの弾正忠にすぎぬ信長と同格あつかいではないか。
謹直な光秀は自分の失言におどろき、それを詫《わ》びた。
数日して義昭の機《き》嫌《げん》がなおり、
「光秀、よいものを呉れてやろう」
と、朱印状を一枚くれた。みると、山城《やましろ》(京都市とその郊外)の下《しも》久《く》世荘《ぜのしょう》を呉れてやるという書きつけである。
「信長に無断で、わしから加護をうけた、となればかれは怒るであろう。いやいや気づかいするな、信長にはわしからよく話しておいてやる」
と、義昭は光秀の立場を理解して親切にいってくれた。
「お心づかい、ありがたき仕合せに存じまする」
「そのかわり、わしの恩を忘れるなよ。そちはもともと足利家の家来でもあり織田家の家来でもある。さればわしの利を先にし、織田家の利をあとにせよ。そのつもりで奉公せよ。わかったか」
義昭も、光秀の存在が無視できない。場合によってはこの光秀を抱きこんで信長に反旗をひるがえす、という手もありうる。だからこそ、所領をふやしてくれたのである。
が、光秀は退出したあと、自分の屋敷にそなえている山城国の土地台帳をみると、下久世荘は足利将軍家の土地ではない。
(おやおや)
とおもった。他人の土地である。
下久世荘の領主は、京都における最大の真言密教の大寺である東《とう》寺《じ》(教王護国寺)であった。
念のために家来を現地と東寺にやってしらべさせると、このことは間違いなかった。
(あの義昭《くぼう》様らしい。……)
腹も立たなかった。義昭は光秀をだましたのではなく、性格が粗《そ》忽《こつ》なのであろう。
(これで忠義をせよ、とは恩着せがましい)
言葉に綴《つづ》ってはっきりとそう思ったわけではないが、光秀はそういう義昭のかるがるしさに、次第に愛想がつきてゆく気持をなんともすることができない。
このとし二月のはじめ、岐阜の信長はまたまた琵琶湖《びわこ》東畔の道をとおって京にのぼってきた。
信長は大津の宿場をすぎるとき、
「京での宿は、明智屋敷にするぞ」
と、にわかにそばの福富平左衛門にいった。福富はおどろいた。家来の屋敷にとまるなどは、異例のことであった。
「十兵衛の屋敷でござりまするな」
「二度言わすな」
信長は、家来に、命令の念を押されるのがなによりもいやな男であった。言葉をかえていえば、念を押してやっと命令を理解するような、いわば鈍感な家来にいらいらするたちである。
この命令はすぐ具体化され、先触れの者が数騎、京へ走った。
(めずらしいこともおわすものよ)
と、軍中、小首をかしげていたのは、木下藤吉郎秀吉である。藤吉郎は梅を一枝、沿道の農家で折り、それを口にくわえつつ馬を打たせていた。
(殿には、七不思議がある)
そのひとつは、信長は京に屋敷をもとうとしないことであった。将軍館《やかた》をつくり、御所を造営しても、この男は自分の京都屋敷をもとうとしなかった。
(御志が大きい証拠だ)
藤吉郎はそう理解している。ひとつには京都屋敷をつくれば諸国の豪雄たちが、
——さてこそ信長め、化けの皮をぬいだか。京に永住して、政権をとる気か。
と見、大いに騒ぐであろう。かれらに無用の敵意をあたえるのは外交上のぞましくない。
いまひとつの理由は、京都屋敷をつくれば当然、将軍館よりも小さく造らねばならぬ。となれば京童《きょうわらべ》の印象が、
——やはり将軍様はえらいものよ。
ということになるであろう。将軍の権威を自分以上に大きくすることは、社会心理を操作するうえで好もしいことではない。
いま一つの理由は、経済問題である。京に無用の屋敷をつくる費用があれば、それを軍事費として投入すべきであった。
(いずれ天下をおとりなされば、京の城館などはたちどころにできる。それまで無用の綺《き》羅《ら》を飾ろうとはなさらぬようだ)
