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千里眼160

时间: 2020-05-27    进入日语论坛
核心提示:相模原団地午後の陽射しは秋めいて、緑地にはトンボが舞っているのがわかる。岬美由紀は警視庁から返却されたばかりのランボルギ
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相模原団地

午後の陽射しは秋めいて、緑地にはトンボが舞っているのがわかる。
岬美由紀は警視庁から返却されたばかりのランボルギーニ・ガヤルドを飛ばして、町田《まちだ》駅から小田急《おだきゆう》線沿いに延びる道路を�ハウス�に向かっていた。
ハウスとは、基地をキャンプと呼ぶのに対する軍居住区の通称だった。三つの基地を持つ相模原市だが、沖縄ほどには米軍色は濃くなく、いたってふつうの街並みがつづいている。厚木基地を離着陸する米軍機の轟音《ごうおん》が聞こえなければ、そのような施設があることさえ忘れてしまうだろう。
それでも小田急相模原駅から相模大野にかけて広がるその地域が見えてくると、日本はなおも米軍の影響下にあるのだという事実が浮き彫りになる。高いフェンスごしに、広大な土地に緑|溢《あふ》れる北米調の優雅な住宅街が見えていた。
東京ドーム十三個ぶんの面積に住宅はたったの五百戸あまり、千四百人が居住する。極めて恵まれた住環境であるに違いない。
とはいえ、それは正規の米軍関係者に限ったことだ。相模原団地というのはそれらの家々の使用人や、敷地内の店舗、教会、映画館、浄水場などで雑用をおおせつかる低賃金の労働者と、その家族が住む建物だ。米軍施設のなかにも格差社会が存在する。
フェンスに沿ってクルマを飛ばしていくと、基地のものと同じゲートが見えてきた。
Sagami Housing Areaとある。ガヤルドをゲート前に停車させると、迷彩服の兵士が近づいてきた。
裁判所を通じて受けとることのできた通行証はふたりぶんだった。精神鑑定中の被告人である以上、身内かそれに類する人物を伴っていくのが望ましいとされたからだった。美由紀には身寄りはいないし嵯峨も同行できないため、人選は困難と思われたが、これはあっさりと雪村藍に落ち着いた。米軍施設なんて面白そうじゃん、と彼女は目を輝かせていた。
藍は会社が終わってからこちらに来る予定だった。美由紀は東名高速が混むかと思って早めに出かけたのだが、案外早く着いてしまった。しばらくはひとりで見学することになりそうだ。
通行証を提示しながら、美由紀は兵士にきいた。「相模原団地はどこですか?」
「ずっと奥へ。あの林を抜けた向こうにあります」
「ありがとう」美由紀は、開いたゲートのなかにクルマを乗りいれた。
広々とした道のアスファルトにはひびひとつなく、芝生の上では白人の子供たちが駆けまわって遊んでいた。ガーデニングをしている金髪の女性もいる。
アメリカでも高級住宅街といえる暮らしだ。ここが日本だということを忘れそうになる。
しばらく進んでいくと、兵士が告げていた雑木林に入った。公園になっていて、道はそのなかを蛇行して延びている。
奥に入るにつれて、木々の手入れが雑になっていくように思えた。雑草も生えている。アスファルトも古く、亀裂があちこちに見えてきて、ついには砂利道になった。
林を抜けたとき、美由紀は息を呑《の》んだ。
戦後の復興期に建てられたような五階建て、コンクリート造りの薄汚れた団地。無味乾燥にして粗末なその外観。いかにも軍の施設らしく、建物ごとにA1、A2と大きく壁に記されていた。
これだ……。
たしかにここだ。記憶の断片に残っている。なんともいえない寂寥《せきりよう》感の漂うこの眺め。
間違いない。脳裏にフラッシュバックする光景は紛れもなく相模原団地だった。
団地の前の砂利道にクルマを徐行させながら、美由紀はその風景に見いった。
