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千里眼144

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:火種舎利弗浩輔《しやりほつこうすけ》は、三十代後半にして自分が臨床心理士としては落ちこぼれの部類に入ることを自覚していた
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火種

舎利弗浩輔《しやりほつこうすけ》は、三十代後半にして自分が臨床心理士としては落ちこぼれの部類に入ることを自覚していた。
小太りで髭《ひげ》づら、スーツをだらしなく着ていることから、他人もきっと舎利弗をそのように見ているだろう。ただし、最初からこうだったわけではない。資格審査の面接試験を受けにいったころは、もっと痩《や》せていて、髭もきれいに剃《そ》っていて、スーツも卸したてだった。
いつからこうなったのか。たぶん、本郷の臨床心理士会事務局でひとり留守を預かり、電話番に勤《いそ》しむようになってからだろう。そうなったのも理由がある。カウンセラーという職に就きながら、自分が人嫌いだということに気づいた。人見知りする。初対面の人とは、うまく会話できない。だからつきあえない。
それでも孤独を愛する舎利弗にとっては、がらんとした事務局で一日を過ごすことは快適にちがいなかった。好きなDVDも観れるし、読書もできる。
ただし、今夜はそのような恩恵にあずかることはできなかった。夕方以降、続々と客が押し寄せたからだ。
待合室の長椅子は、警視庁から来た私服警官にほぼ占拠されていた。対応に追われる事務員のほか、通常業務のために出入りする臨床心理士も多く、休日を前にした空港のロビーのようだった。
舎利弗もなにか手伝えることはないかとうろつきまわったが、誰からも声がかからなかった。
やはり自分は用なしなのだろう。舎利弗はオフィスに引き籠《こも》ろうとした。
そのとき、背後から男の声が呼びかけた。「舎利弗先生」
振り返ると、舎利弗とは対照的な、臨床心理士の鑑ともいうべき人物が立っていた。
年齢は三十すぎ、細い身体にぴったり合ったスーツを着こなし、ネクタイに歪《ゆが》みひとつなかった。軽くウェーブのかかった長めの髪、ほっそりとした面長の顔には涼しい目、少し丸みを帯びてはいるが高い鼻、りりしい口もと。男性ファッションモデルのような爽《さわ》やかさと、大学教授のごとき知性を兼ね備えてみえるその外見。
「ああ」と舎利弗はいった。「嵯峨《さが》先生。なにか?」
臨床心理士としては後輩にあたる嵯峨|敏也《としや》は、礼儀正しく会釈をした。「岬美由紀さんのことを聞いたので、事務局に戻ってきたんです。ずいぶん賑《にぎ》やかですね」
「そう、いつものことだけどね。美由紀が騒ぎを起こすと、すぐ警察やら官庁から人が押し寄せてくる」
「ええ。知ってる顔も何人かいますよ。ただ、そのう……今回はちょっと事情が違うんでしょう? 容疑者だとか……」
舎利弗はため息とともにうなずいた。「これまでのように捜査に力を貸したというわけではなさそうでね。自衛隊の駐屯地《ちゆうとんち》への不法侵入はいつものことだけど、その後は傍若無人な振る舞いで器物損壊やら拉致《らち》やら、秒刻みで次々と刑法に抵触する行為に及んだらしくてね」
「ぶちきれたわけだ」嵯峨はあっさりといった。「美由紀さんらしいね」
「そんな悠長な。僕も彼女の大胆さや行動力には敬服してたけど、今度ばかりは度が過ぎるよ。行動に正当性がないんだ。防衛省の依頼に協力しておきながら、それをぶち壊して、肝心の図面とやらも持ち去ってしまったんだからね」
「でも、被害女性のためを思っての行為という見方もできますけど」
「畔取直子さんって人の素性だとか、過去についてもまだあきらかじゃないのに、そこまで肩入れする必要があるのかな? たとえそのう、夫を装った防衛省の人間が……ああいうことを強要したっていうだけで……」
「舎利弗先生。そこなんですけど……。美由紀さんが突発的に暴力的な行為に及ぶとき、状況に一定の傾向があるとは思いませんか?」
「傾向? まあ、弱者が権力側に抑圧を受けている場合に、その人を救おうとするのは理解できるけど……」