それにしても、こうたびたび上洛するのに、いつも宿住いというのは、よほど強靱《きょうじん》な意志がなければそうなりがたい。
(殿様は、さすがに)
藤吉郎は、そう思うのである。
信長の常宿は、京における日蓮宗本山である妙覚寺であった。のち、本能寺を増築させてそこを常宿にすることになる。信長は終生、京にわが屋敷をもたなかった。
妙覚寺本山を常宿にしたのは、この寺が京の中心部近くにある便利さと、それと、舅《しゅうと》 斎藤道三が少青年期をここで送ったというゆ《・》かり《・・》に懐《なつか》しさを覚えたためであろう。
当初、信長は、
「この寺に、法蓮房《ほうれんぼう》という智弁第一の学生《がくしょう》がいた。それが寺をとびだして油屋になり、さらに美濃へくだって、国を奪ったのが、わが舅斎藤山城入道道三だ」
と、妙覚寺の庭の暮色のなかを散策しつつ左右にいったことがある。そういう類《たぐ》いの追憶ばなしのきらいな信長にしては、めずらしい述懐だった。
が、こんどは妙覚寺を用いない。
光秀の屋敷だという。
(あの若禿《わかはげ》の運のよきことよ)
と、藤吉郎は光秀の幸運を、なんとなくうらやましいような思いもした。
光秀はちかごろ、信長のゆるしをえて、もと三《み》好長慶《よしながよし》の別邸だったという宏壮《こうそう》な屋敷を修復し、そこを表向きの役所兼私邸にしていた。屋敷は、前時代の京都の支配者がもっていたものだけに塀《へい》も堀も堂々たるもので、それに屋敷うちの茶亭《ちゃてい》や茶庭も数寄《すき》がこらされている。
(茶好きの殿は、そこに目をつけられたのであろう)
藤吉郎は、そう思った。

「わが屋敷に、殿が。——」
使者の急報をきいて光秀はおどろいた。
「して、殿はいまどのあたりを」
「すでに大津をお過ぎあそばされておりまするゆえ、おっつけ御着《ごちゃく》遊ばしましょう」
(これはいかん)
光秀は使者を帰したあと、家来を手配し、機敏に信長を迎える支度をととのえた。
(茶の支度もしようか)
と思ったが、それは越階《おっかい》沙汰《ざた》になるだろうと思いなおしてやめた。信長は、家来に茶道をすることをゆるしていないのである。
(支度は、武骨で簡素なほうがいい)
そう思い、その方針に統一した。屋敷うちの自分の家来をことごとく邸外に出し、光秀みずからも屋敷を去り、門前に屯《たむ》ろした。
(なににしても)
と、信長の来着を待ちながら、心中、浮き立つ気持をおさえきれない。
(おれの屋敷を宿にする、とおおせだされる以上は、よほどおれという者を)
……信長は気に入っているのであろう。危険な者か、もしくはきらいな者の屋敷に泊まるはずがない。
(そうではあるまいか)
やがて信長の行列が来着し、信長は門前で馬をおりた。
光秀は、弥平次ら重臣とともに土下座して平伏している。
「十兵衛、案内せよ」
信長は、叫んだ。
光秀は立ちあがり、先導して門内に入った。その間、信長は上機嫌であった。
信長の上機嫌は夜半におよんでもかわらない。光秀を召し、京の情勢、義昭の近状を報告させた。
「かの人の淫奔《いたずら》はまだやまぬか」
と、光秀にきいた。義昭の例の陰謀癖のことである。
「ちかごろは、だいぶ」
光秀はいった。おとなしくなった、という旨《むね》のことを、小さな具体例をあげていった。
「そちは、甘い」
信長は、なおも上機嫌でいった。
「そちが将軍家の給人《きゅうにん》でもある、という立場上やむをえぬことかもしれぬが、どうやらそちの見方は甘いようだ」
「おそれ入りまする」
「証拠がある」
と、信長はいった。義昭が、越前の朝倉家に出した密使を、信長の部将が、南近江でひとり、北近江で一人、見つけだして斬り、その密書を手に入れているのである。
「しかも最近のことだ」
(朝倉への密使が?)