フトンを干している窓がいくつかある。ひとりの女性が身を乗りだし、フトンを叩《たた》いて埃をはらっていた。年齢は五十ぐらい、シャツも髪型も昭和を彷彿《ほうふつ》とさせる。
そういえば、路上駐車してあるクルマもひどく古めかしい。プリンス製の初代スカイラインや、トヨタのダルマコロナが無造作に停めてある。錆《さび》だらけで、ボディのあちこちに凹《へこ》みがあった。だが、シートに荷物が積んであるところをみるとスクラップというわけではなさそうだ。
庭先では子供たちが遊んでいた。ほとんどが日本人のようだが、黒人や東南アジア系の子供も交じっているようだ。誰もがやせ細っていて、栄養失調ぎみに見えた。
驚くべきは、その子供たちの着ているものだった。手製らしく粗末な仕上がりで、デザインも三、四十年ほど昔のものに見える。あり合わせの布を縫ってこしらえたという感じだった。
子供たちは二列になって向かい合い、はないちもんめに興じている。そのさまは、昭和の記録フィルムを観ているかのようだった。
クルマを道端に寄せて停め、エンジンを切った。子供たちの歌声が響いてくる。
 勝って嬉《うれ》しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、隣りのおばさんちょっと来ておくれ。鬼が怖くて行かれない。お釜《かま》かぶってちょっと来ておくれ。お釜底抜け行かれない。鉄砲担いでちょっと来ておくれ。鉄砲玉なし行かれない……。
 美由紀は首をかしげた。ずいぶん長い歌詞だ。わたしの知っているものとは違うように思える。
 おフトン被《かぶ》ってちょっと来ておくれ。おフトンびりびり行かれない。あの子が欲しい、あの子じゃ判らん。この子が欲しい、この子じゃ判らん。相談しよう、そうしよう……。
 ドアを開けて車外に降り立ったとき、ひとりの男の子がこちらに気づいたようだった。
「見ろよ」男の子は叫んだ。「すげえクルマだぜ?」
いっせいに振り向いた子供たちは、わあっと歓声をあげてこちらに駆け寄ってきた。
美由紀は戸惑いがちに微笑みかけた。
子供たちは、美由紀がスクールカウンセリングで出会うどんな児童の態度とも異なっていた。すなおであると同時に、遠慮がない。誰もがべたべたとクルマのボディに触り、ボンネットの上に這《は》いあがって寝そべろうとする子もいる。美由紀の手をとって、さっきの遊び場へ引っ張っていこうとする女の子もいた。
「あ、あの」美由紀はあわてていった。「ちょっと待って……」
そのとき、男の声が飛んだ。「おいおい。こら、俊彦。それに真奈美も。お客さんに対して失礼だろ」
男は三十代後半ぐらいの髭《ひげ》づらで、ランニングシャツに半ズボンといういでたちだった。真っ黒に日焼けした肌は建築業に従事する肉体労働者を思わせる。
人のよさそうな笑いを浮かべながら、男は手馴《てな》れたようすで子供たちをあしらった。「どうもすみません。ここにはめったに外の住民も来ないんで」
「いえ。こちらこそ……。突然訪問しちゃいまして」
「それにしてもすごいクルマだ。日本人だよね? 住宅地区のどのあたりに住んでるの?」
「わたし、きょう初めてここに来たんです。つまり、相模原住宅地区に」
「へえ……。基地関係者じゃないとしたら、何の用?」
「ちょっと見学で。通行証を発行してもらったので入れたんです」
「仕事は何をしてるの?」
「臨床心理士で……つまりカウンセラーです。いちおう休職中ではあるんですけど」
「そうかい。いや、どんな仕事なのか詳しくは知らないけど、見学ってことなら案内するよ。商店街のほうは見た?」
「いえ、まだ……」
「じゃ、ついておいで。あ、俺、八木信弘《やぎのぶひろ》といいます。どうぞよろしく」
「岬美由紀です。よろしく……。あのう、駐車場はどこに……」