「もっと細分化された傾向です。たとえば、氏神高校事件での彼女はわりと冷静だった。機動隊に対し自衛隊のアパッチを奪取して威嚇《いかく》射撃したとはいえ、当時は警察組織自体が心神を喪失し行き過ぎた弾圧に及んでいたわけですしね」
「たしかに。精神科医の笹塚による旅客機爆破や、冠摩《カンマ》ウィルスの被害拡大を防いだときにも冷静のきわみだった。でもなんらかのきっかけで、突然のように幹部自衛官だったころの血が騒ぎだして、たびたび暴走が始まっちゃうんだ。まあ、災害の規模が大きくなればなるほど、手段を選んでいられなくなるのはわかるけどね」
「じゃあ、水落香苗《みずおちかなえ》さんの件はどう思いますか?」
「ああ、あのPTSDに苦しんでいると訴えてきた……」
「香苗さんは父親から暴行を受けたと悩んでいた。美由紀さんは真剣に彼女の悩みと向き合おうとしたわけですが、その後防衛省がまとめた報告書を読むと、同じ時期に日本はミサイル攻撃の危機に晒《さら》されていて、しかも美由紀さんはそのことを知っていた」
「そうだな……。ファントム・クォーター事件ではもっと防衛省に協力姿勢をしめさねばならなかったのに、捨て置いて水落香苗のことにばかり執着していた」
「この国が自治機能を失って混乱状態に陥ったら、香苗さんの精神的な疾患を取り除こうと、父親との不和を解消させようと、なんの意味もなくなるわけです。美由紀さんはどうしてそのことを無視したんでしょう」
「さあねえ……。嵯峨先生はどう思ってる?」
「美由紀さんは思いがそこに及ばなかったんじゃないでしょうか。香苗さんの件で頭がいっぱいになって、防衛省からの依頼は疎《おろそ》かになった」
「まさか。彼女はそんな不注意はしでかさないよ」
「そうでもありません。僕が美由紀さんと初めて会ったころのことですが、彼女は須田知美《すだともみ》という少女を一方的にかばい、ためらわず国家を敵にまわす道を選びました。須田知美が、沖縄の在日米軍の兵士らに暴行を受けたと知った瞬間、揺るぎない決意を下したんです」
「男性による女性への性的暴行……それが共通点だと?」
「舎利弗先生はミッドタウンタワー事件については詳しいんでしょう? あのときも似たことがあったはずです」
「たしかに美由紀が国家の重要機密を賭博《とばく》の担保に差しだそうとしたのは、高遠由愛香《たかとおゆめか》さんが中国人たちに暴行されそうになったときだと聞いてるけど……」
「そうですよ」嵯峨はうなずいた。「美由紀さんにとっては、性的暴行はあまりに衝撃的な事態であり、国家の危機にさえ注意を払えなくなる。これは冷静とはいえないでしょう。パニック発作などの不安障害を起こしているようには見えませんが、唐突に理性を失ってモラルやルールを一切無視し、暴走に至る。解離性障害に近い症状にも思えますが……」
「そんな馬鹿な! 美由紀が多重人格障害だとでもいうのかい?」
「そうではありません。解離性同一性障害ではなく、DSMの定義する特定不能の解離性障害というものです。人格が完全に分離しているというわけではなく、第二の人格が支配的になることもないんですが、現実感を喪失し、解離性トランス状態に陥る。理性を欠き、放浪や、自制を欠如した行為に及ぶ」
「次は反社会性人格障害につながるとでも?」
「良心が欠如することはないのですから、反社会性人格障害ではありません。でも彼女は、解離状態に陥ると自分にとっての正義を貫くことが最優先となり、社会に混乱をもたらすことに躊躇《ちゆうちよ》しない」
舎利弗はしばし考えた。嵯峨のいっていることは、あるていど筋道が通っているようにも思える。いや、臨床心理士としては妥当な分析だろう。
とはいえ、すべて納得できるわけではない。
「ありえないよ」舎利弗は首を横に振ってみせた。「嵯峨先生は忙しい人だから彼女と会うことも少ないだろうけど、僕はここの留守番をしているからしょっちゅう顔をあわせていてね。彼女の仕事ぶりもよく知ってる。先日も二十代の男女による性的暴行や家庭内暴力について担当していたし、暴行まがいのセクハラ事件に関し裁判所に赴いて被告の精神分析もおこなっている。いずれのケースでも美由紀は落ち着いていたし、加害者に牙《きば》を剥《む》いたりやりこめたりはしなかった」
