テレビや舞台で唄っている子供歌手を、吹けば飛ぶ泡沫《ほうまつ》ジャリタレ、と嘲笑するのは簡単であるが、しかし考えてみると、あんなにたくさんの人間の前で、唄ったり踊ったり、することができるというのは、その度胸の点で脱帽せざるをえない。
私は、私の年齢の三分の一くらいの子供たちに敬服し、深く尊敬しているのである。
私には、とてものことにあんな度胸はない。
大ぜいの人の前に立つと、あがってしまい、何をしゃべってるのかわからなくなる。
したがって、講演はきらいである。
講演の依頼は、大げさにいうと引きもきらずあって、いちいちに応えていると二日に一回、講演しなければならなくなる。二日に一回、あがっていてはどうしようもない。だんだん慣れる御仁もいられるだろうが、世には一向、慣れない人もいて、私はその後者である。
そういう、不甲斐ないオトナから見ると、堂々とマイクを握って、唄っているジャリタレというのは、りっぱなものである。
彼ら彼女らの胆力だけでも、買ってやらなければならない。
講演のときに、袖のところにいてパイプの折タタミ椅子なんかに坐って出を待ってる、ああいうとき、心臓をヌレ手で掴みあげられたような気がする。あの恐怖感を、彼らジャリタレは、いかにして克服するのであろうか。
司会者から、どうぞ、なんていわれて、万雷の拍手といいたいが、パラパラの拍手のうちに出ていく、いやーな感じの一瞬を、彼らジャリタレはいかに堪えるのであろうか。
エライ人ですねえ。勇気と克己心なくしてできることではない。
いくら若いから、無鉄砲だから、といったって、怖いのは誰も一緒だと思う。そこを、捨身の勇気、やけくその度胸で、エーイと飛びこえる。それだけのことでも、唄っているコドモたちを、
「えらい、えらい」
と私はホメたくなってくる。
その歌がヘタで学芸会ふうであれば、それなりに、
「ヨカッタ、ヨカッタ」
とあたまを撫でてやりたい。
歌が上手であれば、なおのこと、
「ようやる、ようやる」
とほめそやしてやりたい。
母ごころじゃありませんよ。私は母ごころ、子ごころはきらいだ。ヘイタイ同士として、勇敢なる戦友をほめてるだけである。
しかし、男というものは、ヘンなことを考えるものである。
川上宗薫サンはいつか、
「テレビで見てると歌手が口開けて唄ってるね、あれ、口の中までまる見えになったりすると、ワイセツな感じするなあ……。なぜか、口の中って、ワイセツなんだな」
といっていた。
どうしてそんなことを考えるのかね!? 私は、人間の捨身の勇気、克己心の崇高さをほめ讃えているのに、男は、テレビで大うつしになった口の中をのぞきこんで、あらぬ妄想に耽っているのだ。どうして男というものはこう、よけいな想像力、妄想力が働くのだ。
「いや、川上センセイの擁護をするわけではありませんが、それは、ありますなあ。どうしてか」
と例によって、カモカのおっちゃんはいう。
「なぜか、男というものは、そのものズバリを見せられるよりは、あらぬものを見たときの方が、妄想をそそられる。——ピンクシーンが画面にうつっているときよりもそうでないときの方が、いろいろと、あらぬことを考えさせられるものです」
「そうでないとき、というのはたとえば、どんなときですか」
「国会の中継なんか見ててもですなあ、あれを、音声を消して見る、とする」
音声を消して国会中継を見て、なんとするのだ。
「いや、女性のあれの呼称をどうするか、国会で討論している、と妄想する」
ヒマ人ね、男って。
「どうしてですか、あれのよび名を、文部省が統一して国定にしてくれへんので、皆々こまっておるのです」
こまるはず、ないでしょ。べつにいわなくたって、日々の暮らしに差支えないのやから。
「いやいや、それはちがう。ちゃんと人前でよべるようにきめてもらわんことには、アレというたり、隠語でよんだりしてよけいまぎらわしい。青天白日の下でよべるような名前に統一しようというので、国会議員はそれぞれ選挙地の票田を賭けて論争する。大阪府が送り出した選良は、×××を固執し、鹿児島県の代議士は××を唱え、東京都は××××を提唱してゆずらず、青森県の選良は……」
それをテレビの中継で見ると、どうなるっていうんですか。
「野党は順々に立ち上って、政府与党に噛みつく。『××とすべきであります。これは由緒深い古語に由来するのでありまして、××××などという今出来のいかがわしい造成語や×××などという由来不明の隠語とは問題にならんのであります。それを敢て捨てて××××の採用強行をもくろんでいるのは、政府の言論弾圧にほかならん』てなことをいう。政府首脳がやおら立ち上り、登場して答弁する。『××××が望ましいのであるが、×××、××、×なども考慮して前向きに善処します』なんていう、この答弁をアテレコでやってると、興にのって時のたつのも忘れ……」
そんな時間あるなら、みなこちらへほしいものだ。国会討論会でさえ、そうならば、男は歌手の口の中を見て何の妄想を抱くか、わかったもんじゃない。
「いや、僕は、口の中より、手つきですなあ。マイクを持つ女歌手の手つき」
とおっちゃんは、考え深そうに盃をおいていう。マイクがどうしたってのだ。
「いや、マイクが何やら、別のものに見え、その握り方がワイセツ。小指を撥《は》ね上げておっかなびっくり、三本指で持つのもあり、いとしそうにぐっと拳で握りしめるのもあり。マイクの先をオシャブリみたいに嘗《な》めそうなのもあり、いや、テレビというのは、いろいろタノしめるものです」