「そんなもん、そこに停めておけばいいって。いちおう地区内は駐車禁止ってことにはなってるけど、基地のやつらもほとんど見にきやしないからさ。さあ、いこう」
美由紀は困惑を覚えながらも、八木に歩調を合わせた。子供たちは駆けていき、はないちもんめを再開した。
「お尋ねしてもいいですか」と美由紀はきいた。
「どうぞ。なんなりと」
「八木さんは、この相模原団地に住んでるんですか?」
「もちろんだよ。昭和二十五年に米軍がここを接収したとき、基地内に住みこみで働く日本人を募集しててね。祖父の代からこの団地に移り住んだ」
「……基地の外にでる自由はあるんですか?」
「そりゃ当然だよ」と八木は笑った。「でもあまり出かける奴はいないね。なにかと忙しいし、家族もここにいれば生活のすべてが事足りるからさ。外はなんでも高いよ。団地のなかなら、給料でもらったドルをそのまま使えるしね」
ということは、ここは通貨の壁によって実質的に外の世界とは切り離されているわけだ。わざわざ日本円に換金して、物価の高い市街地に繰りだして買い物しようとは思わないのだろう。その閉鎖的な事情が、この住民の生活の古めかしさにつながっているのだろうか。
コンクリート製の居住区の谷間に入った。美由紀は思わず立ち尽くした。
団地の一階部分がテナントになっていて、商店街をかたちづくっている。その空間はさほど広くはなく、店舗もせいぜい七つか八つほどだが、驚くべきはその店がまえだった。どう見ても昭和三十年代だ。
喫茶店の店頭にはガラス製のショーケースが置いてあって、蝋《ろう》細工のトーストやスパゲティの見本が埃《ほこり》をかぶって並んでいる。理髪店の軒先には、赤と青と白の三色がくるくると回る看板があった。薬局は薄汚れたカウンターのなかに白衣姿の薬剤師が顔をのぞかせている。リサイクルショップで取り引きされているのは、前時代的な二槽式の洗濯機と、角の丸いブラウン管式のテレビだった。
まるで古《いにしえ》の街並みを再現したテーマパークのようだった。しかし、これは現実だった。つんと鼻をつく生活臭、飲食店の換気扇から吐きだされてくる調理場のにおいが、すべてを物語っている。
陸の孤島だ、と美由紀は思った。
ここに住む日本人は無論、日本国籍なのだろうが、実質的に治外法権下の町に住んでいるも同然なのだろう。時代から取り残された空間。基地が接収されたときの日本が、小さく切り取られてこの団地のなかに存続している。
とある店先で、男の子が弁当箱と水筒をいくつもリュックサックに詰めこんでいた。それを背負って歩きだす。そういう子の姿が何人もあった。
「遠足かしら」と美由紀はいった。
八木はそれを眺めると、肩をすくめた。「あれは親に昼メシを運んでいくんだよ。俺もガキのころ、よくやったもんだ。団地に住んでる労働者は、軍関係者用の食堂は使わせてもらえないからさ。あの子の親父はたしか浄水場で働いているんだったな。かなり距離があるけど、毎日徒歩で難なく出かけてくよ」
「そうね。遠出の心得が身についてるみたい」
「心得って?」
「子供はふつう、リュックの底のほうに重い物を入れて、上のほうに軽い物を入れがちだけど、それじゃ疲労が早くなる。腰にあたる部分から底にかけて柔らかい物を詰めておけば、背中とリュックが密着して疲れにくくなる。あの子たちはそれを実践してた」
「へえ! 外の人なのによく知ってるね。たしかに、ここの住民はみんなそうやってリュックに荷物を詰めるよ。もともと祖父の代が、米軍の連中から授かった知恵らしいけどさ」
「でしょうね。わたしも防衛大で教わったことだし」
「防衛大? あなた自衛官か何かだったのかい?」
「ええ……以前はね。第二学年で富士山の頂上まで登らされたときに、いろいろ指導を受けたの」
「ふうん。あなたみたいな美人が……。人は見かけによらないねえ。さてと、見学といってもこれぐらいしか見せるところがないんだけど」
「ええ、とても興味深いですよ」