嵯峨は真顔でいった。「より狭い条件が存在するのかも……。性的暴行だけでなく、それに加えてなんらかの要因がみとめられた場合に、美由紀さんのなかで解離が生じる」
「しかし……そもそも解離性障害の原因になることといえば……」
幼少のころの虐待。それしか考えられないが……。
「嵯峨先生は、美由紀の子供のころについてなにか知ってることは?」
「本人の口からは聞いたことがありません。彼女の略歴は臨床心理士会の資料に書いてあったし、防衛省のほうにも同様の記録が残ってる。父親は会社員で母親は専業主婦、ごくありきたりの家庭に育ったようです。虐待があったという話は耳にしたことがないし、事実、なかったんでしょう。ただ……」
「なんだい?」
「出生地が記録によって異なってるんです。神奈川県藤沢市生まれと、三重県津市生まれというふたつの履歴が存在してる」
「三重県ってのは初耳だな……」
「防衛大と幹部候補生学校、航空自衛隊、日本臨床心理士会と資格認定協会、東京晴海医科大付属病院、東京カウンセリングセンターと、美由紀さんが籍を置いたあらゆる職場や学校の履歴で、その大部分が神奈川になってるけど、稀《まれ》に三重が交じってる」
「戸籍ではどうなってるんだろう?」
「さあ、そこまでは……」
なるほど、腑《ふ》に落ちない話だ。舎利弗はそう思った。
美由紀は過去を語りたがらない。とりわけ子供のころの話となると皆無に等しい。故意に口を閉ざしていたのか。
あるいは、忘れてしまっているのだろうか。抑圧されたトラウマなどというフロイトの論理は、近頃の臨床心理学では眉唾《まゆつば》ものとされている。だが、別の原因の健忘が生じていたとしたら……。
待合室の椅子から立ちあがった男が、こちらに歩いてきた。四十代半ば、鳥の巣のような頭に鋭い目つきをしたスーツ姿の男だった。
「嵯峨」と男はいった。「ちょっといいか」
「どうぞ」嵯峨は舎利弗を指し示した。「ああ、こちらは先輩の舎利弗先生です。美由紀さんに表情筋の読み方を手ほどきした人でもあります」
「ほう」男は舎利弗をじっと見つめてきた。「するとあなたも、他人の感情を読み取ったりするんですか」
「いえ……僕の場合は、あまりそういうことは……。人と話すのは苦手で……」
嵯峨は苦笑しながら舎利弗に告げた。「そんなに硬くならないでください。見た目は怖いけど、蒲生《がもう》警部補はいい人ですよ」
「捜査一課の蒲生|誠《まこと》です、よろしく」そっけなくいって、蒲生は書類を取りだした。「茨城県警に出向してる捜査員から連絡が入った。畔取直子さんはしだいに記憶を取り戻しているようだ。彼女はまるっきりシロで、親の遺産で何不自由ない暮らしをしていたが、ふとしたきっかけであの図面を所持してしまったらしいな」
「どんなきっかけですか」と嵯峨がきいた。
「まだわからん。何者かが彼女をさも怪しい人間に仕立てようとしたことはあきらかだな。というより、彼女のほうも積極的に芝居に協力したふしがある。まだ断片的な記憶でしかないが、五浦海岸での追跡劇はやらせのようだ」
「ますます奇妙ですね」
「まったくだよ。何のためにそんなことをしたんだろうな。まあそれは、直子さんが完治すれば白日のもとに晒されるだろう。問題は美由紀のことなんだが……」
「どこにいるのかわかりましたか?」
蒲生は苦い顔で首を横に振った。「緊急配備網にも引っかからない。並みの女じゃないからな。監視の目をかいくぐるのはお手のものだろう」
「そうすると、いまや美由紀さんは国家のお尋ね者ってことに……」
「ああ。防衛省も絡んでいるから指名手配は免れているが、このままいくとそれも時間の問題かもしれんな」
嵯峨が困惑した目を向けてきた。舎利弗も、黙って見返すしかなかった。
彼女の友人、雪村藍からはしきりに電話が入っている。美由紀のカウンセリングを受けることになっているらしい。美由紀が藍からの頼みに対し、安請け合いするとは考えにくい。美由紀は、逃亡者になるつもりなどなかったのだ。嵯峨の言うとおり、突発的に、後先も考えず行動し、孤立を招いてしまったのだろう。
美由紀の身になにが起きているのだろう。たびたび彼女を暴走させる火種は、心のどこに潜んでいるのだろうか。
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