光秀にとって、意外ではなかった。義昭がちかごろいよいよ朝倉と深くむすんでいるらしい、ということは光秀の嗅覚《きゅうかく》にも匂《にお》いはじめている。しかし、その程度のあいまいな印象を信長に告げ口することは、義昭のためにはばかられた。
「癖のわるい公方じゃ」
信長はそう言い、べつに光秀の在京官としての手落ちを責めはしなかった。
光秀は、吻《ほ》っとした。ふだんの信長なら、この種の鈍感さを、
「怠慢」
としてどれほど責め、どれほど怒るかわからない。こんどという今度にかぎって、ばかにおだやかなのである。
入洛《じゅらく》した翌日、信長は将軍館へ伺《し》候《こう》し、義昭の機嫌を奉伺した。
(気味わるい。……)
と義昭がおもったほど、信長の機嫌がよくて、いつも笑ったことのないこの岐阜の豪雄が終始唇許《くちもと》を綻《ほころ》ばせ、茶道のはなしなど罪のない話題をもち出しては歓談した。
そのまま在京二日で京を去った。
(なにをしにきたのか)
と、京の消息通はみなくびをひねった。むろん義昭にも光秀にもわからなかった。
信長が帰ってから義昭は光秀を召した。この日は茶室に通された。
(折り入ってのお話があるのか)
光秀は、むしろそれを怖れた。陰謀家の義昭と人払いをした茶室で話しあうことは、時が時だけに光秀は他《た》聞《ぶん》を怖れた。
「上様、せめて、茶道の者でもこの中に入れて頂きとうございます」
「なぜだ。わしとそちの間柄《あいだがら》ではないか」
つるりとした円い顔で、義昭はいった。微《わ》笑《ら》うとこの将軍はほとんど五、六歳の幼児のような顔になる。
義昭はみずから亭主になって光秀のために茶を点《た》てた。光秀がそれを拝領して一服喫しおわると、
「かげんはどうだ」
というかわりに義昭は声をひそめ、
「信長はほろぶぞ」
と、小声でいった。
光秀はおどろいた。が、義昭は光秀の心境などには頓着《とんじゃく》なく、
「摂津石山(大阪)では本願寺が立ちあがる。それを中国の毛利があと押しをする。同時に北方から越前兵が攻めくだる」
「上様」
光秀は声を押し殺した。
「さ、左様な火遊びはおやめなされませ」
「火遊びなものか。信長めに、将軍とはいかにおそろしいものかを見せてやる」
「上様」
光秀は右手をついた。が、光秀がいうより早く義昭は、
「そちは、殺すのだ、信長を」
と、自分の言葉の刺《し》戟《げき》性を楽しむような表情でいった。
「そのことを、藤孝(細川)殿にお洩《も》らし遊ばしましたか」
「いや、洩らさぬ。藤孝は幕臣の名家にうまれながら、ちかごろわしを疎《うと》み、信長にしきりと接近しておる。あのような男にあぶなくて洩らせるものではない」
(…………)
光秀は沈黙して義昭を見あげた。義昭の奇妙さは、明智十兵衛光秀という素《す》牢人《ろうにん》あがりの身分の心情をいささかも疑っていないことだった。
(なにしろ、奈良一乗院脱出いらい、このひとを護衛するために自分は命を賭《と》し、文字どおり槍《やり》の雨が降るようななかを掻《か》いくぐってきた)
自然、義昭はおのれの生命をまもってくれた光秀に理屈をこえた信頼の感情をもっているのであろう。
(その御心情をおもえば)
……お愛《いと》しくある、と光秀は一種、父性愛のようなものを義昭に感ずるのである。
「信長を、諸国の英雄豪傑がことごとく立ちあがって討伐する。幸いそちは信長の側近である。機をみて刺せ」
(これを、信長に報じたものかどうか)
光秀は、うなだれながら体が冷えてくるのを覚えた。背、脇《わき》、胸にじとりと汗が流れはじめている。
「光秀、顔が蒼《あお》い」
「さ、左様、茶に中傷《あた》り申したのでありましょう」
光秀は言いおわって、懐紙をとりだした。唇《くちびる》を、ゆっくりとぬぐった。
目の前の床の暗がりに一枝、白梅が活《い》けられている。
花は五輪であった。
(義昭《くぼう》か、信長か。……)
どちらかを裏切ることなしに、光秀は今後を生きつづけることはできないであろう。
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