「じゃ、もう用は済んだのかな」
「いいえ……もうひとり来るので、待っていないと」
「もうひとり? 連れがいるの?」
「はい。ご迷惑でしょうか?」
「いやとんでもない。ただ、見てのとおりあまり時間を潰《つぶ》せる場所がなくてね。そうだ、そこの喫茶店に入ってなよ」
「でもわたし、お金が……」
「ああ」八木はポケットから無造作に、皺《しわ》くちゃの札束をつかみだした。「ドルに両替してあげるよ。千円札ある?」
「あります」美由紀はサイフをだして、千円札を一枚ひっぱりだした。
八木は一ドル紙幣を数えとった。「七、八、九、十枚。ちょうど十ドル。いま一ドルは百十三円ぐらいだけど、おまけしとくよ」
「すみません。ありがとうございます」
「俺のガキのころは一ドルは三百六十円と相場がきまってた。知ってるかい、なぜ三百六十円に固定されたかっていうと……」
「�円�が丸という意味だから、三百六十度ってことでその数字になった。でしょ?」
「すげえ。よく知ってるな。じゃ、お連れさんが来るまでごゆっくり」八木はそういって片手をあげて、ぶらりと去っていった。
美由紀はため息をついた。どうにも要領を得ない。八木という男も、飄々《ひようひよう》とした態度とは裏腹に警戒する心理をのぞかせていた。頬筋《きようきん》の緊張にそれが表れている。
考えすぎか。ここまで時代錯誤な町に現代人が訪れたのだ、向こうも注意深くなるのが当然かもしれない。
喫茶店に向かい、扉を押し開けた。
カウンターのほかにボックス席がふたつあるだけの狭い店だった。客はいない。店主は白人の老婦だった。
「いらっしゃい」と老婦は日本語でいった。
美由紀はカウンターの席に座りながら注文した。「コーヒーをひとつ」
「はいよ」
店内はわりときれいだったが、インテリアに凝っているというほどではなかった。客の目に触れるところに段ボール箱が積んである。現代の食料品メーカーのロゴが記載してある。
ということは、商品はこの団地のなかだけで回っているのではなく、随時外から搬入されているのだろう。当然といえば当然だ。だが、それならなぜ服ぐらい新しいものを身につけていないのか。
厨房《ちゆうぼう》から子供がふたり、はしゃぎながら駆けだしてくる。驚いたことに、黒人の少年と少女だった。やはりふたりとも粗末な身なりで、やせ細っている。よく見ると、ふたりは仲良く遊んでいるわけではなさそうだった。少年が持っている玩具《おもちや》を、少女が奪おうとしている。
「貸してよ」と少女は日本語でわめいた。「次はわたしだっていってるじゃん」
「やなこった」と少年がいった。「ジュリアなんかに貸すもんかよ。ばーか」
ジュリアが声をあげて泣きだすと、老婦がカウンターから身を乗りだした。「ボブ。ゲーム機はジュリアと交互に使うって約束したでしょ」
「ふん。ジュリアは人形いっぱい持ってるから、べつにいいじゃんか」
白人の老婦と黒人の少年少女、いずれも流暢《りゆうちよう》な日本語で言い争っている。なんとも奇妙で、どこか滑稽《こつけい》な眺めだった。
美由紀はボブが一所懸命に手放すまいとしている携帯ゲーム機を見て、面食らった。任天堂のゲーム&ウォッチ、ドンキーコング。いまごろこんなものを取り合ってるなんて。
「泣かないで」美由紀はジュリアにそういって、携帯電話を取りだした。「ゲーム機ならわたしも持ってるから」
「ほんと? それ何?」
携帯電話を知らないのだろうか。ここでの暮らしを察するに、その可能性は充分にある。
iアプリにつないでビデオゲームをダウンロードすると、美由紀は携帯電話をジュリアに手渡した。
「わー、すごい!」ジュリアは目を輝かせた。「本物のドンキーコングだぁ」
ボブが覗《のぞ》きこんで、あわてたようすで手をのばしてきた。「交換してやる。貸せよ」
「やだ。わたしが借りたの」
「貸せってば!」
美由紀は穏やかにいった。「だめよ、ボブ君。なにごとも独り占めにしようとしないで。貸して欲しいときにはきちんとお願いするのよ」
「ちぇっ」ボブは不服そうにゲーム&ウォッチを放りだすと、厨房に駆けこんでいった。
ジュリアは美由紀の隣りに並んで座り、ゲームに興じている。
老婦がコーヒーカップを差しだしてきた。「外の人ね?」
「ええ……。あのう、ここの子たち、学校は……?」
「基地に小学校があるの。でもほとんど行ってないわね。団地の子は、軍関係者の子に比べて差別されるし、いじめられたりもするからね。どうせ子供も親の仕事を継ぐわけだから、たいして勉強しなくてもね」
「そうでしょうか。子供は外に出たがっているかも」
「いまさらどうにもならないでしょ。団地は家賃もタダだし、同じ仕事を繰り返してりゃいいから気苦労もないしね」
まるで発展途上国の貧民層にみられる考え方だ。これでは子供たちは希望を持つことはできない。
それにしても、わたしはどうしてここの記憶を持ちえたのだろう。あの建物の外観が相模原団地という名であることしか、わたしは覚えてはいなかった。いまこうしてあちこち散策しても、思いだせるものはない。
両親も米軍などとは無関係だった。強いて言うなら、同じ神奈川県住まいだったというだけだ……。
ボブが新しい玩具を持ちだしてきた。「バン、バン」
美由紀はそれを見て、息を呑《の》んだ。
デトニクス四十五、自動|拳銃《けんじゆう》がボブの手に握られていた。
「ボブ!」老婦が怒鳴った。「そんなの、どこから持ってきたの」
「岸辺のおじさんが貸してくれたから」
「すぐ返してらっしゃい。早く!」
不服そうな顔はしたものの、ボブは銃をぶら下げたままドアを開けて外にでていった。
驚かざるをえない事態だ。美由紀は老婦を見た。「いまの拳銃……」
「ああ、あれ?」老婦は苦笑した。「モデルガンよ。団地に住んでる岸辺のおじさんって人が集めててね。子供にせがまれると貸すらしいんだけど、迷惑な話でね」
嘘をついている、と美由紀は思った。
老婦の眼輪筋は収縮していなかった。すなわち、つくり笑いでしかない。鼻翼があがり、鼻の両側や鼻筋にも皺が寄っていた。銃について問いかけられることに嫌悪を感じたのだ。つまり老婦は、本当のことを言っていない。
事実、あれはモデルガンではなかった。まぎれもなく本物の拳銃だ。
基地の軍人が拳銃を持つことはありうるだろうが、この団地の住民が所持を許されているとは思えない。
「ごちそうさま」美由紀は立ちあがり、ドル紙幣をカウンターに置いて戸口に向かった。
外にでて、辺りを見まわす。商店街を往来する人々の動作は緩慢で、ゆったりとした時間が流れている。
そんななかで、駆けていくボブの姿はすぐに目についた。
B3の建物に向かっている。
美由紀は走りだした。商店街を駆け抜け、閑散とした団地の生活道路に入る。
ボブは短い階段をあがって、団地のエントランスに消えていった。
少し距離を置いて、美由紀はその後を尾《つ》けた。
エントランスを入ると、ごくありきたりの団地の内部が広がっていた。部屋数のぶんだけ並んだ郵便受け、火災報知機、階上に伸びる階段。エレベーターはなかった。
廊下に蛍光灯が多用されているのも日本の団地そのままだが、それはつまり住人が日本人になることを想定して建てられたことを表していた。アメリカ人は日本人ほど蛍光灯を好まない。幽霊の光といって嫌う傾向さえある。
足音が聞こえてくる。上か。美由紀は階段を昇っていった。
三階まで達すると、今度は廊下に足音が響いていた。角に身を潜めながらようすをうかがうと、六つめの扉を開けてボブが入っていくのが見える。
しばらく待つと、ボブが扉をでてきた。もう拳銃は持っていない。
ボブがこちらに来たので、美由紀はとっさに階段を昇り、四階との中間にある踊り場に隠れた。ボブの足音が階下に降りていく。
充分に静かになるのを待ってから、美由紀は三階に戻った。
六つめの扉に近づく。表札には604とあるが、住民の名はない。
さっきボブは、ノックもせず呼び鈴も押さずに扉を開けたようだった。出入りは自由なのだろうか。
美由紀はノブを握り、回した。鍵《かぎ》は開いていた。すばやく扉を開け放つ。
靴脱ぎ場の向こうに畳が見えていた。和室のようだ。
なかに踏みいろうとしたとき、美由紀の足はすくんだ。
八畳一間は無人ではなかった。
壁ぎわに、大勢の子供たちがうずくまり、身を寄せ合ってひしめいている。
人数は軽く二十人いると思えた。外で見かけた子供たちよりもさらに栄養失調が激しく、骨と皮だけといった感じの子もいた。着ている物は汚れ、悪臭がたちこめ、蝿が飛びまわっている。室内の温度はかなり高くなっているのに、この部屋には冷房ひとつない。
子供たちは気力も体力も失ってしまったのか、美由紀を見ても声ひとつあげず、立ちあがろうともしなかった。
「どうしたの、みんな」美由紀はきいた。「ここでなにをしてるの?」
沈黙だけがかえってきた。
やがて、咳《せき》こみながらつぶやく少年の声があった。「ホン……サオ」
ベトナム語だ。なんでもない、気にしないでくれという意味がある。
日本人はひとりもいないようだ。この子たちの身の上が気になる。
だが、子供たちの安全を確保する意味からも、ボブがここに持ちこんだ物をまず探さねばならない。
美由紀はきいた。「拳銃はどこにあるの?」
子供たちは返事をしなかった。何人かが、かすかに怯《おび》えたような表情を浮かべただけだった。
これ以上、怖がらせることはできない。自分で見つけるしかなさそうだった。
とはいえ、ここには家具もなければ物を隠せそうな場所ひとつない。
それでも美由紀は、床を眺めるうちに違和感を覚えた。
畳の敷き方が変だ。四枚の畳の角が一箇所に集まっている。いわゆる四つ目は縁起が悪いとされていて、ふつうの畳職人ならこんなふうには敷かないはずだった。和室の常識に疎い外国人が敷きなおした可能性がある。
目を凝らすと、一枚だけが新しく見える。子供たちが座っている部屋の隅の畳だ。
「悪いんだけど、どいてくれない?」と美由紀はいった。
すると驚いたことに、体力をほとんど残していないかに見えた子供たちが、さっと立ちあがって部屋の反対側に駆けていき、またそこで寄り集まって座った。
子供たちの目は、なにかを訴えたがっているかのようでもあった。だが、あまりに痩《や》せこけたその顔は、表情筋の変化に乏しく、美由紀ですら感情を読みとることが難しかった。
その場にしゃがんで、畳の縁をつかみ、ゆっくりと持ちあげる。
美由紀は衝撃を受けた。
畳の下には空間があって、銃器類でびっしりと埋め尽くされていた。
それぞれの銃を無理なく収納できるよう、銃のかたちに床が繰りぬかれている。弾倉《マガジン》や消音器《サイレンサー》、弾丸などの備品とともに無数の銃が整然とおさまっている。デトニクス四十五口径のほかにウージー・サブマシンガン、S&Wのミリタリー・ポリス三十八口径、ベレッタ九十二FS、それにAK47半自動ライフルまである。
どれもぴかぴかに磨きあげられているが、使いこまれた中古品のようだ。それも、銃の右側にあるはずの登録番号が削りとられている。
密輸品の横流しとしか思えなかった。
携帯電話で通報しようとポケットに手を伸ばしたとき、美由紀は失態を悟った。電話は喫茶店で黒人の少女に貸し与えてしまった。
美由紀は立ちあがると、子供たちに告げた。「待ってて。すぐに助けを呼んでくるから」
部屋を駆けだす。ここは米軍基地の施設内だ。軍関係者に知らせることができれば、すぐに捜索が入るだろう。
廊下を走り、階段まで舞い戻ったとき、美由紀は制服姿の軍人と出くわした。
緑いろの制服に、大尉の階級章をつけている。目をいからせた三十歳前後の白人だった。
「大尉」美由紀はいった。「この団地には銃器類が数多く隠されています。おそらく密輸品です。すぐに保安部による立ち入り検査を……」
ところがそのとき、大尉の目は怪しく光った。
大尉がアーミーナイフで美由紀のわき腹をえぐろうとしたとき、美由紀はとっさに身をひいてかわした。だが、刃は皮膚をざっくりと切り裂いた。
感電したかのような激痛とともに、Tシャツに赤い染みがひろがっていく。美由紀は傷口を手で押さえた。
「なにをするの」美由紀は大尉をにらみつけた。
だが、大尉の表情にはなんのためらいもなかった。姿勢を低くし、ナイフを身構えてじりじりと間合いを詰めてくる。
軍人が密輸の主導者か。これではどうにもならない。
銀いろの刃がふたたび襲ってきたが、美由紀はわざと足を滑らせて床に倒れこみ、転がって階段へと逃れた。
傷口が開いてしまったのか、意識が遠のきそうなほどの痛みに襲われた。Tシャツはもう真っ赤になっている。
思ったよりも深手を負ったようだ。階段を駆け降りようとしても、思うように歩が進まない。
ほとんど転げ落ちるようにして階段を脱すると、美由紀はエントランスから駆けだした。
生活道路を抜けようとしたとき、八木がこちらに歩いてきた。
「八木さん」美由紀は必死で声を絞りだした。「助けて。大尉が三階の部屋に銃器類を溜《た》めこんでいるの」
次の瞬間、美由紀のなかに戦慄《せんりつ》が走った。
さっきまで愛想のよかったその男は、冷ややかなまなざしを美由紀に向けるばかりだった。怪我に驚くようすも、身を案じる気配もない。
八木は無言だった。敵愾《てきがい》心に満ちた表情とともに、ゆっくりと近づいてくる。
彼もあの大尉とグルだなんて……。助けを呼ぶには、携帯電話で通報するしかない。
美由紀は逃走した。一歩踏みだすたびに身を裂くほどの激痛が全身を貫く。その場にへたりこんでしまいそうだ。
必死の思いで商店街まで戻った。喫茶店に辿《たど》り着くことさえできれば、追っ手を凌《しの》げるかもしれない。
しかし、その希望は打ち砕かれつつあった。
通行人は足をとめ、こちらをじっと見ている。彼らの目はいずれも、あの大尉や八木と同じ怪しい光を帯びていた。
喫茶店の軒先には、あの老婦の姿があった。老婦の態度も、ほかの住民と違いはなかった。敵意に満ちたまなざしを、まっすぐに美由紀に向けている。
なんてこと……。団地の住民すべてが、わたしの敵にまわっている。
全員が一見してわたしを、秘密を知った部外者だと察知したのだろう。わたしは彼らにとって、救う必要のある人間ではない。むしろ積極的に排除したがっているに違いない。
人々はわらわらとこちらに近づいてきた。包囲網が少しずつ狭まっていく。
この団地から逃れて、森の向こうにまで駆けだすことができたら、軍関係者の家族が司令部に通報してくれるだろう。
だが、そこまで達することは不可能だ。すでに意識も薄れつつある。立っているのがやっとだった。
美由紀はまた走りだした。最後の力をふりしぼって前進した。
薬局の前まで来ると、店内にひとけがないことがわかった。薬剤師は出払っている。逃げこむことができるのは、ここしかない。
なかに入ると、美由紀は薬品の収納棚に身体をひきずっていった。
とりあえず手当てをしなければ。傷口を縫っている暇はなくとも、ガーゼで応急処置を……。
思考が鈍った。意識が遠のく。美由紀はふらつき、その場に崩れ落ちた。床に叩《たた》きつけられたとき、傷口がさらに大きくひろがったような気がした。
嘔吐《おうと》感と激痛が全身を支配する。なんとか意識をつなぎとめながら、美由紀はいまの衝撃で床に落ちた薬品のビンに手を伸ばした。
なにか治療に使えそうな物はないのか。ベンジン、消毒用エタノール、それに……。
最後の希望を託してつかんだビンのラベルに記してあったのは、傷の手当てにはなんの役にも立たない薬品名、苛性《かせい》ソーダだった。
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